試練に遭ってこそ本物に鍛えられる(1)

今日は、大聖人が受けた「刀杖の難」について述べられた御書2編を拝します。

●種種御振舞御書p912

平左衛門尉が一の郎従
少輔房(しょうぼう)と申す者はしりよりて
日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出して
おもて(面)を三度さい(呵嘖)なみて
さんざんとうちちらす、

又 九巻の法華経を兵者(つわもの)ども
打ちちらしてあるいは足にふみ
あるいは身にまとひ
あるいはいたじき(板敷)・たたみ(畳)等
家の二三間にちらさぬ所もなし、

日蓮・大高声を放ちて申す
あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、
とのばら(殿原)但今 日本国の柱をたをすと
よばはりしかば
上下万人あわてて見えし、

日蓮こそ御勘気をかほれば
をく(臆)して見ゆべかりしに
さはなくして
これはひが(僻)ことなりとや・をもひけん

 

●上野殿御返事p1555~

さてもさても・わす(忘)れざる事は
せうばう(少輔房)が法華経の第五の巻を取りて
日蓮がつら(面)をうちし事は
三毒よりをこる処のちやうちやく(打擲)なり。

天竺に嫉妬の女人あり
男をにくむ故に
家内(やうち)の物をことごとく打ちやぶり、
其の上にあまりの腹立にや
すがた(姿)けしき(気色)かわり
眼は日月の光のごとくかがや(輝)き
くち(口)は炎をは(吐)くがごとし

すがた(姿)は青鬼赤鬼のごとくにて
年来(としごろ)・男のよみ奉る
法華経の第五の巻をとり
両の足にてさむざむ(散散)にふみける、

其の後命つきて地獄にをつ
両の足ばかり地獄にいらず
獄卒鉄杖をもつて・う(打)てどもいらず、
是は法華経をふみし逆縁の功徳による、

いま日蓮をにく(悪)む故に
せうぼう(少輔房)が第五の巻を取りて
予がをもて(面)をう(打)つ
是も逆縁となるべきか、

この2編の御書を通して大聖人は、夫への嫉妬に狂って法華経第五の巻を足で踏み・破り散らした女と、大聖人のお顔を第五の巻で何度も打った少輔房の2人を対比させて、深甚の義をご指南されます。2人とも最後は地獄に堕ちるのですが、法華経を破り散らした女の足だけは、獄卒が鉄の棒でどれだけ打ち据えても、地獄に入れることができなかったのです。それは「逆縁の功徳」によるのであると大聖人は仰せです。
(続きます)

 

クリックを宜しくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください