ほめて伸ばす

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例えば、9つの良い行ないをした時に、たった1つの悪い行ないを咎【とが】めて叱ったとしたら、多くの人は腹を立て、やる気を無くしてしまうでしょう。

「こんなに努力しているのに、ちょっとしたミスをあんなに叱るなんて。ウチの上司は俺(私)のことを何も解っちゃいない!」
と不要な反感を買ってしまうでしょう。

この場合は、1つの悪さには敢えて目をつぶって、その人の日ごろの真面目な努力を労【ねぎら】い称えることが、最も適した対応となるでしょう。逆に9つの悪い行ないをして、1つしか良い行ないしていない人に、褒め称えたとしたらどう思うでしょうか。

「ウチの上司はなまくらだ。こうなったら好き勝手にやらせてもらおう」
と、悪事を増長させることになるでしょう。

ではただ叱ればよいかというと、これもケース・バイ・ケースで、一生懸命取り組んでいるのに、要領を得ずに悪い結果が出てしまっている場合もあります。この場合、ミスを叱ってしまえば却って委縮して、自信を無くしてしまうこともあるので、たった1つの良い結果を大切にして褒め称えていくことが大事でしょう。

褒めるという行為は、こう考えてくるだけでも色々な要素が入り乱れて、いざ実行するとなると困難が伴います。上記の他にも例えば、自分が尊敬している人からの称賛は嬉しいものですが、尊敬どころか軽蔑さえしているような人からの褒め言葉は、不快感を与え逆効果となる場合もあるでしょう。

あるいは、褒めるという行為は、褒める人の方が「立場が上」との暗黙の認識があるので、何かの意図をもって自分を支配しようとしているのではないか、との警戒心を与えてしまう場合があります。褒めたつもりが、思うように相手は喜ばないのです。

こうなってしまう理由の1つは、日ごろのコミュニケーション不足があります。日ごろからの信頼関係が醸成されてないので、突然褒められたことに、何かウラがあるのではと勘ぐってしまうのです。褒める側が相手に不信感を持たれている場合は、信頼を壊してしまうような言動が無かったか、反省してみる必要があるでしょう。

本当の意味で「褒める」のと、単に「おだてる」ことの違いをある書物では、次のように論じていました。相手のことを本当には考えてはおらず、あくまでほめる側の都合で行うのが「おだてる」言葉であること。一方、「褒める」とは、相手の成長を促したり、相手の幸福を願う心が根本にあっての行為である、との違いがあるそうです。

それはともかく、人間 褒められて悪い気はしません、逆にけなされればシュンと沈んでしまうのが人情でしょう。御書に次のようにある通りです。

「ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、
そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、
ふるまふ事は凡夫のことはざなり」

(p.1360)

ところで、「ほめて伸ばす時代」とは良く言われますが、1から10まで褒めてばかりでは、褒められることに慣れてしまい、効果がほとんど無くなってしまうでしょう。甘やかすことにつながってしまうことにもなります。ですから本当に褒めようと思ったら、時には叱ることも大事です。私は民間の教育に25年以上携わって来ましたが、子どもから次のように思われてしまっては、教師の信頼は地に落ちたようなものです。

「この先生は何かと言えば褒めてくれるけれど、僕のことを本当に思って叱ってはくれない」

大人対大人でもそうですが、本当に相手を思って叱ることができてこそ、本物の愛情が伝わる時があります。時には、お互いに真剣に叱り合える人間関係、本音と本音でぶつかり合える関係は、ある意味、成熟した人間関係が築けていると言えるのではないでしょうか。

(令和1.5.20 加筆・修正しました)

 

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