聖教新聞など

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いま数えたら、読めていない聖教新聞が14部溜まっている。
公明新聞日曜版も取り始めたのだが、読みかけが4部溜まっている。

やっと外に打って出れたかな、と思ったら、機関紙の方が疎かになっていた。
一番理想的なのは、啓蒙を推進し、自分も熟読することだが、最近はそのどちらも落第点だ。

聖教は読まないと微妙に一念がずれてくるから恐ろしい。
一生懸命やっているようで、ピントがずれた、独りよがりの、境涯の低い自分に甘んじる傾向が強くなってしまう。
先生、学会総体の動きに遅れをとる、というのは、本当に怖いことなのだ。

「信行学」をしっかりやり切るとは、難しいことだ。
2年~5年位なら多くの人ができるだろうが、10年、20年、数十年とやり切っていくのは並大抵のものではない。

何よりも、題目や学を自分らしくやり切っても、特に化他行=折伏 は特に難事である。

こう考えてくると、いかに自分の戦いに抜けがあるかに愕然とするが、一切は学会活動に含まれる、のだから、もっと自信と誇りを持ってもよいとも言えそうだ。

生身の人間なのだから、時にはスポーツで心身をほぐしたり、自然の中で癒されたり、ゆったりと音楽を聴いたり、といった心の栄養を摂ることも大事だ。
多忙な仕事の上に学会活動をしているのだから、そうしたリラックス・タイムはそうそう持てるものではないが、だからこそ逆に意識して、そうした時間を創り出していくことが必要だと思う。

新聞が溜まった話から心の栄養に話が移ってしまったが、信心が何十年になってくると、毎日読む新聞も同じことの繰り返し、との惰性と無感動が働いてくる。
そこが惰性から慢心へと変わり、やがて魔に食い破られるきっかけとなる、と思う。

聖教を読まない(実は読めないのだが)自分が、仏法に対する怠惰を棚に上げて、聖教には真新しいことが少ない、との批判は的外れである。
それは聖教に対する誹謗であり、自惚【うぬぼ】れや慢心以外の何ものでもないのである。

要は新聞に真新しいことが無くなったのではなくて、原点を見失った自分がそこに存在しているのだ。
自ら常に新しい課題と目標を立てて、それに突き進む時、惰性も停滞も無くなるはずだ。

聖教には感動がないとの囁きがあったとしたら、それは魔の囁きだ。
仏法を人生を賭けて行じる、無冠の民衆王者たちへの冒涜【ぼうとく】である。
その人間は、何が人間としての真実の価値あることかを、完全に見失ってしまった人間である。

繰り返しに飽きるというのは、一見、同感を得られそうだが、そこが「修行」と言われるゆえんでもある。
いわば題目も新聞なども基礎鍛錬であるとも言える。
基礎を疎かにしては、その上に何も立派なものは建てられない。

繰り返しの中にこそ達人・名人への道が開ける。
もちろん持って生まれたものもあるだろうが、数十年~一生涯持続し抜く中にこそ、その中で惰性と慢心を打ち破り、勇猛精進していくことが、何ものにも負けない師子王の自分を築き上げる秘訣なのだ。

池田先生は、太陽も1年365日繰り返し繰り返し昇る、と仰っています。
そして未来部にたいしても、お母さんは毎日毎日食事を作ってくれる。
もし、太陽が休んでしまえば大変だ。
もし、お母さんがご飯支度を休んだら、腹ペコで大変だし(笑)、一家は大変なことになります。
こういう先生のお話だったと思います。

考えてみれば、農夫は繰り返しが嫌だと言って仕事を休めば、収穫は得られません。
サラリーマンももう飽きたと言って出勤しなければ、給料は無しですし、解雇されてしまうかもしれません。
何事も続けることによって、一定の収穫が得られるのは、自然界と社会の道理なのです。

「こういうことを書いてる暇があるなら、新聞読んだら?」
と言われそうですが、ごもっともです。
こうして読む意義を多面的に考察しておくことも、あながち無駄とは言えないと思います。
長文を最後まで読んで頂き有難うございます。


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コメント

  1. イプシロン より:

    レオさん、こんばんわ。未読の新聞が5部溜まっている、イプシロンです(笑)

    おっしゃる通りです。でも、あんまり自分を責めちゃうと、またこれがキツイんですよね。
    今日、私は武田信玄を引いた先生の「勝利の方程式」のご指導を読んだのですが、
    勝つって、本当に難しいですね。
    5分[ぶ]~6分で勝利(次はもっとという励みになる)、
    それ以上だと、怠惰(7~8分)や傲り(9~10分)がでる、とありました。

    でも、実際は毎日10分勝ちたいと思うんですよね。

    また、渾身の力を使って勝っても、疲弊してしまい先が続かなければ意味がない。
    ゆえに、リーダーは勝った後のことも熟慮して行動しなければいけない、とありました。
    結局、長く続く戦いを常に勝っていき、最後の勝利を得ることまで見据えた戦いをしなさいと仰っていました。それが広宣流布の戦いだと。

    あ、、記事に書く内容を全部書いてしましました(笑)
    まぁ、サービスサービスということで^^

    別便で、またお話しましょう。別便、ありがとうございます。

  2. レオ より:

    イプシロンさん、1つ1つのアドバイスごもっともです。
    武田信玄の言葉も、リーダーの心得としては大事なことですね。

    その時々で、優先順位を考えて、優先すべきことは何としてもやり抜いていく、或いは全てが中途半端でもいいので、時間・労力を多少優先順に重みをつけながら「分散させて」まんべんなく行なう、などの戦略がありますね。

    いづれにしても、10分の勝ちを目指すのでないことは、自己の目標・課題から「逃げ」ることを意味しないですね。
    この前の名字の言にも、最初から金メダルを目指すので無ければ、銀も銅も初めから無理である、との指摘も示唆に富みます。

    1つの物事も多面的・多角的に見れることが解ります。
    深いですね。
    信玄の言葉のご紹介も、有難うございました。