1分間動画が面白い

SOKAネットチャンネルで「1分間動画シリーズ」というのが始まったようです。いくつか紹介させて頂きます。

→1分間動画2

→1分間動画3

→1分間動画4

→SOKAnetチャンネル

次の動画はSOKAネットとは関係ありませんが、良い動画でしたので付け加えておきます。

→生い立ちと師との出逢い

 

 


万祈を修するよりも一凶を禁じよ

約40年前の先生のご指導を聞きました。

→中野兄弟会総会

 

 


配達により健康面の功徳を頂きました。

配達に関する近況です。まず1枚目の写真は、新しく購入した装備です。左が膝サポーターで右が新しい靴です。膝サポーターは今まで一度も使用したことがなかったのですが、階段の上り下りの時に右膝に痛みがあるので試しに購入してみました。実は三桁近い体重があるために、膝へ負担がかかっていたのです。膝サポーターをした後は、痛みがなくなり上り下りが楽になりました。

次に靴の方は、古い運動靴が安価のためか、1歩1歩歩く度に結構大きな音がするのです。かかとのクッションが潰れたか何かで、余りにも音がうるさいので、今回、メーカー品に買い替えてみました。さすがに履き心地もよく音も全くしなくなりました。

最後に、2枚目の画像ですが、血液検査の結果です。左から3列目の数値がちょうど1年前、4列目が今回の数値です。昨年は、総コレステロールと中性脂肪が余りに酷い結果で、結果を見たドクターから直ぐに電話が来たくらいでした。(H = 高いのマークが付いています) 採取した血液が「乳び」という状態でもあったようで、心配されました。自分なりに結構高価なサプリを飲んだりもしましたが、ドクターいわく、

「サプリの効果というよりは、新聞配達を週5日に増やしたのがよかったようですね」

とのことで、自分もホッと安心することができました。ほぼ毎日、約1時間の配達が終わる頃には体がほてり、汗が出ます。かなり良い運動になっているのです。自分のため、そして、広布のお役に立つためにも、健康以上の大事な功徳はないと思います。うれしくもあり改めて感謝を深くした出来事でした。これを機により一層、食生活や運動習慣に気を付け、報恩感謝の戦いをしていきます。

 

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今年だけで200万遍

 

本日、今年だけで200万遍のお題目をあげました。ほぼ毎日2時間30分を持続しています。再発心してからの32年間の通算では4709万遍となりました。自分らしく徹して御本尊様と向き合ってきました。これからも、いかなる苦難があろうとも紛動されず、とにかく1に題目、2に題目で歩んでいきます。唱題行について、7年前に書いた記事を微修正して再掲致します。

【ここから過去記事の再掲】

題目について思いつくままに、述べさせていただきます。

「題目は難しいです。なかなか上がりません」という言葉をよく聞きます。しかし考えてみれば題目は、本来、万人に開かれた修行法であり、形式だけを見れば、どんな人でも実践できる簡単な方式です。例えば、滝に打たれたりといった荒行や、何千kmを歩くという巡礼の旅も必要としません。体を痛めたり、欲望を断ち切るためと言って難行・苦行も必要ありません。

例えば、1回1回の勤行をするのに百万円札の束を供養する必要もありません。必要なお金は基本的に1円も掛かりません。戸田第2代会長は、線香代としきみ代だけで済む、とも仰っています。さらに出家した僧侶でなくとも唱えられますし、王侯貴族などの一部の特権階級である必要もありません。繰り返しになりますが、唱題行は万人に開かれているのです。

外国人であっても差別はありません。アフリカの人だろうと、アメリカ人、フランス人、中国人、インド人、ブラジル人、ドイツ人、韓国人、等々、どの国も民族も分け隔てなく、同じ題目を唱えることができます。このように修行法が極めて簡単で、万人に開かれているのは、御本仏・日蓮大聖人の万人救済の慈悲の現われなのです。

題目がなかなか上がらない、持続が難しいのは、己心や外からの障魔や惰性、人からの反対に負けてしまうからです。その意味でも、学会の組織について励ましあっていくことが、重要となります。具体的には、会合への参加や、報告・連絡・相談といった連携を取ることが、持続するための生命線ともなります。

そして何より、自分自身が日々、新しく発心していくことが大切です。凡夫の小才・浅智恵で、御本尊の力を「こんなものだろう」と推し量ってしまうのが、最も恐ろしく愚かしいことです。ある意味、唱題にしても信仰実践にしても、悩みがあるからこそ、苦悩が深いからこそ、大きく挑戦していけます。順風満帆な何の悩みもないような生活であれば、なかなか実践できないものです。その意味では、今ある悩みに、感謝してもいいくらいかもしれませんね。

「病によりて道心は起こり候なり」
と御金言にある通りなのです。この「病」という文字を人によっては、「経済苦」とか「家庭不和」「仕事の悩み」などと置き換えても良いかもしれません。病や苦悩があるからこそ、仏道を求める心は起こるのです。人生を真摯【しんし】に見つめ直すチャンスになるのです。まだまだ世界にも身近にも、奥底では題目を唱えたいと思っていても、唱えられない人がたくさんいます。創価の題目を唱えさせて、これ以上ない幸福境涯を、自他共に開いていきましょう。

(平30.7.20 父親に関する記述を稿を改めて記すことにし、本記事からは削除しました)

 

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試練に遭ってこそ本物に鍛えられる(2)

●上野殿御返事p1556~

爰(ここ)に日蓮思ふやう
提婆品(だいばほん)を案ずるに
提婆は釈迦如来の昔の師なり、
昔の師は今の弟子なり・今の弟子はむかしの師なり、

古今 能所不二にして法華経の深意をあらわす、

されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり
愚癡(ぐち)の竜女には智慧の文殊師となり
文殊・釈迦如来にも日蓮をとり(劣)奉るべからざるか、

日本国の男は提婆がごとく
女は竜女にあひに(似)たり、
逆順ともに成仏を期(ご)すべきなり
是れ提婆品の意なり。

(中略)
日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、
剰(あまつさ)へ刀の難は前に申すがごとく
東条の松原と竜口(たつのくち)となり、
一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、

杖の難には

すでにせうばう(少輔房)につら(面)をうたれしかども
第五の巻をもつてうつ、
うつ杖も第五の巻
うたるべしと云う経文も五の巻
不思議なる未来記の経文なり、

(中略)
いま・をもひ・いでたる事あり、
子を思ふ故にや
をや(親)つぎ(槻)の木の弓をもつて
学文せざりし子にをしへ(教)たり、
然る間・此の子うたてかりしは
にく(憎)かりしは・つぎ(槻)の木の弓、


されども終には修学増進して

自身得脱をきわめ・又人を利益する身となり、
立ち還つて見れば
つぎの木をもつて我をうち(打)し故なり、
此の子そとば(率塔婆)に此の木をつくり
父の供養のためにたて(立)てむけりと見へたり、

日蓮も又かくの如くあるべきか、

日蓮仏果をえむ(得)に争(いかで)か
せうばう(少輔房)が恩をすつべきや、
何に況や法華経の御恩の杖をや、
かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。

法華経では、破和合僧の大罪を犯し生きながら地獄に堕ちた提婆達多は、過去世において釈尊の師匠であったことを明かされています。三世にわたる生命の深い次元から見ると、今世は悪逆の弟子であっても、ある時は師匠と弟子の立場が入れ替わり、師と弟子が不二の姿で、法華経の深意を顕すのであると大聖人は仰せです。順縁も逆縁も成仏させる絶大な力が、創価の御本尊に厳然と具わるのです。

次に平左衛門尉の一の家来だった少輔房に、大聖人が第五の巻で頬(ほお)を散々に打たれた杖の難に言及されます。そして、学問成って多くの人に貢献できる身となった者が、自分を厳しく教え導いてくれた父が用いた鞭(むち)の木を、父の墓前に供養した例を挙げています。

さらに大聖人は「少輔房の恩を捨ててはならない」「まして法華経の恩はなおさらである」と仰せになります。「少輔房の恩」とまで表現されていることに、余りにも深いお心が拝せます。凡夫であるから難に直面した時に、恨みや臆病などの心が起こるのはある意味自然なことかもしれない。しかし、いかなる難があろうと退転だけはしてはならない。

難があるからこそ、成仏への道を前進できる。困難に揺るがぬ強い自己を築くことができるのです。難との戦いは己心に仏界を開くために必然の道程なのです。後で乗り越えてみれば、「あの難あればこそ今の自分がある。幸福への直道を歩むことができた」と歓喜とともに振り返ることができます。

信念は試練に遭ってこそ、本物に鍛えられます。いわんや最高の信念である真の信仰に、諸難が起こるのは当然なのです。所願満足の絶対的幸福の境涯を開くための今の試練と確信して、雄々しく立ち向かっていきます。長文を最後まで読んで頂き有難うございました。

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