不可能を可能にする

不可能だから祈る。
最初から可能なら祈る必要はないし、信仰も必要ないと言える。

創価の信心には不可能を可能にする力がある。
目的地まで橋が無くて行けないとしたら、必要な橋が架かるのだ。

悩める友を根底から救う折伏をやり切っていけば、必ず祈りは叶う。
例え今は聞く耳を持たなくとも、相手の幸福を祈って、妙法の素晴らしさを一文一句でも語り、我が身で示していけば、自他共に福徳が命に刻まれていくのは間違いない。

「祈りとして叶わざるなし」と言われる創価の御本尊には、なぜ「不可能を可能にする」力用があるのだろうか。
なぜ不可能が可能になるのか、語ろうと思えばいろいろな角度から語ることもできよう。
八万法蔵と呼ばれる膨大な教義も、このことを説き明かしているとも言える。

大事なのは実践して体験することである。
理論的にあれやこれやとこねくり回すのではない、そんなものは像法時代の人師にでも任せておけばよいのである。
自らが実践して、生命の上に生活の上にどういう現証・実証が出るかを、自分が実感するのが、一番よく解るのだ。
そういう訳で『人間革命10巻』から、2つだけ指導を紹介する。

私どもは、立派な御本尊を戴いた。
世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思いこんでいることを可能にする力が、御本尊にはあるのです。
ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。
すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。
まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません。

何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
(p.1132)

ひどい乱世で、佐渡におられる大聖人は、弟子たちをどうしようにも守ることはできない。
とても不可能なことです。
しかし、大聖人様の御祈念は、しっぽりと濡れた木をこすってでも、ない火を出させてみせる、またカラカラに乾いている砂漠のような大地から水を迸【ほとばし】り出させてみせる。
このように私は、強盛に祈っているのだとお認めになっている。
御本尊に対する祈りというものは、一大事のときには、このようなものでなければならぬとお示しになっているのです。
(引用、ここまで)

人それぞれに人生の途上には、人生を左右する一大事から、あるいはこれを達成しないと後がないという、一歩も引けぬ「まことの時」がある。
その時こそ、徹底した祈りを根本に、かつてない広宣流布の戦い・行動を起こしていくのだ。
その時、迷いの凡夫には見えないだけで、仏の眼から見れば、すでに不可能は可能となっているのだ。

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“不可能を可能にする” への2件の返信

  1. 今、いろいろあり、悩みもあり、女子部時代のセンパイ方から、ご指導を受けて今、折伏に挑戦しております。去年は、夏に虫垂炎の手術を受け入ったばかりの会社で責任者の方とあたしより半年早く入った方逹からヒドイ罵倒を受け辞めました。その3ヵ月後に入社した会社では、最初から週3日働くと言う事で採用になり働きはじめました。最初は慣れない作業に戸惑いながら自分なりに頑張っていましたが、入社して1ヶ月目のある日、手刷りのない階段を踏み外しバランスを崩し、階段から落ちて利き脚の左足を、骨折してしまいました。その帰りに骨折してるとは思わず、違和感があったので整形科へ行きました。結果は骨折でその日にギプスで次の日会社に連絡をいれて治ったらまた、行きますと伝えたところ「もういいから」とだけ言われて労災に入ってなかったあたしは、民間の傷害保険で見て貰う事になり、10割を自費で出して後で請求するという事になりました。貯金もない、あたしでしたので、こちらから領収書や書類を送り銀行に入金して貰いました。後で判った事ですがあたしは去年の12/20で退職扱いになっていました。今は、完治し、職業探しをかけて唱題、折伏を頑張っています。これからも両親から受け継いだこの信心で一生頑張って行きたいと思っております。

  2. よしみさん、はじめまして、管理人のレオです。さまざま苦難がある中、折伏に励んでいること、これ以上ない尊い実践です。この冬にも春が来たように、よしみさんにも今の苦労を「あの時はこういうことがあったね」と笑って振り返られる、喜びの春が必ずやって来ます。

    足は完治されたとのことまずはよかったですね。上司・先輩に罵倒されたり、怪我の後に早々に退職扱いされたこと、理不尽な待遇が続きましたね。より深い生命論で言えば、苛めてくる人間にも過去世からの目に見えない因縁があるのでしょう。一切を善知識に変え、変毒為薬するとともに、諸天善神を叱りつけていくような強盛な祈りと実践で、障魔に打ち勝っていってください。仕事についても、やり甲斐があり、得になり、社会に貢献できる仕事にきっと就くことができますよ。そういう境涯を築くための今の戦いと決めて、負けずに朗らかに進みましょう。

    自分1人の悩みから、部員さんのことを悩み、広宣流布の悩みに変わっていった時に、いつしか自分の悩みが解決していることに気づくでしょう。自分が苦しみ抜いた体験も、「こういう意味があったんだ」と全て活かされることが心から実感できる時が来るでしょう。これからも、広布への苦労と歓喜の活動報告、功徳の体験発表をしていけるよう、お互いに戦ってまいりましょう。
    (一部、修正・加筆しました)

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