【続】悪は滅び、正義が必ず勝利する! -指導集(29)

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第25回本部幹部会 (1998年8月)より抜粋(池田大作全集89巻より)

 

前回記事からの続き)

私は19歳で入信して、まもなく、この「文段」を拝した。「妙法の因果」は、あまりにも厳正であり、一点の曇りもない。これまで、創価学会をいじめたり、迫害したり、裏切った人間は全部、仏罰を受けてきた。また、これからも必ず受けていくことであろう。そうでなければ、仏法は嘘になる。私は、51年間にわたる生死を超えた法戦を通して、このことが明確にわかるし、後世のために言い残しておきたい。

 

有名な「聖人御難事」には仰せである。
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」
――過去現在の末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者、その臣下、そして民衆は(迫害した)当初は、何も起こらないように見えても、最後は必ず滅びないものはない――。

 

まったく、この御聖訓の通りである。たとえ「国法」による裁きから逃げられたとしても、「仏法の因果律」による裁きだけは、絶対にごまかせない。逃れることもできない。「始めは事なきやうにて」 ――必ず最後は裁かれる。仏法の因果は厳然たるものである。

 

牧口先生「正邪の決着をつけるのが慈悲」

仏法は「勝負」である。仏法は「現証」である。これこそが「宗教の生命」であると、牧口先生は喝破された。牧口先生は、「正邪の決着をつける」ことが、人々に「動執生疑」を起こし、人々を正義に目覚めさせることになると知っておられたのである。そうさせていくことが慈悲であり、勇気なのである。牧口先生は言われた。「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」と。

 

牧口初代会長

 

たしかに、最近は「勝負の実証」が出るのが早くなってきたと思うが、どうだろうか。本年も、偉大なる創価学会員が、命がけで祈り、戦い、諸天が大きく動き、大きく働いて、大勝利することができた。皆さま、ご苦労さまでした! 「御義口伝」には、「功徳」の意義について、こう説かれている。

 

「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」 不幸(悪)を滅し、幸福(善)を生じる。――これが「功徳」である。無量無辺の功徳は、悪と戦い、仏敵を倒してこそ、わいてくる。だから、大聖人は「折伏せよ!」「仏敵と戦え!」と仰せなのである。牧口先生のご一生も、あえて魔を狩り出し、難を呼び起こそうとされていたように思える。悪と戦い、倒さなければ「広宣流布」はないからである。

 

また、大聖人は、「罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり」――(一国の)仏罰の厳しさをもって、我らの功徳の大きさを推察すれば、わが門下の人々が「十の尊称をもっておられる仏を供養するよりも、はるかに勝る福徳」を得ることは疑いない――と断言されている。

 

仏罰が大きいことを見て、妙法の偉大さを知り、「仏敵と戦う功徳」の大きさを知らねばならない。大聖人をいじめて、日本は大罰を受けた。牧口先生、戸田先生をいじめた日本は滅びた。反対に、仏意仏勅の学会員の皆さまには、ますますの功徳が光るであろう。ますますの福徳が必ずや薫るであろう。大聖人が、そう御約束である。ともどもに頑張りましょう!

 

御書に「民の愁い積りて国を亡す」と記されている。今、「民の愁い」が積もりに積もった日本である。多くの人々が、希望も、目標も、生きがいも、見いだせなくなっている。亡国の兆しである。そのなかにあって、民衆の心に「希望」を送り、「勇気」を送り、「活力」を送っているのはだれか? 創価学会である! 麗しき人間共和の創価学会こそが、日本の希望である。世界の光明である。この誇りで進みましょう!

 

 


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