続・第六天の魔王を恐れるな! -指導集(6)

●勝利の経典「御書」に学ぶ(‘09-4月号)


大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(997㌻)と仰せです。
元品の無明は、あらゆる人々に本然的に具【そな】わります。大聖人は仏にも具わっていると言われている。ゆえに「等覚の菩薩」という、悟りにおいては仏と等しい智慧を得た菩薩であったとしても、元品の無明が第六天の魔王の働きを起こし、最高位である妙覚へと至ることを妨げることがあると説かれています。等覚の菩薩でさえ、そうであるならば、凡夫はなおさらのことです。

いわば、第六天の魔王とは人間の生命に潜む根源的な悪の働きのことです。この魔性が、支配欲や殺【さつ】の心を起こし、破壊、戦争を引き起こしていく。この魔性を破るために大切なのは、元品の無明と同様、万人に具わる「元品の法性」を顕現させることです。そのためには、自行化他にわたる信仰をたゆまず実践し続けていくこと自体が重要なのです。

ある時、戸田先生は、御本尊の相貌【そうみょう】の中に第六天の魔王が認【したた】められていることについて、こう講義されたことがあります。「第六天の魔王が御本尊のなかにいる。そうすると御本尊を拝みたてまつるときに、第六天の魔王は御本尊のいうことを聞くのです。第六天の魔王がほかの魔将【ましょう】を命令で、きちんと押さえるのです。本有【ほんぬ】、すなわちもともとの立派な姿となって、御本尊のなかにあらわれてくる。みな南無妙法蓮華経に照らされて本有【ほんぬ】の尊形【そんぎょう】となる」

先生はさらに「初めて人を助ける第六天の魔王に変わるのです」とまで言われました。ここに信心の極意があります。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751㌻)と仰せのように、元品の無明を打ち破るのは、まさしく「信心」の利剣です。

(中略)
「師弟」は、いかなる魔性をも破る原動力です。反対に、「師弟」を忘れ、忘恩に堕した人間は、皆、無明の生命が強くなり、結局、第六天の魔王の眷属と化【か】してしまったのです。ともあれ、「何があっても恐れない」「一切、魔性に従ってはならない」――これが、魔と戦う信心です。必ず勝つことができます。そしてまた、これが人生の極意ともいえましょう。

 

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