箴言集(1)

●内村鑑三 著『聖書之研究』から

「日本人には、ダンテは、わからない」

「日本人は浅い民(たみ)である。喜ぶにも浅い。怒(いか)るにも浅い。」

「(深く怒らない者には)ダンテも、ミルトンも、ワーズワースも、わからない」

「彼らは『深く静かに怒ること』ができない。まことに彼らは、『永久に深遠に怒ること』が、いかに正しく崇高なことかさえ知らない」

「彼らの中からは、偉大なものは、何も起こらない」

 

 「人間の相場の上がり下がり」 勝海舟の言葉 『氷川清話』から。

おれなど生来(うまれつき)人がわるいから、ちゃんと世間の相場を踏んでいるよ。 上がった相場も、いつか下がるときがあるし、下がった相場も、いつかは上がるときがあるものさ。 その上がり下がりの時間も、長くて十年はかからないよ。 それだから、自分の相場が下落したと見たら、じっとかがんでおれば、しばらくすると、また上がってくるものだ。


大奸物【だいかんぶつ】・大逆人の勝麟太郎も、今では伯爵勝安芳様だからのう。 しかし、今はこのとおりいばっていても、また、しばらくすると老いぼれてしまって、つばの一つもはきかけてくれる人もないようになるだろうよ。 世間の相場は、まあこんなものさ。 その上がり下がり十年間の辛抱ができる人は、すなわち大豪傑だ。

おれなども現にその一人だよ。 おれはずるいやつだろう。 横着だろう。 しかしそう急【せ】いても仕方がないから、寝ころんで待つが第一さ。 西洋人などの辛抱強くて気の長いのには感心するよ。

 

’83年11月4日  第13回創大祭オープニングフェスティバルでの池田先生のスピーチ(『創立者の語らい[Ⅱ]』P.82)

 第三点目に申し上げたいことは、ともかく心優しく、心強き人になっていただきたいということです。人間社会は大勢の人と人のつながりです。個人主義で、エゴで、一人でいれば自由でいいかも知れませんが、それはもはや自分自身の妥協であって勝利者とはいえない。また心強き人でなければ大勢の人を守り、そしてまた導くことはできない。

ご存知のように、私もそれこそたくさんの中傷、批判をうけた。普通だったら狂人になるか、退転か、社会から抹殺されるか、自殺か、病気か、絶対に耐えられるものではないといった人がおりましたが、しかし、私は変わりません。私は返っていろいろなことを経験できて、喜んでいる。全部勝っております。

結局、時とともに正邪がはっきりすることである。諸君もどんなことがあっても、その苦労、苦難というものを大なり小なり乗り越えていくような強い人間になってもらいたいのです。


 

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「いじめられた人」が最後は勝つ

長い人生、誰しも順調な時ばかりではないでしょう。時には人から理不尽ないじめを受けることがあるかもしれない。私も初めての折伏を決めた頃に酷いいじめを受けました。今回は教学面からではなく、池田先生が中学生と対話された『希望対話』の「いじめ」どうする?の章を通して記します。

いじめられた方は何十年経っても、その苦しみを覚えているものです。それに反して、案外いじめた方は全く忘れてしまっていることが多いようです。意外と人間は人の苦痛に鈍感な生き物なのかもしれません。

次元は違いますが、「ナチハンター」と呼ばれる人達をご存知ですか。ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を生き残った人々が、ナチスの生き残りを見つけ法の裁きを受けさせることを目的に、地球の果てまでも行方を追っているのが、ナチハンターです。決して悪を許さぬとの、壮烈なまでのナチハンターの方達ですが、高齢化が進んでおり、残された時間との戦いでもあるようです。

次に復讐という観点で見ますと、草創の水滸会で『巌窟王【がんくつおう】』を研鑽した時に、戸田第2代会長は次のように言ったそうです。「陰険で、執念深いのは、いやだな」と言われ、青年が復讐に生きるような人生を否定的に見ています。そしてキリストの神に力が無いから、代わりに人間が裁くのだというこの物語の考えは間違っているとして、法罰【ほうばち】でいかなければならないと言われています。法に力があるときには、人間が人間を罰する必要はないからであると仰っているのです。

いじめからナチハンター、巌窟王と話が進みましたが、ここで『希望対話』から特に印象に残った部分を紹介します。

もしか、君が自分で自分を、だめだと思っても、私はそうは思わない。あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない。「いじめられているから、だめ」なんじゃない。反対です。今、いじめられている君のほうが、将来は偉くなる。幸福になる。いじめた人間は、だめになっていく。

(中略)
偉い人は、みんな、いじめられてきた。人をいじめて、偉くなった人はいません。格好だけ偉そうに見せても、それは、にせものです。心は砂漠です。全然、偉くない。幸せでもない。いじめられ、いじめられ、それでも「私は負けない!」と行きぬいた人が、最後は勝つ。

(中略)
インドの詩人タゴールは言いました。「人間の歴史は、侮辱【ぶじょく】された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」と。(中略) 創価学会は「いじめられている人」の味方です。いつも「いじめられている人」のそばにいるのです。「いちばんいじめられた人」が「いちばん幸せになる」ために戦っているのです。70年間、これまでもそうだったし、これからも永遠にそうです。

いま職場や学校などでいじめを受けている人、或いは身近にいじめられている人がいて心ひそかに胸を痛めている人は、ぜひこの『希望対話』の「いじめ」どうする?の章を読んでみてください。普及版で約100ページありますが、希望と励ましのシャワーを全身に浴びることができるでしょう。そして新たな一歩を踏み出せることでしょう。


 

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そ法と妙法 ~4つの過ち

先生の『一生成仏抄講義』を元にして、妙法とそ法について述べてみます。

都(すべ)て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、
(中略)
若(も)し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮(びんぐ)の人日夜に隣の財(たから)を計(かぞ)へたれども半銭の得分もなきが如し、

然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、
故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、
爰(ここ)を以て止観には雖学仏教・還同外見(すいがくぶっきょう・げんどうげけん)と釈せり、

然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、
(御書383ページ)

この御文への講義において、「心外に道を求めるのは無明に負けた姿」と題して次のように仰っています。

己心における無明との戦いは、凡夫が仏になるために、避けて通ることのできない生命の闘争なのです。すなわち、常に胸中の無明と戦い続けるかどうか、という一点こそ、永遠に忘れてはならない成仏への最大の課題です。

ゆえに、ひたむきに唱題し創価学会の実践を貫く中に、必ず成仏の境涯が開けます。伸び伸びと自分らしく輝いていくための信仰です。ですから大事なことは、”信心をしていこう” ”深めていこう” ”創価学会の中で頑張っていこう” という前進への一念であるとご指導されています。

その上で、御文より前の部分で仰せの「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書383ページ)との戒めを、信心論から具体的に4つ挙げられています。それが「責任転嫁」「おすがり信仰」「不信・グチ・文句」「同志への怨嫉」です。

1.責任転嫁
例えば ”あの人が悪い” ”周りが悪い” などと責任転嫁【てんか】だけしている姿は、祈っていても、自己の無明との戦いを避けているゆえに、「心外に道を求め」ています。一歩深く自分が変わることによって事態を改善していくための原動力が祈りなのです。

2.おすがり信仰
神仏にすがり、その超越的な力で自分の願いを叶える信仰で、己心の外に法を見る典型です。爾前権経の権仏【ごんぶつ】がこうした信仰の対象になりやすい。悩んでいるようでいて、自分自身の課題から目をそらし、挑戦していく勇気も行動もないゆえに、その本質は「逃避」です。それでは、厳しく言えば、信仰を「逃避」の隠れ蓑【かくれみの】にしてしまっている。一生成仏のためには、自分の課題に真正面から挑戦し、自分の生命を鍛えていくことが必要なのです。

3.不信・グチ・文句
例えば、「仏性といっても理想に過ぎないのではないか、現実は変わらないのではないか」との不信感があれば、確信なき祈りや漠然とした祈りとして現れてしまう。そこで必要なのが、「深く信心を発【おこ】すべきなり」とあるように、常に祈りを深化させていくことと、一念を定めることです。弓で矢を射る時に的【まと】を定めて、初めて弓を引く力がこもるように、「必ず・・・するのだ」という確信ある祈り、決定した一念であってこそ、祈りは成就するのです。

この漠然たる不信に通じる門として「グチ」や「文句」があります。それらは自分の成長のブレーキとなって、前進できなくなります。自身の可能性を自ら閉ざすことになり、「己心の外に法あり」に陥ってしまいます。凡夫にはグチ・文句を消すことは難しくても、上手に操り、前進へのバネとすることが、妙法の智慧です。

4.同志への怨嫉
同志への怨嫉・嫉妬・誹謗は同志の仏性を否定することとなり、「己心の外に法あり」の方向へ向かいます。他者の仏性への不信は「万人が皆、仏である」という法華経の心を否定することであるので、成仏を願っても叶わず、結局は謗法になってしまうと大聖人は仰せです。異体同心で自他ともの幸福を願う唱題こそ、真の一生成仏の題目なのです。

 

先生は、無明との闘争――この我が胸中の戦いこそが唱題行の本質であると仰っています。そして、仏教で説かれたあらゆる修行や、諸仏への信仰も、己心の外に道を求める限り、それはあたかも、隣人の財産を数えても、自分には何も得られないのと同じであるだけでなく、結局は、「無量の苦行」となるとまで大聖人は仰せです。さらに、無明との戦いを避け、己心の外に道を求める限り、いかに万行万善を実践しても、仏法の本質から外れていくのであり、それゆえ「仏法を学して外道となる」と言われているのです。

大聖人は本抄で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず そ法(不完全な法)なり」(御書383ページ)と戒めになっています。信の利剣をもって元品の無明を対治していくところにこそ、唱題行の本質があるのです。末尾に戸田第二代会長が、草創の女子部に指導した言葉を紹介されています。

もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りを持ちなさい。気高い心で、人生を勝ち抜くことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない。

一遍一遍の唱題もあらゆる活動も、すべて「我が一念に納めたる功徳善根」であるとの大確信で、改めて前進していきます。

(H27.9.8 一部修正しました)


一生成仏抄講義


 



 

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病との戦いを通じて勝ち得たもの

私レオの信仰体験です。 pdf 文書、全8ページの長文です。 拙HP「さぶろく」でも閲覧できます。

次のリンクを左クリックしてください。または、リンクの上で右クリックし「対象をファイルに保存」してもよいです。

パスワードは「学会創立100周年」の西暦年4ケタの数字と組み合わせます。pdf を開くときに聞いてきますので、打ち込んでください。
パスワード: soka○○○○  (○○○○が数字です)


病との戦いを通じて勝ち得たもの

 

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信用と約束

[信用と約束]

 1.
できないことは
初めから約束など
しないことだ
一旦 約束したなら
命がけで約束を守ることだ
信用とはそこから始まるものだから
(レオ)

 2.
信用は
人間として生きる
基礎であり土台である
約束を軽んじる人間は
誰からも信頼されない
だから一度した約束は
何を犠牲にしても守る
その至誠の中にこそ
自他を繁栄させる因がある
(レオ)


最近、周りに約束を破る人が目につきます。
友人、内部、依頼客・・・。

自分はどこまでも信義の人でありたいと期しています。
なぜなら、財産も、肩書も、名誉も、立場も、何も持たないだけに、結局は体と信用だけしか無いから。
それだけが唯一の資本であるからです。
もちろん、御本尊こそ根本は揺るぎません。



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