一年で300万遍達成

今年1年間でちょうど唱題300万遍達成しました。年間のペースとしては自己最高記録となりました。広布の戦いにおいては、全て自己の限界突破の戦いをすることができました。自分らしく戦い切り、無事故・健康に一年を締めくくれるのが最大の功徳です。

来年こそは一枚も二枚も壁を突破して、折伏の結果をもぎ取っていきます! そのためにも、今年以上に一念強き題目をあげにあげて、法を聞かせる聞法下種の実践から徹底してやり切っていきます! ではまた恒例の御書拝読を致します。

問うて云く凡そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば世間に是を重んじ一切是を貴む、然るに当世法華経を持つ人人をば世こぞつて悪(にく)み嫉(ねた)み軽しめ賎(いやし)み或は所を追ひ出し、或は流罪し供養をなすまでは思いもよらず怨敵(あだ・がたき)の様ににくまるるは、いかさまにも心わろくして仏意にもかなはず・ひが(僻)さまに法を心得たるなるべし、経文には如何が説きたるや、

答えて云く経文の如くならば末法の法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす、又経を弘めて人を利益する法師なり、人に吉(よし)と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし、此の人を経文には猟師の目を細めにして鹿をねらひ猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして在家の俗男・俗女の檀那(だんな)をへつら(諛)い・いつわ(偽)り・たぼら(誑)かすべしと説き給へり
(法華初心成仏抄p.555~)

世間の過失が一分も無いにも関わらず、法華経ゆえに悪口を言われたり迫害を受けるのは、正しい実践をしているからこそ、であるとの仰せです。ここで言う「実の大乗の僧」とは、世界で唯一正しく法華経の肝心を実践している創価学会(員)です。三類の強敵に怨(あだ)まれ、それらと戦い打ち破ってこそ、真実の法華経の行者なのです。

妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし、毒薬変じて薬となる妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる、玉泉と申す泉は石を玉となす此の五字は凡夫を仏となす、されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり、石変じて玉と成るが如し孝養の至極と申し候なり
(内房女房御返事 p.1423~)

二つ目の御書は、「変毒為薬」の法門を通して、南無妙法蓮華経には凡夫を仏となす功徳力があること。あなたの亡き父は生きていた時に、信心強き我が子からの勧めによって題目を唱えられていたのだから、即身成仏していることは疑いがないことをご断言されています。

本年も多くの方々から励ましと応援、ご指導ご鞭撻を頂き、深く感謝申し上げます。では皆さま、よいお年をお迎えください。

(平30.1.2 加筆・修正しました)

 

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精神医学特論

国内や海外の大学がインターネット上に、講義動画や eラーニングを無料公開して、その大学の特色を広く発信しようとの取り組みをオープンコースウェア (Opencourseware=OCW) といいます。gacco などのサイトが有名です。

特に放送大学では、動画または音声にて数多くの授業が無料公開されています。その中で、大学院の授業として「精神医学」の授業を次に紹介します。これは臨床心理士を養成するための一科目だと思います。

→精神医学特論の講義音声

メンタルの不調や精神疾患は現代病の一つとして、誰しも罹患【りかん】する可能性があります。例え自分がそうならなかったとしても、身近な人に患っている人がいるのが普通でしょう。しかし、メンタルの病について正しい医学的知識を持っている人は、意外と少ないのではないでしょうか。

正体が分からないものについて、我々は偏見や誤解、時には恐れなどを持つことがあります。そうした無知ゆえの弊害を改めさせる「学は光」の一助となれば幸いです。

 

 

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新しいLEDライト

配達時に使っているLEDライトの接触が悪くなり、修理不能と判断、新しいものを2個購入しました。次の写真1に写っている3つのライトのうち左から、(1)今まで使っていたもの、(2)新しく購入した手に持つタイプ、(3)これも購入したクリップ・タイプ、です。

(1)の今まで使っていたものは、歩く時は足元を照らし、ポストに入れる時は口にくわえて手元を照らしていました。ところがなぜか口の中が爛【ただ】れるのです。原因はライト本体の表面に塗ってある塗料が原因でした。しかし、上記(2)のライトはラバー(ゴムのようなもの)で覆われており、口が爛れる心配はありません。

写真1

地元DIYショップへ見に行ったのですが、LEDライトのコーナーに、頭に装着するタイプやクリップ・タイプのものもありました。そこで今回は試しにクリップ・タイプも合わせて購入してみました。次の写真2は、防寒帽のひさしにクリップ・タイプを装着した様子です。少し明るさは落ちますがその分、電池が長時間持ちます。

写真2

早速、今朝の配達でクリップ・タイプを使ってみましたが、ハンズ・フリー(手にライトを持つ必要がなく、手が自由)なのは、かなり良いです。どうしても片手には新聞を持つので、もう一方の手でライトを操作すると両手がふさがり、万一転倒した時に受け身がしにくいなどの心配もあるのです。

大体、日の出前に配達が終了するので、今の時期ライトは必需品です。冬至はあさって22日(金)なので、今頃が一年で最も夜明けが遅い頃です。それを過ぎるとだんだん日の出時刻が早くなってきます。夏場などは同じ時間帯でも、ライトは全く必要ないほど明るいうちに配達が終わります。こうした季節の移り変わりを肌で感じられるのも配達員の特権ですね。

 

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祝・羽生永世七冠

先日、将棋棋士の羽生善治氏が永世七冠を達成しました。これにてタイトル数の通算合計数も99となりました。このタイトルというのは、160名余りのプロ棋士がしのぎを削るタイトル戦で、優勝できて初めて手に入る称号なのです。大体1年間をかけ複数のタイトル戦を並行して戦っていきます。最も高額な竜王戦では、4320万円の優勝賞金を1つのタイトル戦で手にする、というから驚きです。

相当に強い人であっても、一度もタイトルを取れないプロもたくさんいます。羽生善治氏はこのタイトルを今までに99個も獲得しただけでなく、その時代の将棋界を代表すると言われる永世称号をも、七大タイトル全てで獲得したのです。詳しくは次のリンクをご覧ください。

→永世七冠・羽生善治

 

いかにタイトルを取るのが困難か、ここらへんは、将棋士の生き様を描いた映画『3月のライオン』によく描かれています。次の1~2枚目の画像をクリックすると、前編・後編をそれぞれ Amazon ビデオでネット上から見ることができます。(「その他の購入オプション」から「標準画質」を選択すると、それぞれ400円で購入できます。予告編は無料で視聴できます)

 

  

 

次の3枚目の画像は、羽生善治氏の奥さんがツイッターをされていまして、祝福のツイートをしましたら図らずもお返事を頂きました。何千人というファンの人々のツイートに、1つ1つ返事を返された奥さんの、ファンを大事にする心にも感動しました。この妻ありての羽生氏の活躍だったのだと知った次第です。

 

4枚目の画像は、15年前に私が取得した段位免状です。左の方に3名の署名がありますが、一番左の署名が「竜王 羽生善治」と直筆で認められています。この免状は、金銭面ではない意味で価値が上がりましたので、これからも大事にしたいと思います。

 

(平29.12.10 一部加筆・修正しました)

 

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不思議法則

しばれますね~。連日マイナス10度以下となり、冷凍庫並みの厳寒の中での配達を続けています。今日は、精神科医でドクター部の於保先生という方のお話を、一部抜粋して紹介させて頂きます。

 

難しいところなので、角度を変えてお話ししてみます。以前、やはりこころのページの「ふれあい診察室から」というコラムに「不思議法則」というのを書いたんです。いろんな人を見ていると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また、思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人が不思議に行き詰まっている。真面目な人が、頑張っているのに不思議に開けない。そこまで人に尽くしている人が、有り難がられるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしている。そういう人を見たことありません?真面目な人が意外と開けない。

そうかと思うと、ちゃらんぽらんで、図々しくて、要領よく立ち回っている人が、やることなすこと意外とうまくいく。うまくいくものですから、ますます人に持ち上げられて、ますます、開けていっているという現実がある。私はいろんな人の人生に出会う場面が多いものですから、よくそういう現象を見るんです。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。「なぜなんだろう?」最初のうち分かりませんでした。私はちょうどそういうことを研究できる立場にありまして、その結果、だんだん見えてきたことを、「ふれあい診察室」に書いたんです。最初、抵抗がありました。これはちょっと問題あるから載せてくれるかな。カットされるかなと躊躇【ちゅうちょ】したのですが、あえて書きました。おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、そういう人のためにと思って書いたんです。幸い載せてもらえました。

そうしたら、何件かやはり問い合わせがきました。「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命、折伏し、新聞啓蒙し、また、財務も頑張り、全力で戦いました。ところが、病気になって、今は生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。そうなると書いてある、そう書いてあるけれども詳しく書いてないから、よくわからない」ということで、問い合わせがきましてね。さっそく、お返事を書いて、後で喜んでいただきました。実はこういう現象が起きる原因は、その奥に一つの法則があるからなんですね。表面の現象でなく、その奥の法則を「不思議法則」と勝手に名づけたんです。

どういう法則かというと、たとえば、困っている人のため、家族のため、また、学会活動のため、広宣流布のため、世界平和のため、世の中の正義のために、戦う。だけど我慢して、自分を殺して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。「私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実るときが来る。それまでの辛抱だ」。「陰徳あれば陽報あり」なんだからと。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。つまり、これは陰徳にならないんです。どうしてかというと、妙法の当体を殺しているからなんです。同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。

ちょうど、今月のSGIグラフ(2000年5月号)の中で奥様のことを池田先生がおっしゃられています。いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」という意味の一節がありましたが、まさに、不思議法則です。

たとえば、「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また、「財務に何桁に挑戦すれば幸せになる」。こういうのを餓鬼道と言うわけです。見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜ぶなり」といわれています。有名な徳勝童子の譬えがありますね。みんながお釈迦様に供養している様子を見て、僕も何か供養したい。でも、何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげた。その功徳で阿育王に生まれ変わることができたという話しです。
ところで、もし、このとき、徳勝童子が、土饅頭をお釈迦様にさしあげれば、後で功徳がある。それを期待して土饅頭をさしあげる、という取引のような気持ちでやっているとしたら、その心には、福運はつかないでしょう。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないんです。いわゆる自己犠牲精神じゃないんです。

一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってらっしゃるからあんな詩が書けるのでしょう。嫌々、苦しみながらでは、あの写真は撮れないでしょう。(会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)池田先生の写真を見てみてください。先生の写真を見ていつも思うんです。あれを見ていると、ちょうど女子部や婦人部が「先生!」って言っているのと同じように感じません?あの花々が。我々が撮るとなかなかああいう感じにならないですね。花がただそこに咲いているって感じになるんです。しかし、先生の写真には、訴えかけてくるものがある。どうしてだろうと考えました。そしてつくづく思ったんです。法華経というのは「喜ぶ経典」なんですね。池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから、「自然との対話」と名づけられたんですね。

この話をある芸術部の人にしました。すると、その方が以前、先生と会食した時、先生が「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができるんだよ。その対話の写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。この不思議法則。不思議というのは妙。法則は法。すなわち、妙法なんですね。したがって、妙法の当体を粗末にする人は、福運を失うんです。妙法の当体を輝かせる人は、福運を増していくんです。現実にどういう行動をとっているかということは大事です。しかし、自身の本心がどっちで生きているのか。自分の生命を輝かせ、楽しみながら生きる方向なのか。自分を卑下し、追いつめていく方向なのか。その生命の奥底がどちらに向いているかがさらに重要なんですね。

(ドクター部・於保 哲外先生『海の文化と村の文化』より)

 

 

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