祝・創立記念日/1000万遍達成

83回目の創立記念日おめでとうございます。
広宣流布大誓堂の完成、総本部整備と合わせ、創価学会員1人1人の胸中に、赫々たる広布大誓願の太陽が昇りました。
1人1人の生命に総本部を建立する思いで、走り抜いてきたこの1年でしたね。

「化城宝処の譬え」にもある如く、1つのゴールはまた新たな1つのスタートです。
清新な気持ちで明年に向かって前進していきましょう。

私も短期でしたが久し振りに聖教啓蒙の実りもあり、何とか創立の日に間に合わせることができました。
そして何よりもここ最近「これだけは」との思いで実践してきた、唱題1000万遍を約5年間かかって本日達成することができました。

考えてみれば仕事においても、題目をたくさん上げて臨むと、仕事がどんどん捗【はかど】ります。
高度で難しい内容の仕事でも、題目が上がってない時に比べて、スムーズに進めることができます。

そうしてできた心の余裕というか余力を、同僚への気配りやヘルプ、或は顧客などへのサービス向上のために、振り向けていける。
仕事の能率向上においても、質の向上においても、有形無形の様々の成果にも、学会活動に裏付けられた題目の力は、余りにも明確に顕われてきます。

これが唱題で涌現【ゆげん】した仏の生命力なのです。
その仏界の生命は、私たちの胸中に元々、備わるからこそ、引き出すことができます。

生活の1つ1つの局面においても同じです。
題目が上がってない時は、人間関係の悩み等に振り回されて行き詰っていたのに、題目をしっかり上げると、同じ問題でもほとんど気にならなくなります。
問題ととらえていたのが嘘のように、悠々と受け止めている自分を発見します。

戸田第2代会長は解りやすく、例えば同じ「夫婦喧嘩」でも、信心根本とした場合は「楽しい夫婦喧嘩」に変わると仰っています。
奥底の心が安心し楽しんでいるからです。

特にこの1~2年の総本部完成の戦いで、「広布の誓願」ということを先生に教えて頂きました。
同じ祈っていても、何を祈っているのか。
広宣流布をひたぶるに祈ってこそ、最も正しく、しかも最も仏力・法力が出る祈りであり、所願満足の人生となっていくのです。
さて、ここで御書を拝します。

第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず、
阿難尊者 猶【なお】 魔と仏とを弁【わきま】へず
善導法然が通力いみじしというとも天魔外道には勝れず、
其の上仏の最後の禁しめに通【つう】を本とすべからずと見えたり
(御書p.114)

魔は見分けがたいことをご教示されています。
時には一見すると、仏のような相や姿を現して、我々の前に出現してくることもある。
釈尊と一番多く行動を共にし「多聞第一」と言われた阿難であっても、仏と魔を見分けがたいほどなのです。

しかしその実体は魔王やその手下共が現じた通力(=特殊能力)に過ぎないのです。
近年の宗門問題などがその一例でした。
我々は信心の利剣で、賢く鋭く見破っていかねばなりません。

末尾になりますが、今日付の聖教にあった碑文に、先生がお認めのご指導を抜粋します。

我ら民衆が世界の立正安国を深く祈念し、
いかなる三障四魔も恐るることなく、
自他共の人間革命の勝利へ出発せる
師弟誓願の大殿堂なり。

いかなる三障四魔をも恐れない、勇気ある信心で新たな大前進を開始していきます。

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“祝・創立記念日/1000万遍達成” への6件の返信

  1. 1000万遍達成 おめでとうございます
    楽しい夫婦喧嘩が出来ず、離婚しました(笑)
    一家和楽の信心 簡単そうで、実は難しかったのだと、今更ながらに感じています
    簡単そうに見えることを、一歩一歩進むことによって、人間革命が出来るのだと、実感する今日この頃です
    いい記事を ありがとうございます

  2. 1000万遍達成 おめでとうございます.
    私は780万篇で挫折しました。10月から無理せずに一日一時間の題目を持続しています。
    11月からは70分に増やしました。すこしづつ増やしていこうと思います。
    できることを着実にやり続けることが大事と思う最近です。
    私も国家試験ほど難しい試験ではないのですが試験を受ける前に頓挫しました。
    自分の能力のなさに愕然としました。
    その試験に合格していい仕事があることではありませんが来年挑戦しようと決心しました。理由は、辛い思いをしている友人のためです。
    私には私の使命があると思います。
    その使命のために挑戦です。本当は逃げたいです。楽な方向に進みたいです。
    コメントしているのはそんな自分を追い込むためだと思います。夫婦で師匠と誓った人生を貫けるかどうかの分岐点にいるような気がします。  
    広宣流布をひたぶるに祈ってこそ、最も正しく、しかも最も仏力・法力が出る祈りであり、所願満足の人生となっていくのです。そのことを証明してみせると決意しています。

  3. ちよさん、こんばんは。
    離婚ですか、たいへんでしたね。

    仰る通り、平凡こそ非凡であり、平凡こそ偉大なのですね。
    一見、平凡に見えることを1つ1つ大事にしていく中に、実りと価値多き人生もあるのですね。

    男女間の愛や恋のあり方には百通りの恋愛論がある、と先生も言われてますね。
    そろそろ論を卒業して事実の一家和楽を実現すべきですが、まだ時が熟さずです。

    こちらの境涯が上がったぶん、それにふさわしい良い人が現われると信じて前進するのみですね。

  4. うるとらまんさん、決意と励ましを有難うございます。
    辛い思いをしている友人のためとの使命に立ち、自己の弱さに打ち勝とうとしている姿 素晴らしいです。

    私の場合、この約50年間、ほとんど勉強、勉強に明け暮れてきました。
    高専を6年かかって卒業、創大通教も30代で5年かかって卒業、仕事で家庭教師として約20年間主に中学生を教えてきました。
    読書も世界・日本の名作を約900冊くらい読了してきました。
    教員採用試験も8年連続で受けましたし、いま挑戦している国家資格も6年受け続けてきました。

    根は馬鹿な自分が、よくもこれほど徹底して勉強に打ち込んで来れたものだと、振り返って驚いています。
    これも学会の信心の功徳だと痛感します。

    その上で、
    「休みたいなら墓場に入った時に、ゆっくり休めるではないか」
    との言葉もあるようですが、正直、年も年だし少し疲れました。
    ちょっと休憩して、今後を考えてみたいのです。
    馬車馬のように鞭打つだけでなく、たまには人生という道中の景色も楽しんでみたいな、と思ったのです。

  5. 妻も教員採用試験8年連続挑戦しました。聴覚障害者ではじめて教員免許を収得しましたが集団面接で落ちました。一対一なら口話(唇を読み取り会話)できますが集団では唇が読み取れません。その当時は障害者への配慮は一切ありませんでした。幼い頃からの教員を断念しました。民間では電話の応答ができないので面接さえありませんでした。幸い県庁職員採用に合格しました。
    私は先生への憧れはありましたが挑戦する前に挫折しました。落ちるのが怖かった。失敗して笑われる世間の目が怖かったのです。
    なんとも情けない話です。自分がやりたいことがあっても世間の目を気にして怖じけている私でした。
    すべてが中途半端でした。私の人生は七転びちゃー転び(いつも転んでばかりいること)です。ブログていいもんですね。こうして書いていくと自分の内面がわかってきました。
    案外、自分のことはわかるようでわからないものです。
    気づきをありがとうございます。

  6. うるとらまんさん、奥さんも8回受けられたのですか、私の受験回数とピッタリ一致することに驚きです。
    ハンディを持ちながら無理解をもはねのけて、受け切っていった後に、そして県庁職員を勝ち取ったのですね、よくがんばりましたね。

    ご主人も教師に憧れがありながら、挑戦前に挫折があったのですね。

    1人の人間の長いようで短い人生において、得られるもの、そしてどうあがいても得られないもの、二通りあるのですね。
    時間や労力を1つの事に注ぎ込めば、その他の事は疎【おろそ】かになり中途半端になります。

    ある識者は、人生とは無眼にあるものの中から、1つの有限のものを選択し、それに投企していくのが、その実態であると言っています。

    うるとらまんさんは、確かに教師はなれなかったですが、立派に一家和楽の家庭を築かれ、何ものにも代え難い奥さんとお子さんがいるではないですか。
    「何の宝よりも子宝」
    との言葉もありましたね。

    人の芝生は良く見える、では、せっかくすでに得ている宝を見失って、大きな心理的な損失だと思います。

    やはりどこまでいっても、人と比べて一喜一憂しては人生の損失ですね。
    昨日の自分より一歩でも成長することが、やはり一番大事なのですね。
    良い気付きを与えて頂きました、感謝します。

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