唱題こそ悩みの万能薬 -指導集(8)

先生のご指導と聖教新聞等からの抜粋です。

 

・唱題できるという事がどれほど幸せなことだろう。無明の酔いから醒めるが如く、沈んでいる境涯もみるみる蘇ってハツラツとした命に変化する。あまりにも不思議な「悩みの万能薬」である。大富豪に生まれるよりも、絶世の美女として生きるよりも、御本尊と共にある人生のほうが遥かに幸せなことなのだ。

 

・信心とは、無限の希望です。たとえ状況がどんなに悪かろうと、すべて負け戦のように見えたとしても、その中から「何くそ!」と思って立ち上がり、妙法の無眼の可能性を実証していくのです。それが、信仰の本義ではないだろうか。無から有を生み出していくような、生死をかけた戦いなくして、本当の「信心」はわからない。損を得に、悪を善に、醜を美に変えていく――価値創造の壮絶な戦いが、「創価の心」です。それが「信心」です。

 

◆後輩のために自分が堂々と幸福になれ◆

・自分自身が幸福の春を勝ち取らねばならない。後輩の人がその姿を見て「信心を続けた人はあんなに立派になり、幸福になるのだ」と喜んでいかれるだけの歴史を示してあげねばならない。

 

・この悩みを解決したい、あの願いをかなえたいと、本気になって信心の実践に励めば、いままでその人の生命を弱く濁らせていた第六天の魔王が驚いて、低い迷いの境涯から離れさせまいと反発するのは当然です。急流を木でかけば波がおこり。眠れる獅子に手をつければ吠えるのは道理です。転重軽受の法門を実践し、高く広々とした境涯に前進する勇気ある信心を貫きたいものです。

 

・「全部、自分が一生成仏するための勉強だ」と思えたら、すべては解決する。人のせいにする愚癡の心がある分だけ、宿命転換は遅れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、御本尊に祈りきっていけば、必ず道は開ける。

 

・いやな思い、苦しい思いをすることがあったとしても、それらはすべて魔の所作によるものであることを見破り、それらをつきぬけて毅然と勤行・唱題に励み、広布の活動を力強く推進しゆくことじたいが信心強き仏界の人生なのである。

 

・われわれにとって大事なことは、なんといっても勤行である。信心の縮図は勤行に尽きる。たくさんの先輩のなかで今日の栄冠を勝ち得た人は、勤行をたゆまず、忍耐強くやりきってきている。それに反して、要領のいい、はったりの人は勤行の実践をおろそかにしていた。一日の活動の源泉である勤行を避けてしまったならば、いくら作戦を練ろうが実るはずがない。勤行こそ宿命転換の第一歩の原動力であり、勤行を真剣にやっている人は顔色もいいし、怨嫉など起こさないし、会うたびごとに成長している。勤行は前進のためのエンジンだ。それを根幹としてリズム正しく、指導どおり戦っていくならば、すべての戦いにかならず勝ちぬいていけることを確信していただきたい。

 

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祈った瞬間、既に勝っている -指導集(7)

先生のご指導と聖教新聞等からの抜粋です。

 

◆無冠の友へ

・眠い朝もあった。 やめたくなる日もあった。 冷たい風の日もあった。 雪の中を 歩いた日もあった。 土砂降りの雨の中を走った日もあった。 神々しいほどの 朝陽(あさひ)の光を 浴びる日もあった。 この崇高な境涯は 誰人よりも 「幸福の帝王」との思いをした日もあった。

 

・眠い 辛い 苦しい こんな配達は まったく やめたい―― 幾たびとなく思ったことか。 しかし 自分自身の尊い修行と思えば 自分自身に敗北をしたくない。 これが 勇猛精進の 日蓮仏法であるからだ。 頑張り抜いたあとの 爽快な生命は 勝利の栄冠は なんと爽やかであろうか。

 

◆希望も想像力(読書)から生まれる◆

・「本の発明」は、人類の歴史の中で最大の発明の一つです。この発明品の「使い方」「楽しみ方」を覚えたら、もう人生は、最大の武器を手に入れたようなものだ。(中略)本を読む習慣さえ身につけておけば、その人の道に「希望」が消えることはないんです。

 

・初信の頃、環境が変わること以上に「自分の生命が劇的に変わる」ことに僕は驚いた。絶望感で一杯だった心が、希望に弾むような生命に様変わりする。こんな奇跡的な体験を僕は唱題以外で知らない。しかもその奇跡は何度でも続いた。題目は本当に凄い。唱題ある限り、僕の人生に光が失われることはない。

 

・どん底の時には唱題しても苦しい。悲鳴のような題目が続く。しかしパッと光が差したように安心する瞬間がある。「もうこれで大丈夫だ」と確信できる時がくる。そこまできたら環境は必ず変わっていく。環境が変わる前に自分の命が変わる。これが僕の信心で学んだ一つの結論です。

 

・命はいつだって変えられる。どんなに苦しい現実が続こうとも。泣きたくなるような悲しみがあろうとも。必ず「絶対に大丈夫だ」という確信が生命の大地から噴火する瞬間が来る。燃え上がるような希望が。池田先生は言われている。「祈った瞬間、既に勝っている」と。まず我が生命の中で勝て!と。

 

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魔王の試練

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希望を忘れるな! -箴言集(5)

◆アルフレッド・アドラーの言葉

・劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。

 

・あなたが劣っているから劣等感があるのではない。どんなに優秀に見える人にも劣等感は存在する。目標がある限り、劣等感があるのは当然なのだ。

 

・遺伝もトラウマもあなたを支配してはいない。どんな過去であれ、未来は「今ここにいるあなた」が作るのだ。

 

・これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もありません。

 

・「暗い」のではなく「優しい」のだ。「のろま」ではなく「ていねい」なのだ。「失敗ばかり」ではなく、「たくさんのチャレンジをしている」のだ。

 

・感情はクルマを動かすガソリンのようなもの。感情に「支配」されるのではなく「利用」すればよい。

 

 

◆池田SGI会長の言葉

・「命ある限り、自分は“宇宙の全財宝よりも素晴らしい財産をもっているんだ”と自覚していただきたい。そして、その財宝を限りなく輝かせていくのが妙法の信心の力なのです」

 

指導者は相手のグチもよく聞いてあげなさい 末法は「愚癈の衆生」です。 聞いてあげるしかない。「聞く」ことが修行です。また皆が何でも言いやすいような「雰囲気」をつくることも大事だ。“鬼も近づかない”ような恐い雰囲気では、どうしようもない。

 

名優の如く輝け 人生、何かを始めなければいけない。 やるんだか、やらないんだかーすぐに舞台の裏に隠れてしまうような、そんな人生ではつまらない。使命の舞台に颯爽と立ち「何かをやってみせるぞ!」「観客に感銘を与えてみせるぞ!」―こういう人生でありたいと思うが、どうだろうか。

 

・人材はいないのではない。必ず人物はいる。見る眼をもって、見出すならば! 必ず人材は出る。その人を信じて、伸ばすならば!

 

パッと開ける時が来る ある有名な柔道家がいた。師匠に投げられ抜いてクタクタになって、どうしようもなくなった時にふっと心に宿るものがあった。その時心技一体になって勝つことができたと。本もよくわからなくても一生懸命に読んでいくうちに、パッとわかる時がくる。何でも「心」なんです。

 

 

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武田信玄「五分の勝利を上とす」(1)

賢将は「五分」の勝利を上とす
―『私の人間学(下巻)』池田大作著p.116~から抜粋―

「勝負」に関しての武田信玄の考え方は、まことに意味深いものがある。信玄は何点か述べているが、一つは、個々の勝負に対する余裕ある心構えである。信玄は、合戦における勝敗について「十分(を)、六分七分の勝は十分の勝なり」(磯貝正義・服部治則校注『甲陽軍鑑』人物往来社)とした。

つまり、十のものならば六分か七分勝てば十分であるとし、とりわけ大合戦においてはこの点が重要であるとした。そして「子細は八分の勝は、あやうし、九分十分の勝(は)、味方大負【みかた・おおまけ】の下作也【したつくり・なり】」(同前)という。

また信玄は、戦いでの勝利は、五分をもって「上」とし、七分をもって「中」とし、十分をもって「下」とする、と常々、語っていた。それはなぜか。五分の勝利は励みを生じ、七分は怠りをもたらす。十分の勝利は傲りを生むからである。五分ならば “半ば敗れたが、半ば勝った。次こそ頑張ろう” と励みの心を起こす。まして十分も勝ってしまったら、必ず傲りの心を生じる、と。こうした理由から、信玄は、あえて六、七分の勝ちを越そうとはしなかったという(岡谷繁実『定本名将言行録〈上〉』新人物往来社)。

(中略)
徳川家康にとって、生涯ただ一度の負け戦――それは、信玄と覇を争った元亀3年(1572)12月の三方ヶ原【みかたがはら】の戦いであった。兵力のうえでも劣っていた家康の軍は、周到な計画と万全の態勢で臨んだ武田軍に完敗した。それも敗走中に家康が失禁したとのエピソードも伝わるなど、完膚なきまでの敗北であった。
(中略)
以来、家康は、信玄の軍学を自らのものとし、戦国の世を勝ち抜き天下を取った。そして265年にも及ぶ徳川幕府の基【もとい】を築いたのである。

敗北が、次の勝利への因となる場合がある。反対に、勝利の時に敗北の原因をつくることも多い。家康は、三方ヶ原の戦で信玄に敗れた。しかし、そこから信玄の兵法を学び、最後は天下人としての大勝利を得た。つまり、自らの大敗を、より大きな勝利への源泉とすることができた。ここにも、家康の、指導者としての度量の大きさがうかがえる。

 

執念をもって勝ちきっていくことは大事なことである。だが100点満点を取れなかったとしても、それを次の勝利への因とすることはできる。決して負けることの弁解に利用してはならないが、時には目先の勝ちより大事なものがある。

 

 

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