貧乏の鉄鎖を切る(3)

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3.感謝と愚癡と福運の関係。

四条金吾が、同僚らの讒言【ざんげん】や主君を折伏したことによる不興などから、長期間にわたって厳しい苦境に追い込まれていた。師弟共戦の強盛な信心でその苦境を乗り越えた四条金吾は、三倍の領地を賜るという実証を示します。ところがその領地が遠く辺鄙【へんぴ】な地にあることに、金吾は不満をもらします。これにたいして大聖人は次のように指導されます。

いかにわろ(悪)くともわろきよし
人にも又 上へも申させ給うべからず候、

よき(良)ところよきところと申し給はば
又かさねて給はらせ給うべし、

わろ(悪)き処(ところ) 徳分なし(無)なむど候はば
天にも人にもすて(捨)られ給い候はむずるに候ぞ、

御心へあるべし。
(御書p.1183)

例え悪い点が目につくことがあったとしても、良いところです、良いところです、と褒め称えていく「感謝の心」があれば、また重ねて恩賞を賜ることもあるだろう。それを、悪いところ徳分無しと謗【そし】るならば、諸天にも人にも捨てられるであろうと厳しく指摘されている。このことに関して、感謝は福運を増すとして、その逆に、
「愚痴や不平・不満は、すでにある福運まで消してしまう」(趣旨)
と池田先生は指導されている。

 4.担当する組織は幹部の鏡。

もしあなたが学会幹部で役職を戴いているなら、自分が受け持つ組織をどれだけ盛り立てたか、繁栄・発展させたか、会員を増やしたか幸福にしたか、組織内に福運・功徳を漲らせたか、が即、あなた自身の生活に現れるのである。組織は幹部である自分自身の信心を映し出す鏡である。このことは経済面でもあてはまる。

もし幹部でありながら金銭面で苦しんでいるなら、自分が受け持つ会員の中に経済面で困窮している人がいないか、よく知るべきである。十中八九、受け持つメンバーの中に、自分を上回るような貧乏にあえぐ会員がいるはずである。そうであるなら、自分の困窮は後回しにしてでも、その会員が貧乏を脱するように、裕福になるように、まずは強盛に祈っていくべきである。そのために折伏の息吹が足りないなら、折伏の歓喜を教えるべきである。もし確信が揺らいでいるなら、不動の確信を打ち込んでいくのだ。

メンバーの裕福を祈り行動を重ねていけば、自分が必ず裕福になる、自他ともに経済革命できる。それを幹部でありながら、会員の悩みに目をつぶって、自己のふところ勘定だけを追い求めていくエゴイストには、永久に貧乏は脱せられないだろう。

5.法華経の行者の祈りは必ず叶う。

大事なのは「行者」であるかどうかだ。祈りが叶うか叶わないかのカギの1つは、学会指導通りに実践し切っているかどうかである。仮に長時間祈っていたとしても、祈りと行動がちぐはぐだったり、御書・学会指導から外れた行動をしていたとすれば、祈りは成就しない。形式が大事なのではない、どこまでいっても「心こそ大切なれ」とあるごとく、師匠に誉めて頂けるような信心であるかどうか、常に怠りなく精進していきたい。

(平30.2.17 一部修正しました)

 

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