宗教は、対話の窓を閉ざせば、独善主義、教条主義、権威主義の迷宮に陥ってしまう。対話あってこそ、宗教は人間蘇生の光彩を放ちながら、民衆のなかに生き続ける。
―――池田SGI会長
戦争は人間の心の発明したものである。
その人間の心は平和を発明することもできる。
―――思想家・カズンズ博士
絶望とは愚か者の結論なり。
―――イギリスの名首相ディズレーリ
人の投影に気づかないと自己をせめることになる。自分をせめすぎると「うつ状態」になる。それゆえ、頭を使って、「本当に私は悪いことをしたか。上司・先輩・同輩・後輩のそれぞれにも責任はないか。私一人が自己反省するのは妥当か」と自問自答することである。
(中略)
自分は上品ぶって人とけんかもせず、その不満をカウンセラーや親に語り、カウンセラーや親に問題解決にのり出してもらうという姿勢はきわめて欺瞞【ぎまん】でわがままである。おとなとは、自分の問題は自分で解こうとする人のことである。
―――国分康孝著『自己発見の心理学』から
求む男子。至難の旅。
わずかな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。
成功の暁には名誉と称賛を得る。
―――アーネスト・シャクルトン
これは、三度にわたりイギリスの南極探検隊を率いた極地探検家のアーネスト・シャクルトンが、南極探検のメンバーを募集するために出した伝説の新聞広告のコピーだと言われている。今ならとても考えられない内容であり、ほとんどの人はエントリーすることもないだろう。しかし、当時はこの小さな求人広告に対して、実に5000人もの応募があったという。あえて、ネガティブな情報を出しているのに、である。このような情報開示の持つ意義と効果・効用を、経営者や人事担当者は、いま一度、考えてみる必要があるのではないだろうか。
「人の上【かみ】たるは易く、下たるは則【すなわ】ち難し。
然【しか】れども下たる能【あた】わずんば亦【また】下を使う能わず」
「人の上にたって権力をふるうのはたやすいが、人の下で地味に働くことはむずかしい。しかし、人の下で働けない者は、部下を使いこなすことはできない。下っ端で苦労した人でなければ、人に使われる者の気持ちがわからないから、人の心を掌握できない」
――『近思録』から
「光明はかならずや訪れる。あたかも夜明けをさえぎることはできないように」
――魯迅の言葉
●’83年11月4日 第13回創大祭オープニングフェスティバルでの創立者のスピーチ(『創立者の語らい[Ⅱ]』P.82)
第三点目に申し上げたいことは、ともかく心優しく、心強き人になっていただきたいということです。人間社会は大勢の人と人のつながりです。個人主義で、エゴで、一人でいれば自由でいいかも知れませんが、それはもはや自分自身の妥協であって勝利者とはいえない。また心強き人でなければ大勢の人を守り、そしてまた導くことはできない。
ご存知のように、私もそれこそたくさんの中傷、批判をうけた。普通だったら狂人になるか、退転か、社会から抹殺されるか、自殺か、病気か、絶対に耐えられるものではないといった人がおりましたが、しかし、私は変わりません。私は返っていろいろなことを経験できて、喜んでいる。全部勝っております。
結局、時とともに正邪がはっきりすることである。諸君もどんなことがあっても、その苦労、苦難というものを大なり小なり乗り越えていくような強い人間になってもらいたいのです。
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