苦境の意味

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人生の途上では、信心をしていても、なぜこれほど悩まねばならないのか、なぜこれほど苦しまねばならないのか、と不思議に思うほど行き詰まりを感じることがあります。
そういう時に次の御文を思い出してみてください。

仏法を信じて 今度生死をはなるる人の
すこし心のゆるなるを すす(勧)めむがために
疫病(えきびょう)を仏のあたへ給う
はげます心なり・すすむる心なり。
(御書p.1589)

【通解】
仏法を信じて、今度生死の苦しみから離れようとする人が、少し心が弛(ゆる)んでいるのを見て、仏は信心を促(うなが)すために疫病を与えられている。
信心を励まし勧めるという心である。

病はもとより、人により様々な苦境に置かれるのは、仏法の眼(まなこ)から見れば、信心を深めさせるための、仏の励ましである、と仰せです。
より真剣に信心に取り組めるようにとの、仏のお計らいなのです。

それが信心で解り、腹の底から戦おうとの一念が定まれば、文字通り、
「地獄の苦しみ、ぱっと消え」るように、解決の方向に音を立てて回転が始まるのです。

詳細は書きませんが、今日一日の戦いで、大きな前進の手ごたえをつかみ取ることができました。
さすが婦人部の、陰の祈りの力は凄いものがあります。
前日土曜の夜に自宅にいたのですが、空耳だったのか、婦人部の必死に祈る声が、しばらく聞こえた気がしました。

今日は感謝も込めて、久し振りに3時間の唱題ができました。
ほんとうにスッキリしました。
この勢いで明日以降も、仕事も信心も過去に無いような、見事なる戦いをしていきます。

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