学会指導, 御書・教学

昨日、御書の全編拝読3回目を完了しました。1回目は6年、2回目は17年、3回目は11年かかりました。今回は全て声に出して読みました。拝読完了して正直、少しホッとしていましたら、ほぼ時を同じくして、聖教の声の欄に、75歳で御書を10回読了した方の投書が載っていました。御書に興味を持って57年前に入会、読めども難しくて理解できず・・・。御書との距離が空いてしまったそうです。それでも、御書は信心を始めた原点だったそうで、42歳の時に決意したそうです。

「1回や2回の読了ではだめだ。10回読了すれば、毛穴からでも頭に入る。何年かかっても挑戦し、これを自分史にしよう」と。

10回の読了は、何度も挫折しそうになりましたが、”食らい付いていく”精神で続けていったそうです。この間、数回の入院を経験するも、その度に御文に励まされたそうです。33年かけて10回の御書読了を果たし、「表も裏表紙もボロボロになった御書は、私の宝物です」と結ばれていました。(6月5日付)

「座して御書を読む暇があったら、徹して折伏に歩くべきである」との指導もあります。だからこそ、実践の中で御書を拝読することは、勇気の源泉となり、正しい実践のあり方を学ぶことにもなります。何より、御書を読むことは、日蓮大聖人から直々に激励・指導を受けるようなものです。難を恐れぬ巌【いわお】の如き確信、門下をこれほどまでにと慈愛するお心、民衆を苦しめる悪を断じて許さぬ闘争心、等々。

激戦のなか寸暇を惜しんで御書を拝読することは、大変な時もありました。いうに言われぬ、人生の重大な局面に立たされた時も、何度もありました。その度に御書を拝し題目を唱えると、生命の奥底からの蘇生がありました。時には、確信が揺らいだり、己心の魔に敗れかかっている時にも、御書を拝すると、あたかも自分のそばに大聖人が立って見守ってくださるかのような、奥底からの安心を得ることができました。「負けてなるものか。戦おう!」との一念の転換を、その度に果たすことができました。

もちろん、御書の正しい読み方を教えてくれたのは三代の会長であり、創価学会の諸先輩方が慈愛と忍耐をもって、訓練し教えてくださったお陰です。どれだけ感謝しても感謝しきれるものではありません。ここで池田先生の指導を紹介します。

「御書をわかるためには、文学を読むことです。文学を読むことによって、御書もわかるようになる。御書も、文学も、人間模様を表したものです」
(『青春対話』の「文学との語らい」の章から)

自分らしくこの指導を実践してきました。『レ・ミゼラブル』『モンテクリスト伯』『ジャン・クリストフ』『大地』『新・平家物語』『三国志』『長い坂』『ゴリオ爺さん』『宮本武蔵』『九十三年』などなど。これまでに読了した書籍は記録にあるものだけでも約800冊になります。今では、その全てが心の財宝であり、御書を深く読む助けになっています。御金言に次のようにあります。

「仏法は摂受・折伏時によるべし」
「雞の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり、権実雑乱の時 法華経の御敵を責めずして山林に閉じ籠り摂受を修行せんは豈 法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
「法華は折伏にして権門の理を破す」
「大願とは法華弘通なり」

これらの御文を心肝に染め、これからも弥弥【いよいよ】、御書根本、題目根本で、勇気ある実践を貫いてまいります。

(令和元.6.19 修正しました)

 

三十数年間、使い込んでボロボロになった御書。

 

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メンタル・心理学・健康, 信仰体験, 学会指導, 御書・教学, 題目闘争

信仰体験集のページに、新たに北海道在住のMさんの信仰体験を、ご本人の了解を得て追加しました。体験の題名は、
『創価の信仰は生きぬく力の源泉』
です。

閲覧にはパスワード入力が必要ですので、次のページの説明をよく読んで操作してください。

→信仰体験集

 

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学会指導, 音声・動画資料

 

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学会指導, 御書・教学, 指導集

●勝利の経典「御書」に学ぶ 四条金吾殿御返事(梵音声御書) 13-5月号大白蓮華

この「如意宝珠」について、かつて戸田先生が語ってくださった指導が忘れられません。それは昭和30年(1955年)7月の杉並支部総会でのことです。先生はまず、「如意宝珠とは、心のままに宝を出【いだ】す珠のことをいうのです。家がほしいと思えば家ができ、金がほしいと思えば金ができ、なにひとつとして心のままにならぬものはないという珠を、無上宝珠というのです」と、私たちに分かりやすく教えてくださいました。

そして凛然と語られました。「御本尊様は、しからば、なにごとを求めても得られるか。はっきりと私は申しあげます。いかなる願いも、かなわないことはないのです」 叶わない願いなど断じてない!――恩師の烈々たる宣言でした。私たちも、この大確信で心して進んでまいりたい。妙法を信じ抜き、題目を唱え抜き、果敢に実践し抜いていく限り、絶対に行き詰まりはありません。信心があれば、私たちの胸中に如意宝珠の御本尊が厳然と輝きわたっているからです。

●座談会拝読御書の拝読の参考から 13-2-5

釈尊の弟子の一人に、阿難がいます。「多聞第一」と言われた高弟です。釈尊と阿難との対話が、仏典には次のように記されています。

阿難が尋ねます。
“私どもが善【よ】き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、すでに仏道の半ばを成就したに等しいと思われます。この考え方は、正しいでしょうか”

釈尊が答えます。
“阿難よ、その考え方は、正しくない。善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである”

同志と一緒に進み、一緒に苦労することは、仏道の全てである――この仏法の精神を、その通りに実践してきたのが創価学会です。時には、皆と一緒に進むことが面倒だと感じられる時があるかもしれません。一人で好きに生きるほうが気楽かもしれません。しかし、それでは、わがままになり、本当の仏道修行はできません。

さまざまな人がいる中で苦労しながら、一緒に成長しようと励まし合っていくところにこそ、仏道修行があり、人間革命があります。互いの良さをたたえ合い、支え合って、どんな時も同志と共に広布へ進んでいきましょう。

●本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 98-4月第21回本部幹部会から

一、有名な「撰時抄」には仰せである。「漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかども いまだ日蓮ほど法華経のかたうど(方人)して国土に強敵多くまう(儲)けたる者なきなり、まづ眼前の事をもって日蓮は閻浮提第一の者としるべし」(同283㌻)

――これまで、中国や日本に、智慧も勝れ、才能もすばらしい聖人は、たびたび出現したが、いまだ日蓮ほど法華経の味方をして、国土に強敵を多くつくった者はいない。まず、この眼前の事実から、「日蓮は世界第一の者である」と知るべきである――。

われらは、この大聖人に直結し、三類の強敵を呼び起こし、打ち破りながら、広宣流布の大道を切り開いてきた。これが初代、2代、3代にわたる創価学会の会長の誉れである。創価学会こそ、仏意仏勅の一閻浮提第一の団体である厳然たる証明なのである。

少々の非難や批判で退転するのは、まことの信心ではない。これほど、はかないことはない。戸田先生は厳しく言われた。「そんな連中は、学会にいてもらう必要はない。臆病者はじゃまになる!」と。そういう厳しさのなか、退転せずに信心を貫いた方たちが、今日の学会を築いたのである。絶対に退転だけはしてはならない。

大事なのは勇気である。意気地なしではいけない。意気地なしでは、妻に笑われ、子どもに笑われ、友人や世間からも笑われるであろう。「わが門下に意気地なしはいらない」――そう大聖人は仰せである。〈「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(同1282㌻)等〉

戸田先生も、同じように教えられた。牧口先生は、獄中で、特高刑事らの苛烈な取り調べに対しても、毅然たる折伏精神で、正義を訴え、真実を語った。当時の状況を知っている人は、それがどれほど勇気ある行動だったか、想像できるであろう。皆さまも、相手がだれであろうと、こと正義に関しては、こびたり、へつらったりしてはならない。臆病であってはならない。堂々と、言うべきことを言いきっていくべきである。正義を、真実を叫びきっていただきたい。

 

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学会指導, 題目闘争

令和元年おめでとうございます。ゴールデンウィークに、平成最後の10時間を行ないました。4月29日に7時間、30日に3時間と二日間かけて完遂しました。10時間唱題はこれで8回目やり切りました。「また題目の話か」と思った方はどうぞ読みとばしてください。

唱題は質も量も両方大事との、質問会での先生の指導がありました。その上で、単なる数自慢、時間自慢であったり、時間にこだわる余り時計ばかりを気にするダラダラ題目、あるいは口では唱えていてもスマホをいじったりするナガラ題目であれば、長時間する意味がないです。かえって信仰への誤解を周囲に与えかねない場合もあるでしょう。

池田先生は一遍の題目にも、仏の智慧をもってしても計り知れないほどの、無量無辺の功徳があるとご指導されました。御書には何時間あげなさいとは、一切書かれていないことを紹介し、自発的に決意し時間の目標を立てるのは良いが、人に強制したり、組織で一律に長時間の唱題をすることは、無理・事故につながる場合があるので行うべきでないと指導されています。

それを銘記しつつ、やはり、10時間は大変ですが、自身や地域のことから、世界的スケールのことまで、心ゆくまで祈ることができたのは最高に満足しました。最近拝読した御書には、白鳥と輪陀王の故事を通して、「諸天善神は南無妙法蓮華経の題目を唯一最高の法味として食し、威光勢力を増すのである。題目の法味をなめた諸天は盛んに生命力を増し、得た力で法華経の行者を守りに守るのである(趣旨)」とありました。今回の唱題を勢いに変えて、下半期の戦いに向けて着実に駒を進めます。

 

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