そ法と妙法 ~4つの過ち

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先生の『一生成仏抄講義』を元にして、妙法とそ法について述べてみます。

都(すべ)て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、
(中略)
若(も)し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮(びんぐ)の人日夜に隣の財(たから)を計(かぞ)へたれども半銭の得分もなきが如し、

然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、
故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、
爰(ここ)を以て止観には雖学仏教・還同外見(すいがくぶっきょう・げんどうげけん)と釈せり、

然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、
(御書383ページ)

この御文への講義において、「心外に道を求めるのは無明に負けた姿」と題して次のように仰っています。

己心における無明との戦いは、凡夫が仏になるために、避けて通ることのできない生命の闘争なのです。すなわち、常に胸中の無明と戦い続けるかどうか、という一点こそ、永遠に忘れてはならない成仏への最大の課題です。

ゆえに、ひたむきに唱題し創価学会の実践を貫く中に、必ず成仏の境涯が開けます。伸び伸びと自分らしく輝いていくための信仰です。ですから大事なことは、”信心をしていこう” ”深めていこう” ”創価学会の中で頑張っていこう” という前進への一念であるとご指導されています。

その上で、御文より前の部分で仰せの「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書383ページ)との戒めを、信心論から具体的に4つ挙げられています。それが「責任転嫁」「おすがり信仰」「不信・グチ・文句」「同志への怨嫉」です。

1.責任転嫁
例えば ”あの人が悪い” ”周りが悪い” などと責任転嫁【てんか】だけしている姿は、祈っていても、自己の無明との戦いを避けているゆえに、「心外に道を求め」ています。一歩深く自分が変わることによって事態を改善していくための原動力が祈りなのです。

2.おすがり信仰
神仏にすがり、その超越的な力で自分の願いを叶える信仰で、己心の外に法を見る典型です。爾前権経の権仏【ごんぶつ】がこうした信仰の対象になりやすい。悩んでいるようでいて、自分自身の課題から目をそらし、挑戦していく勇気も行動もないゆえに、その本質は「逃避」です。それでは、厳しく言えば、信仰を「逃避」の隠れ蓑【かくれみの】にしてしまっている。一生成仏のためには、自分の課題に真正面から挑戦し、自分の生命を鍛えていくことが必要なのです。

3.不信・グチ・文句
例えば、「仏性といっても理想に過ぎないのではないか、現実は変わらないのではないか」との不信感があれば、確信なき祈りや漠然とした祈りとして現れてしまう。そこで必要なのが、「深く信心を発【おこ】すべきなり」とあるように、常に祈りを深化させていくことと、一念を定めることです。弓で矢を射る時に的【まと】を定めて、初めて弓を引く力がこもるように、「必ず・・・するのだ」という確信ある祈り、決定した一念であってこそ、祈りは成就するのです。

この漠然たる不信に通じる門として「グチ」や「文句」があります。それらは自分の成長のブレーキとなって、前進できなくなります。自身の可能性を自ら閉ざすことになり、「己心の外に法あり」に陥ってしまいます。凡夫にはグチ・文句を消すことは難しくても、上手に操り、前進へのバネとすることが、妙法の智慧です。

4.同志への怨嫉
同志への怨嫉・嫉妬・誹謗は同志の仏性を否定することとなり、「己心の外に法あり」の方向へ向かいます。他者の仏性への不信は「万人が皆、仏である」という法華経の心を否定することであるので、成仏を願っても叶わず、結局は謗法になってしまうと大聖人は仰せです。異体同心で自他ともの幸福を願う唱題こそ、真の一生成仏の題目なのです。

 

先生は、無明との闘争――この我が胸中の戦いこそが唱題行の本質であると仰っています。そして、仏教で説かれたあらゆる修行や、諸仏への信仰も、己心の外に道を求める限り、それはあたかも、隣人の財産を数えても、自分には何も得られないのと同じであるだけでなく、結局は、「無量の苦行」となるとまで大聖人は仰せです。さらに、無明との戦いを避け、己心の外に道を求める限り、いかに万行万善を実践しても、仏法の本質から外れていくのであり、それゆえ「仏法を学して外道となる」と言われているのです。

大聖人は本抄で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず そ法(不完全な法)なり」(御書383ページ)と戒めになっています。信の利剣をもって元品の無明を対治していくところにこそ、唱題行の本質があるのです。末尾に戸田第二代会長が、草創の女子部に指導した言葉を紹介されています。

もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りを持ちなさい。気高い心で、人生を勝ち抜くことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない。

一遍一遍の唱題もあらゆる活動も、すべて「我が一念に納めたる功徳善根」であるとの大確信で、改めて前進していきます。

(H27.9.8 一部修正しました)


一生成仏抄講義

 

 

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コメント

  1. 王者の剣 より:

    レオさんへ

     長文の病の体験も含めて素晴らしい体験談を読ませていただきました。長い期間の精神的な闘病生活は、本当にたいへんだったこととお察し申し上げます。

     病は違いますが、私も種種に、苦しみました。しかし、戸田先生の罰論の通りだと確信しています。レオさんは真面目な性格ですので、楽天的で大雑把な私とは性格が違うと思いますが、人それぞれ自分に悩み、格闘せねばならないことは同じですね。

     この記事の2~4は私もよくやりました。責任転嫁だけはさほどしなかったと思いますが、信心はいまだに難しいものだと思うことばかりです。してはいけないことがいっぱい命から出てきます。(笑)

     信心はすべて「我が身一人の日記文書」ですね。結局、自分に負けるか勝つか、その勝負だと思います。それが「そ法か妙法」ということだと思います。

     何があろうと過去世の悪因なのかと悩むより、変毒為薬を目指してひたすら前進ですね。
     私もまだまだこれから、魔の障礙も強くあると思いますが、使命の天地で戦ってまいります。

     レオさんの御多幸をお祈り申し上げます。

  2. Leo2014 より:

    王者の剣さん、少し日が空きました。
    そちらは豪雨の被害などありませんでしたか。

    病気に限らず、誰しも大きな悩みの1つや2つは持っているのが普通なのでしょうね。
    御本尊を持っていると厳然と護られるのですが、それでも「仏は少病少悩」と言われるように、ある程度の苦悩はありますね。

    仰る通り、過去世の悪因なのかと悩むより、変毒為薬目指して前進、との言葉を噛みしめて、楽観的に進んでいきます。
    貴重なコメント有難うございます。

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