臆病にては叶うべからず ー指導集(12)

●勝利の経典「御書」に学ぶ 四条金吾殿御返事(梵音声御書) 13-5月号大白蓮華

この「如意宝珠」について、かつて戸田先生が語ってくださった指導が忘れられません。それは昭和30年(1955年)7月の杉並支部総会でのことです。先生はまず、「如意宝珠とは、心のままに宝を出【いだ】す珠のことをいうのです。家がほしいと思えば家ができ、金がほしいと思えば金ができ、なにひとつとして心のままにならぬものはないという珠を、無上宝珠というのです」と、私たちに分かりやすく教えてくださいました。

そして凛然と語られました。「御本尊様は、しからば、なにごとを求めても得られるか。はっきりと私は申しあげます。いかなる願いも、かなわないことはないのです」 叶わない願いなど断じてない!――恩師の烈々たる宣言でした。私たちも、この大確信で心して進んでまいりたい。妙法を信じ抜き、題目を唱え抜き、果敢に実践し抜いていく限り、絶対に行き詰まりはありません。信心があれば、私たちの胸中に如意宝珠の御本尊が厳然と輝きわたっているからです。

●座談会拝読御書の拝読の参考から 13-2-5

釈尊の弟子の一人に、阿難がいます。「多聞第一」と言われた高弟です。釈尊と阿難との対話が、仏典には次のように記されています。

阿難が尋ねます。
“私どもが善【よ】き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、すでに仏道の半ばを成就したに等しいと思われます。この考え方は、正しいでしょうか”

釈尊が答えます。
“阿難よ、その考え方は、正しくない。善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである”

同志と一緒に進み、一緒に苦労することは、仏道の全てである――この仏法の精神を、その通りに実践してきたのが創価学会です。時には、皆と一緒に進むことが面倒だと感じられる時があるかもしれません。一人で好きに生きるほうが気楽かもしれません。しかし、それでは、わがままになり、本当の仏道修行はできません。

さまざまな人がいる中で苦労しながら、一緒に成長しようと励まし合っていくところにこそ、仏道修行があり、人間革命があります。互いの良さをたたえ合い、支え合って、どんな時も同志と共に広布へ進んでいきましょう。

●本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 98-4月第21回本部幹部会から

一、有名な「撰時抄」には仰せである。「漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかども いまだ日蓮ほど法華経のかたうど(方人)して国土に強敵多くまう(儲)けたる者なきなり、まづ眼前の事をもって日蓮は閻浮提第一の者としるべし」(同283㌻)

――これまで、中国や日本に、智慧も勝れ、才能もすばらしい聖人は、たびたび出現したが、いまだ日蓮ほど法華経の味方をして、国土に強敵を多くつくった者はいない。まず、この眼前の事実から、「日蓮は世界第一の者である」と知るべきである――。

われらは、この大聖人に直結し、三類の強敵を呼び起こし、打ち破りながら、広宣流布の大道を切り開いてきた。これが初代、2代、3代にわたる創価学会の会長の誉れである。創価学会こそ、仏意仏勅の一閻浮提第一の団体である厳然たる証明なのである。

少々の非難や批判で退転するのは、まことの信心ではない。これほど、はかないことはない。戸田先生は厳しく言われた。「そんな連中は、学会にいてもらう必要はない。臆病者はじゃまになる!」と。そういう厳しさのなか、退転せずに信心を貫いた方たちが、今日の学会を築いたのである。絶対に退転だけはしてはならない。

大事なのは勇気である。意気地なしではいけない。意気地なしでは、妻に笑われ、子どもに笑われ、友人や世間からも笑われるであろう。「わが門下に意気地なしはいらない」――そう大聖人は仰せである。〈「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(同1282㌻)等〉

戸田先生も、同じように教えられた。牧口先生は、獄中で、特高刑事らの苛烈な取り調べに対しても、毅然たる折伏精神で、正義を訴え、真実を語った。当時の状況を知っている人は、それがどれほど勇気ある行動だったか、想像できるであろう。皆さまも、相手がだれであろうと、こと正義に関しては、こびたり、へつらったりしてはならない。臆病であってはならない。堂々と、言うべきことを言いきっていくべきである。正義を、真実を叫びきっていただきたい。

 

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始より終りまで、いよいよ信心をいたすべし

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→始より終りまで、いよいよ信心をいたすべし《再掲》

残り一日、悔いなき戦いをします!

 

 

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昨年の唱題372万遍

一日で記事3連投目となり申し訳ありません。記録を集計しますと昨年2018年の唱題数の合計は372万6千遍でした。一年間400万には及びませんでしたが、私の記録の中で過去最高だったのは間違いありません。ここでまた御書を学びましょう。

大地はささばはづ(外)るるとも
虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも
潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも
日は西より出づるとも

法華経の行者の祈りの
かな(叶)はぬ事はあるべからず
(祈祷抄 御書1351㌻)

改めて大確信の祈り、広布誓願の祈りを持続していきます。

 

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栄光の年から創価勝利の年へ

池田先生が北海道の同志に贈った揮毫「栄光の山」。

今年最後となりますが御書を拝しましょう。

只(ただ)南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば
滅せぬ罪やあるべき
来(きた)らぬ福(さいわい)や有るべき、
真実なり甚深なり是(これ)を信受すべし

(「聖愚問答抄」御書497㌻)

[通解] ただ南無妙法蓮華経とだけ唱えるならば、滅しない罪があろうか。訪れてこない幸福があろうか。このことは真実であり、極めて深い法門である。これを信受すべきである。

[大意] 唱題の偉大な功力を教えられた一節です。

[一言感想] この御文にある通り、最高の真実かつ甚深の題目を今年も存分にあげきることができました。無事故で全ての戦いに勝利することができ、これ以上の喜びはありません。亡くなった父も霊山で安心して見守ってくれていると確信します。(今年残り数日も油断なく頑張ります)

来年こそは、いよいよ勇気を取り出して自行化他の実践に励み、一段と勝利の実証を示していきます。本年も多くの方々にお世話になり、本当にありがとうございました。よいお年をお迎えください。

(平31.1.4 加筆しました)

 

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貧乏の鉄鎖を切る(10)

約8年前に書いた記事を微修正して再掲します。

★日厳尼御前御返事 p1262

叶ひ叶はぬは御信心により候べし
全く日蓮がとがにあらず、
水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく
みなの御心は水のごとし

信のよは(弱)きはにご(濁)るがごとし、
信心の・いさぎよきはす(澄)めるがごとし、
木は道理のごとし
風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ

願いが叶うか叶わないかは信心の厚薄によるのであり、大聖人の失【とが】ではないとの仰せです。ともすると我々凡夫が陥りがちな「他力本願的」な考え方を、根本から打ち破られています。この御抄を頂いた日厳尼は、ご供養とともに何らかの願いを書いた願文を、大聖人に送りました。そこには御本仏に直接、願いを訴えれば、必ず願いを叶えてもらえるのではないか、との甘えがあったと考えられます。

順調な時はついつい感謝を忘れ、苦境に陥った時には不平・不満が出る。あるいは、ふだんの地道な祈りと実践もなく、困った時にだけ御本尊を頼る、身勝手な信心であってはいけません。どこまでいっても「心こそ大切なれ」であり、水の流れるような弛【たゆ】まぬ信心が大切です。御書講義録には、次のように述べられています。

「願いが叶わないのは、御本尊に力が無いからではなく、信力、行力が弱いからである。仏力、法力は無限である。しょせん、甘えた信心だからであり、真剣な祈念を欠き、心の底から信じて祈っていないからである。その心の不信が、そのまま現実の姿のうえに現れているにすぎないことを知るべきであろう」

★王舎城事 p1138

御いのりの叶い候はざらんは
弓のつよ(強)くしてつる(絃)よはく
太刀つるぎ(剣)にて
つかう人の臆病なるやうにて候べし、
あへて法華経の御とがにては候べからず

同様に、ここでは祈りの叶わない理由を、その人自身の臆病である、と断じられています。

★聖人御難事 p1190

彼等にはただ一えん(円)におもい切れ
よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ
ひだるし(空腹)とをもわば餓鬼道ををしへよ、
さむしといわば八かん(寒)地獄ををしへよ、
をそろししと・いわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)
ねこ(猫)にあえるねずみ(鼠)を
他人とをもう事なかれ、

此れはこまごまとかき候事は
かくとしどし(年年)・月月・日日に
申して候へども
なごへ(名越)の尼 せう(少輔)房
のと(能登)房・三位房なんどのやうに候、

をくびやう(臆病)物をぼへず
よくふか(欲深)く・うたがい多き者どもは
ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけ
そら(空)をきり(切)たるやうに候ぞ。

熱原の法難の渦中の人々に対して、善くなるなどということは不思議と思うべきであり、これからも、ますます厳しくなると覚悟を決めよ、との仰せです。一般的にも、甘い観測を捨て、最悪の事態に対処してこそ、困難を乗り越えていけるものです。餓鬼道や八寒地獄、食う食われるの動物の譬えは、残忍な権力者からの迫害に負けて退転したならば、今の飢えや寒苦や恐怖よりも、さらに深く逃れがたい三悪道におちてしまうとの意味です。

はるかな過去世から三悪道を流転し、今ようやく正法に巡り合って、そこから脱出できるチャンスをつかんだのです。そこから逃れようとしている今、これら三悪道の苦が、ある意味では凝縮しておそってきているのです。信心を貫き通して、根本の大苦から逃れ出る最高の機会なのです。そして退転者の名を挙げて、彼らの本質には4つあることをご教示されます。このことから逆に、信心において大事なことが何であるかが明確になります。

★曾谷殿御返事 p1056

涅槃経に云く
「若し善比丘あつて法を壊(やぶ)る者を見て置いて
呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し
挙処(こしょ)せずんば
当に知るべし是の人は
仏法の中の怨(あだ)なり、
若し能く駈遣し呵責し挙処せんは
是れ我が弟子真の声聞なり」云云、

此の文の中に
見壊法者(けんねほうしゃ)の見(けん)と
置不呵責(ちふかしゃく)の置(ち)とを
能く能く心腑(しんぷ)に染む可きなり、
法華経の敵を見ながら置いてせめずんば
師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、

南岳大師の云く
「諸の悪人と倶(とも)に地獄に堕ちん」云云、
謗法を責めずして成仏を願はば
火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし
はかなし・はかなし、

何(いか)に法華経を信じ給うとも
謗法あらば必ず地獄にをつべし、
うるし(漆)千ばいに蟹(かに)の足一(ひと)つ
入れたらんが如し、
毒気深入・失本心故(しっぽんしんこ)は是なり

謗法と決して妥協するな、法華経の敵を責めよ、との叱咤・ご命令です。挙処とは、謗法の者の罪を1つ1つ挙げて、責めることです。

うるし千杯・かに足一つの譬えは、膨大なうるしも、たった一つの蟹足【かにあし】を入れたことによって、ダメになり使えなくなります。いかに一生懸命信心をしても、法華経の敵を見て折伏しないでいれば、謗法にも通じることであるから、無間地獄に堕ちてしまうという意味です。今年の大白9月号p35に次の戸田先生の言葉が紹介されています。

「悩みがあるならば、折伏をするのだ!」
「折伏の中で自身の宿命転換もできるのだ!」

経済革命に限らず、自他の宿命の転換のために、眠れる勇気を奮い起こし、地涌の誓いを果たし抜いていきます。長文になり申し訳ございません。

 

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