不思議法則

しばれますね~。連日マイナス10度以下となり、冷凍庫並みの厳寒の中での配達を続けています。今日は、精神科医でドクター部の於保先生という方のお話を、一部抜粋して紹介させて頂きます。

 

難しいところなので、角度を変えてお話ししてみます。以前、やはりこころのページの「ふれあい診察室から」というコラムに「不思議法則」というのを書いたんです。いろんな人を見ていると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また、思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人が不思議に行き詰まっている。真面目な人が、頑張っているのに不思議に開けない。そこまで人に尽くしている人が、有り難がられるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしている。そういう人を見たことありません?真面目な人が意外と開けない。

そうかと思うと、ちゃらんぽらんで、図々しくて、要領よく立ち回っている人が、やることなすこと意外とうまくいく。うまくいくものですから、ますます人に持ち上げられて、ますます、開けていっているという現実がある。私はいろんな人の人生に出会う場面が多いものですから、よくそういう現象を見るんです。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。「なぜなんだろう?」最初のうち分かりませんでした。私はちょうどそういうことを研究できる立場にありまして、その結果、だんだん見えてきたことを、「ふれあい診察室」に書いたんです。最初、抵抗がありました。これはちょっと問題あるから載せてくれるかな。カットされるかなと躊躇【ちゅうちょ】したのですが、あえて書きました。おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、そういう人のためにと思って書いたんです。幸い載せてもらえました。

そうしたら、何件かやはり問い合わせがきました。「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命、折伏し、新聞啓蒙し、また、財務も頑張り、全力で戦いました。ところが、病気になって、今は生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。そうなると書いてある、そう書いてあるけれども詳しく書いてないから、よくわからない」ということで、問い合わせがきましてね。さっそく、お返事を書いて、後で喜んでいただきました。実はこういう現象が起きる原因は、その奥に一つの法則があるからなんですね。表面の現象でなく、その奥の法則を「不思議法則」と勝手に名づけたんです。

どういう法則かというと、たとえば、困っている人のため、家族のため、また、学会活動のため、広宣流布のため、世界平和のため、世の中の正義のために、戦う。だけど我慢して、自分を殺して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。「私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実るときが来る。それまでの辛抱だ」。「陰徳あれば陽報あり」なんだからと。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。つまり、これは陰徳にならないんです。どうしてかというと、妙法の当体を殺しているからなんです。同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。

ちょうど、今月のSGIグラフ(2000年5月号)の中で奥様のことを池田先生がおっしゃられています。いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」という意味の一節がありましたが、まさに、不思議法則です。

たとえば、「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また、「財務に何桁に挑戦すれば幸せになる」。こういうのを餓鬼道と言うわけです。見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜ぶなり」といわれています。有名な徳勝童子の譬えがありますね。みんながお釈迦様に供養している様子を見て、僕も何か供養したい。でも、何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげた。その功徳で阿育王に生まれ変わることができたという話しです。
ところで、もし、このとき、徳勝童子が、土饅頭をお釈迦様にさしあげれば、後で功徳がある。それを期待して土饅頭をさしあげる、という取引のような気持ちでやっているとしたら、その心には、福運はつかないでしょう。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないんです。いわゆる自己犠牲精神じゃないんです。

一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってらっしゃるからあんな詩が書けるのでしょう。嫌々、苦しみながらでは、あの写真は撮れないでしょう。(会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)池田先生の写真を見てみてください。先生の写真を見ていつも思うんです。あれを見ていると、ちょうど女子部や婦人部が「先生!」って言っているのと同じように感じません?あの花々が。我々が撮るとなかなかああいう感じにならないですね。花がただそこに咲いているって感じになるんです。しかし、先生の写真には、訴えかけてくるものがある。どうしてだろうと考えました。そしてつくづく思ったんです。法華経というのは「喜ぶ経典」なんですね。池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから、「自然との対話」と名づけられたんですね。

この話をある芸術部の人にしました。すると、その方が以前、先生と会食した時、先生が「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができるんだよ。その対話の写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。この不思議法則。不思議というのは妙。法則は法。すなわち、妙法なんですね。したがって、妙法の当体を粗末にする人は、福運を失うんです。妙法の当体を輝かせる人は、福運を増していくんです。現実にどういう行動をとっているかということは大事です。しかし、自身の本心がどっちで生きているのか。自分の生命を輝かせ、楽しみながら生きる方向なのか。自分を卑下し、追いつめていく方向なのか。その生命の奥底がどちらに向いているかがさらに重要なんですね。

(ドクター部・於保 哲外先生『海の文化と村の文化』より)

 

 

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“不思議法則” への2件の返信

  1. なるほど・・・目から鱗ですね。

    もがき苦しみ、辛抱しながら・・・それでも頑張ってご祈念したり、
    活動したりは、その裏に「この苦境を脱したい」という「見返り」を
    求めているからこその行動で、それは、菩薩行ではないと・・・。

    「必ず脱することができる」という確信があれば、そこに「歓喜」が
    湧き上がってこないはずがない!
    もう既に結果は出ている — 因果倶時。
    それが「確信」であり、その確信と歓喜は、自然に他者へも波及し、
    周りにも「幸福の連鎖」を生み出していく。
    それが、「自他ともの幸福」であると、そういうことですね。

    私は、自分がどういう状況であれ、他者の幸福のために尽くしきって
    行く人 — それが(自涌の)菩薩であると思っていましたが、
    どうやら、そうではないようですね。

    新たな気付き — 極めて重要な「不思議の法則」。
    ありがとうございます。

  2. 福島の壮年さん、コメント有難うございます。菩薩行とは単なる自己犠牲でもないし、自分を粗末にすることでもない、との啓発は、特にメンタルの問題を抱えているような人などに、心と行動の修正を促すものだと思います。

    自己肯定感の低い人はどうしても自分を大切にできない。自分を妙法の当体と捉えることが出来にくい。そうなったきっかけは育成歴における愛情不足や、いじめ等を受けた体験、その人自身が生まれながらに持っている認知のクセ、などいろいろあるでしょう。しかし自分を大切に出来ないものが他人を大切に出来る訳がないのは明らかな道理ですから、いずれは克服・改善していくしかない。

    福島の壮年さんが仰る、「必ずこの苦境を脱することができる」との確信からくる希望と歓喜があればこそ、地涌の使命が果たせるのは納得できます。見返り(=功徳)を求める気持ちは自然なことで、それ自体は否定などできません。ただ菩薩界より餓鬼界の比重が大きい一念で行動しても、結局、自他ともに功徳が少ないのでしょう。

    地涌の菩薩といっても凡夫の側面も併せ持っている我々ですから、菩薩の行動は自力だけでは無理で、所詮、学会活動し題目根本に戦うしかないのですね。当然ながら、自ら自分を粗末にする必要はないが、信心ゆえの難を受けた時には、一歩も退くことなく法のために犠牲になることも厭わない覚悟が必要な時があります。難を耐え抜き打ち勝ってこそ、自他を真の意味で守り大功徳が得られるからです。長文になりスミマセン。

    (平29.12.14 書籍の引用は削除しました。以下に『海の文化と村の文化』の全文へのリンクを載せます。パスワードは「信仰体験集」のページに書いてあるものと同じです)

    →『海の文化と村の文化』全文

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