仕事が途切れない

聖教新聞が読めないのが溜まっているとの投稿をしたばかりですが、その次の日に短期ですが啓蒙が1部できました。
けっこう間が空きました。
購読推進もこの調子で頑張ります。

なかなか聖教を読む時間が取れない理由の1つに、仕事が途切れずに受注が入っているのがあります。
正常に使えなくなったパソコンの修復のあと、HP作成の仕事と続いている。
どちらも数十時間を要する仕事です。

新聞が読めない理由に仕事を言い訳にはできないですが、しっかり1日90分以上の唱題の方は欠かしていませんし、内外の家庭訪問や会合参加もできる限り取り組んでいます。

仕事の入る時期や、その量が絶妙なくらい、私の状況にピッタリなのです。
あくまで仕事ですからそれなり苦労はありますが、負荷がかかり過ぎることなく、何とか無理なくこなしていけるペースで、次々に仕事が入ってくるのです。
祈りが叶っています。

祈って、動いて、語って、努力すれば、ほんとうに叶うんだ、ということを実感しています(笑)。
そんなこと当たり前だろ、とお叱りを受けるかもしれませんが、未だ小さいと言えば小さい、等身大と言えば言えそうな祈りですが、やはり嬉しいですね。

11・18まであと10日間です。
さらに自分らしく勝利の結果をつかんでいきます。

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聖教新聞など

いま数えたら、読めていない聖教新聞が14部溜まっている。
公明新聞日曜版も取り始めたのだが、読みかけが4部溜まっている。

やっと外に打って出れたかな、と思ったら、機関紙の方が疎かになっていた。
一番理想的なのは、啓蒙を推進し、自分も熟読することだが、最近はそのどちらも落第点だ。

聖教は読まないと微妙に一念がずれてくるから恐ろしい。
一生懸命やっているようで、ピントがずれた、独りよがりの、境涯の低い自分に甘んじる傾向が強くなってしまう。
先生、学会総体の動きに遅れをとる、というのは、本当に怖いことなのだ。

「信行学」をしっかりやり切るとは、難しいことだ。
2年~5年位なら多くの人ができるだろうが、10年、20年、数十年とやり切っていくのは並大抵のものではない。

何よりも、題目や学を自分らしくやり切っても、特に化他行=折伏 は特に難事である。

こう考えてくると、いかに自分の戦いに抜けがあるかに愕然とするが、一切は学会活動に含まれる、のだから、もっと自信と誇りを持ってもよいとも言えそうだ。

生身の人間なのだから、時にはスポーツで心身をほぐしたり、自然の中で癒されたり、ゆったりと音楽を聴いたり、といった心の栄養を摂ることも大事だ。
多忙な仕事の上に学会活動をしているのだから、そうしたリラックス・タイムはそうそう持てるものではないが、だからこそ逆に意識して、そうした時間を創り出していくことが必要だと思う。

新聞が溜まった話から心の栄養に話が移ってしまったが、信心が何十年になってくると、毎日読む新聞も同じことの繰り返し、との惰性と無感動が働いてくる。
そこが惰性から慢心へと変わり、やがて魔に食い破られるきっかけとなる、と思う。

聖教を読まない(実は読めないのだが)自分が、仏法に対する怠惰を棚に上げて、聖教には真新しいことが少ない、との批判は的外れである。
それは聖教に対する誹謗であり、自惚【うぬぼ】れや慢心以外の何ものでもないのである。

要は新聞に真新しいことが無くなったのではなくて、原点を見失った自分がそこに存在しているのだ。
自ら常に新しい課題と目標を立てて、それに突き進む時、惰性も停滞も無くなるはずだ。

聖教には感動がないとの囁きがあったとしたら、それは魔の囁きだ。
仏法を人生を賭けて行じる、無冠の民衆王者たちへの冒涜【ぼうとく】である。
その人間は、何が人間としての真実の価値あることかを、完全に見失ってしまった人間である。

繰り返しに飽きるというのは、一見、同感を得られそうだが、そこが「修行」と言われるゆえんでもある。
いわば題目も新聞なども基礎鍛錬であるとも言える。
基礎を疎かにしては、その上に何も立派なものは建てられない。

繰り返しの中にこそ達人・名人への道が開ける。
もちろん持って生まれたものもあるだろうが、数十年~一生涯持続し抜く中にこそ、その中で惰性と慢心を打ち破り、勇猛精進していくことが、何ものにも負けない師子王の自分を築き上げる秘訣なのだ。

池田先生は、太陽も1年365日繰り返し繰り返し昇る、と仰っています。
そして未来部にたいしても、お母さんは毎日毎日食事を作ってくれる。
もし、太陽が休んでしまえば大変だ。
もし、お母さんがご飯支度を休んだら、腹ペコで大変だし(笑)、一家は大変なことになります。
こういう先生のお話だったと思います。

考えてみれば、農夫は繰り返しが嫌だと言って仕事を休めば、収穫は得られません。
サラリーマンももう飽きたと言って出勤しなければ、給料は無しですし、解雇されてしまうかもしれません。
何事も続けることによって、一定の収穫が得られるのは、自然界と社会の道理なのです。

「こういうことを書いてる暇があるなら、新聞読んだら?」
と言われそうですが、ごもっともです。
こうして読む意義を多面的に考察しておくことも、あながち無駄とは言えないと思います。
長文を最後まで読んで頂き有難うございます。


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打って出る

ほんの近場に過ぎませんが今日、市内を21軒周ってきました。
土曜ということもあり会えたのはそのうち11軒、今の戦いの依頼ができたのは7人に留まりました。

私が住んでいる市は東西に長く延びているため、いち市内でありながら、今日1日で60kmほど走りました。
帰宅するまでに要した時間も5時間ほどかかりました。

私は今回の法戦は、なかなかエンジンがかからず、引越しなどもあって、いつまでも調子が出ず、大変にもどかしい思いをし、己心の魔との苦しい戦いが続きました。
土・日ごとに 「今回も行けなかった・・・」 「また、今回も行けなかったか・・・」 と臍【ほぞ】を噛む思いを何度もしました。

個人の目標を三桁プラス4割と決めて宣言したものの、遅々として進まず、余りの不甲斐無さに酷い胃痛に苛まれるほどでした。
連日の唱題会などでやっと、久し振りに打って出ることができ、ホッとしています。

どんな些細に見える勝利にも、その背景には熾烈な攻防戦があります。
それは自己の弱さ=魔 との攻防戦です。
「100万の軍隊に勝つよりも、自己の弱さに勝つことの方がはるかに難しい」
と言われる通りです。

その意味でも、未だ未だほんとうに小さな動きですが、濁りかけていた川が一気に澄み渡るような爽快感を、味わっています。

今日の市内巡回で、少し前に同中に参加させしばらく会えていなかった、仕事の年配のお客さんにも会えましたし、いつもお願いしているが今回はなかなか面と向かって言えなかった人にも何人も頼めました。
そして特筆すべきは、私が小学校時代2年生~5年生の4年間にもわたってお世話になった恩師が、8月下旬に急死なされたというのです。

訪問すると奥さんが出てこられ、亡くなられたとのことで、「線香を上げてください」と促され、驚きの思いも束の間、他宗でしたが題目三唱とご焼香をして、短時間でしたがお悔やみの対話をして、お宅をあとにしました。
いつも快く話を聞いて下さる先生でした。
小学校時代、読み・書き・算数といったことや、人間として一番根っこになる事柄をたくさん教えて頂いた、恩の深い先生でした。

教え子としてこういう大事な節目に伺うことができたのも、法戦に動いているお陰であると感謝の思いが大きいです。

広布の戦いは人により反応は千差万別ですが、1つ言えることは、友人・知人の皆さんの悩める心が、或いは眠れる仏性が、我ら地涌の菩薩の励ましの声掛けを待っている、ということです。
日々、学会員として御本尊に題目を唱える者として、何も特別のことではありません。
身近の多くの人が、私たちからの励ましの声を待っている、のは間違いないのです。

もうだいぶ長文になりましたが、法戦に我々が戦う意義は様々に論じられると思いますが、それらは「立正安国」にやはり集約されます。
そして「立正安国」とは具体的には、正法の確立による、

1.真実の平和で安穏な社会の実現。
2.政治の混乱を正す。
3.法戦を通して、各人が功徳と福運を受け、宿命転換し、生活上仕事上の目標を達成しゆく。

「信心即生活」ですから、或いは良く言われるように「我々は政治屋」ではないのですから、1つ1つの法戦も、それをやり切ることにより、自分の宿命転換を賭け、生活革命を賭けて戦っているのです。
ですから戦い切れば、必ず生活上も仕事上も功徳が得られ、悩みも解決するのです。

その意味で、年末年始の座談会は功徳爛漫の、歓喜爆発の会合にしていきたいですね。
「戦いは、勝つと決めた者が勝つ」
「自分にできることを、すべてやり遂げた者が英雄なのだ」
との格言にあるごとく、本年の悔いなき総仕上げをしていきましょう。

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立正安国論と三災七難(2)

彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。
(御書p24)

(災難を根絶するには)かの千万の祈りを修するよりは、この一凶である法然の謗法を禁じなければならない、との仰せです。
その具体的方途として本抄では、
「謗法への布施を止めよ」
とご教示されているのです。

この御文では謗法の代表格として念仏宗を挙げ、一凶と断じられていますが、今この時の一凶はなんでしょうか。
できもしないことをさもできるかのように嘘を重ね、多くの民衆の期待を裏切り、政治を混乱させ深刻な政治不信を与えた民○党が、国に与えた損失は大き過ぎます。
それにも関わらず、只々、保身しか頭になく、政権にしがみ付くしか考えていないのです。
この意味で、現在の一凶=民○党 という図式が成り立ちます。

そして「謗法への布施を止める」とは、民○党に票を投じない、ということだと私は強く思います。

一方、公○党は地方では、自民も民主も上回り第一党なのをご存知でしょうか。
その「チーム3000」とも言われるネットワークを縦横に活かして、地方の声を聴き、国政に届けてもいます。
公○党は結党以来400万件を超える市民相談を行ない、徹底して国民・市民の声を政治に結実させて来たのです。

「国民主権」の現代ですから、政治家を選ぶ権利を持つ国民1人1人が、賢明な上にも賢明に1票を投じるべきです。
『立正安国論』は時の為政者である執権・北条時頼に提出されました。
しかし現代は、真の意味での為政者は、われわれ国民1人1人なのです。

やはり何を言っても、菩薩界・仏界を体現した政治家を送り出すとの主旨からも、公○党が勝つしか、真の社会の平穏も繁栄も無いのです。

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立正安国論と三災七難

日蓮大聖人のご生涯は
「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」
と言われます。

大聖人が39歳の御時に時の最高権力者・北条時頼に提出され国主諫暁したことにより、大聖人の御一生がある意味決まったとも言えます。
61歳でご入滅されるまで四度の大難、中小の数々の難が襲いかかり、忍難弘通の御一生を送られる一切の始まりが、『立正安国論』提出であったのです。

大聖人自ら『立正安国論』を数回書写されており、何度も何度も再確認と深化を重ねられていきました。

晩年も令法久住(りょうぼうくじゅう=法をして久しく住せしめんがため)のため、身延の地で若い弟子たちに、大聖人自ら何度も講義を行なっています。
何よりも大聖人のご一生そのものが「立正安国」を実現するために、奔走し戦い続けた、そのご連続だったのです。

正に、権力に潜む魔性を打ち破るため、国土・社会の安穏と民衆の真の幸福を確立するため、立正安国論とともに大闘争を開始され、最晩年に至るまで徹して貫き通したご一生でありました。

「立正安国」の国とは日本一国に留まるものではなく、全世界の平和と安穏を実現する普遍性を持つ教えです。

世皆正に背き人悉く悪に帰す、
故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、
是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る、
言わずんばある可からず恐れずんばある可からず
(御書p17)

世の人々がみな正法(法華経) に背き、ことごとく悪法に帰している。
ゆえに、守護すべき善神は国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して帰って来ない。
このため魔神・鬼神がやって来て、災難が起きるのである。

任王経に云く
「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る
(中略)
若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」
(御書p19)

ここで鬼神とは思想のことです。
国土が乱れる時はまず思想が乱れる。
ゆえに万民が乱れ、万民が乱れるがゆえに国土が乱れ災難が起こるのである。

ここで「三災七難」の1つ1つを見てみましょう。

三 災 (小の三災)
1.兵革災  ひょうかくさい=戦争のこと。
2.疫病災  えきびょうさい=伝染病・流行病がはやること。
3.穀貴災  こっきさい=天災等によって五穀が実らず、飢饉が起こること。

七 難 (諸説あるが、ここでは「薬師経」の七難)
1.人衆疾疫難 にんしゅしつえきなん  =伝染病が流行して多くの人が死ぬ難。
2.他国侵逼難 たこくしんぴつなん   =他国から侵略される難。
3.自界叛逆難 じかいほんぎゃくなん   =仲間同士の争い。同士討ちをいう。
4.星宿変怪難 せいしゅくへんげなん  =彗星・流星があったり、星の運行に異変を生じたりすることは、当時は社会、国家に凶事の起こる予兆とされた。
5.日月薄蝕難 にちがつはくしょくなん  =黒点、暈(かさ)、日食、月食などのこと。
6.非時風雨難 ひじふううなん       =季節外れの暴風があったり、梅雨期でないのに長雨が続いたりする等の気候異変。
7.過時不雨難 かじふうなん        =雨の少ない季節を過ぎて雨期に入っても、なお雨が降らないこと。

特にこの記事を書いている今、もの凄い暴風が外で吹き荒れており、それが書き始めようと思ったきっかけの1つでもあります。
そこで悪風の難と水の難だけを、特に詳細に見てみたいと思います。

大水百姓を漂没(ひょうもつ)し・時節返逆して・冬雨ふり・夏雪ふり・冬時に雷電霹靂(らいでんへきれき)し・六月に氷霜雹(ひょうそうはく)を雨(ふ)らし・赤水・黒水・青水を雨らし士山石山を雨らし沙礫石(さりゃくせき)を雨らす江河逆に流れ山を浮べ石を流す是くの如く変ずる時を四の難と為すなり、

大風・万姓を吹殺(ふきころ)し国土・山河・樹木・一時に滅没(めつぼつ)し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん是くの如く変ずるを五の難と為すなり、
(御書p19)

 

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