獅子の道

Ⅴ字の雲-池田先生が北海道にて撮影。

 

広宣流布とは、「獅子の道」である。
何ものをも恐れぬ、
「勇気の人」
「正義の人」
「信念の人」でなければ、
広布の峰を登攀【とうはん】することはできない。

そして、「獅子の道」はまた、
師の心をわが心とする、
弟子のみが走破し得【う】る
「師子の道」でもある。

<新・人間革命 第5巻「獅子」の章 -19.2.7付聖教2面>

 

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仕事をしない人は絶対に信用しません-指導集(11)

●人間革命第10巻[第2版] 跳躍の章 聖教ワイド文庫

(p218~ 戸田先生の指導)
「日蓮大聖人の遺された御本尊の功力によって、私たちは、金のない人は金ができ、体の弱い人は丈夫になります。私たちの願いは、このような相対的な幸福を願っていながら、将来は、絶対的幸福境涯に入るんです。

絶対的幸福など、あなた方は願っていない。願っていないのに、あなた方は、そうならなければならない。まことに、いやでしょうけれども、絶対的幸福というのは、どこにいても生きがいを感ずる境涯。どこにいてもですよ、どこにおっても生きている自体が楽しい。したがって、その人のいるところは、いつも明るい。喧嘩などありません。腹の立つことがあっても、愉快に腹が立つ――そういう境涯になったら嬉しくありませんか。早く、予想もしなかった絶対的幸福を、一人ひとりが得られんことを希望して、私の講演を終わります」

(p224~)
弘教の歓喜は、会員はもちろん、参加者全員をつつみ、皆が感動の涙で手を取り合ったのである。だが、一部の会員のなかには、もともと仕事が不調であったせいもあるが、仕事で努力するよりも、活動にさえ励んでいれば、生活も楽になるかのように錯覚している人もいた。道理に合わない、生活の基盤を全く無視した行き方である。伸一は、そうした人たちを見かけると、その誤った信心の姿勢を突き、叱咤した。

「私は、仕事をしない人は絶対に信用しません。日蓮大聖人の仏法に照らしても、信用してはならないことは明白です。仕事に憂【うれ】いがあるようでは、思いきった戦いができるはずもありません。本当の信心は、そんな甘いものではない。『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(御書992㌻)です。また、『御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ』(御書1295㌻)とも言われ、厳しく戒められています。

”信心で飛び回っていれば、なんとかなるだろう”という考えは、大聖人の仏法ではありません。今は苦しくても、歯を食いしばって、仕事にも信心にも頑張る時です。『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(御書1253㌻)――大丈夫です。御本尊は、すべてをご存知です。今は、いつまでも冬が続くように思っているでしょうが、決してそんなことはない。間もなく必ず春が来ます。今は、頑張る時です。しっかりやりましょう」 伸一の熱情こめた指導に、「信心即生活」の自覚を新たにした人たちは、見る見る血色を蘇らせ、奮起するのであった。

 

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民衆の奴隷であってこそ本当の王者 -指導集(10)

◆池田SGI会長の指導

・ベートーヴエンが交響曲「田園」をつくった。もう、かなり耳は聴えなくなっている。しかし心の中には「田園」の鳥の声がさえずっている。小川のせせらぎが聴こえて田舎の人々の楽しい集いの声が聴こえている。激しい嵐の音も、嵐のあとの、さわやかな自然のたたずまいも、全部、ベート-ヴエンの「己心の中」にある。己心中の大自然を、彼は人類に伝えたのです。耳が聴こえなくても、仏法を知らなくても、それだけの境涯があった。いわんや、妙法を行じる人が、己心の宇宙を大きく広げられないわけがない。「妙」には「開く」という意義がある。広々とした己心の宝の世界を開くための信心です。何があっても楽しんでいける境涯をつくるのです。

 

♦︎民衆に尽くす無冠の王者♦︎
私だって毎日、朝から晩まで民衆の奴隷のようなものだ。それでいい。それが本当の王者だと思っている。 権力で自分を飾っていくのではない。(権威や財産や栄誉や名声など)それらをかなぐり捨てて「妙法以上の宝はない」と信心に徹した時、善の「妙荘厳王」となる。

 

・信心が燃えていれば、全宇宙がその人を守る。 「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」 大聖人が繰り返し引いておられる一句です。 「信心の強さによって、諸天が守る強さが決まる」と。 信心している人間が「大将軍」になれば、その家来である諸天善神は、元気一杯に働く。

 

・ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」にはならない。 折伏をやろう!広宣流布をやろう!―この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。

 

・病気になることは、決して敗北ではない。信心が弱いからでもない。広宣流布に生き抜く中で起きた病気という苦難は、成仏を阻もうとする魔の働きである。ゆえに怯んではならない。勇敢に立ち向かって、一生成仏を勝ち開いていく勇気を教えられているのです。大事なことは、病気になった時こそ、いよいよ強盛の大信力を奮い起こしていくことです。

 

♦︎魔が競った時こそ♦︎
戸田先生は語っている。 「魔が強いからこそ、勝てるのだ。信心が毅然として、その上で魔が強いということは、必ず勝てるという証拠なのである。要は自分自身の信心の決心にかかっている」 魔が競い起こった時こそもう一歩も二歩も大きく成長していくチャンスなのである。

 

・折伏以外に信心はない。折伏が根幹です。折伏をしなくなっては、学会の生命はありません。折伏を行った人、また、折伏をする人、また、折伏をするように指導する人・激励した人には、どういう人生であっても、それだけの功徳がある。反対に、どんなに信心をしていようと、折伏に挑戦しない人の人生は、最後には崩れてしまうのです。

 

・人間は、苦境に負けるのではない。自分自身に負けるんです。自らあきらめ、信念を捨て去り、敗れていくんです。今は、どんなに苦しくとも、広宣流布という最高の目的に生き抜いていくならば、十年後、二十年後には、絶対に花開かないわけがないと、私は断言しておきます。

 

・「どうせ」という言葉を捨てよう。 「無理だ」という言葉も捨てよう。 今どんな状況にあろうとも、こう自分に言い聞かせて生きていくべきだ。 「自分は、最後に勝つに決まっている!」 「自分の家族こそ最高の家族なんだ!」 「自分は既に世界で一番幸福な人間なんだ!」と。

 

・本当のリーダーの戦いは、まず自分が前へ進むこと。その姿を見て、皆は奮い立つ。自分が前進しなければ、どんな立派なことを言ってもダメだ。やっているふりだけでは人はついてこない。きょうも、どれだけの人と会い、語り、励ましたか。どれだけ祈り、智慧を出し、新しい道を開いたか。いくら時間をかけても、口先は立派でも、効果が出ないといけない。勝つための手を打っていく。それが戦(いくさ)だ。

 

・戸田先生「威張ってはいけない、大聖人の仏法の講義をさせていだけること、そして皆が講義をさせていただけること、そして皆が講義を聴いてくれることに感謝しなさい」

 

・人を動かすのではなく、まず、自分から動く。みずから率先して行動する。それでこそ人は信頼し、動きだすのである。

 

・「正しき人」が悪の上に立たねばならない。そして、正しき人が力を存分に発揮しゆくことだ。正しき人に活躍の場を与え、力を与えていくことである。それでこそ組織は悪を正し、悪を排除しながら、まっすぐに伸びていくことができる。

 

♦︎日興上人と五老僧の違い♦︎
師の教えを「知っている」から偉いのではない。「師の教えは素晴らしい」とは誰でも言える。 「だから何としても人々に伝えていくのだ」 これが日興上人であられる。 「だから、それを知っている自分はすごいのだ」 これが五老僧ではなかっただろうか。

 

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本当の失敗とは -指導集(9)

 

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唱題こそ悩みの万能薬 -指導集(8)

先生のご指導と聖教新聞等からの抜粋です。

 

・唱題できるという事がどれほど幸せなことだろう。無明の酔いから醒めるが如く、沈んでいる境涯もみるみる蘇ってハツラツとした命に変化する。あまりにも不思議な「悩みの万能薬」である。大富豪に生まれるよりも、絶世の美女として生きるよりも、御本尊と共にある人生のほうが遥かに幸せなことなのだ。

 

・信心とは、無限の希望です。たとえ状況がどんなに悪かろうと、すべて負け戦のように見えたとしても、その中から「何くそ!」と思って立ち上がり、妙法の無眼の可能性を実証していくのです。それが、信仰の本義ではないだろうか。無から有を生み出していくような、生死をかけた戦いなくして、本当の「信心」はわからない。損を得に、悪を善に、醜を美に変えていく――価値創造の壮絶な戦いが、「創価の心」です。それが「信心」です。

 

◆後輩のために自分が堂々と幸福になれ◆

・自分自身が幸福の春を勝ち取らねばならない。後輩の人がその姿を見て「信心を続けた人はあんなに立派になり、幸福になるのだ」と喜んでいかれるだけの歴史を示してあげねばならない。

 

・この悩みを解決したい、あの願いをかなえたいと、本気になって信心の実践に励めば、いままでその人の生命を弱く濁らせていた第六天の魔王が驚いて、低い迷いの境涯から離れさせまいと反発するのは当然です。急流を木でかけば波がおこり。眠れる獅子に手をつければ吠えるのは道理です。転重軽受の法門を実践し、高く広々とした境涯に前進する勇気ある信心を貫きたいものです。

 

・「全部、自分が一生成仏するための勉強だ」と思えたら、すべては解決する。人のせいにする愚癡の心がある分だけ、宿命転換は遅れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、御本尊に祈りきっていけば、必ず道は開ける。

 

・いやな思い、苦しい思いをすることがあったとしても、それらはすべて魔の所作によるものであることを見破り、それらをつきぬけて毅然と勤行・唱題に励み、広布の活動を力強く推進しゆくことじたいが信心強き仏界の人生なのである。

 

・われわれにとって大事なことは、なんといっても勤行である。信心の縮図は勤行に尽きる。たくさんの先輩のなかで今日の栄冠を勝ち得た人は、勤行をたゆまず、忍耐強くやりきってきている。それに反して、要領のいい、はったりの人は勤行の実践をおろそかにしていた。一日の活動の源泉である勤行を避けてしまったならば、いくら作戦を練ろうが実るはずがない。勤行こそ宿命転換の第一歩の原動力であり、勤行を真剣にやっている人は顔色もいいし、怨嫉など起こさないし、会うたびごとに成長している。勤行は前進のためのエンジンだ。それを根幹としてリズム正しく、指導どおり戦っていくならば、すべての戦いにかならず勝ちぬいていけることを確信していただきたい。

 

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