1200万遍達成

6年連続で年間200万遍を11月21日に達成しました。

ところで前回11月2日の記事に訂正がありました。
昨年末時点での超過分24万2千遍を加算し忘れたことから、6年間での1200万遍も10月中旬頃に達成していたことが判明しました。

「唱題に挑戦するとあのような素晴らしい人生になれるんだ」
との信心即生活と価値創造の実証を示すべく、一層、精進と努力を積み重ねていきます。


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ひまわり 他

今年8月の北海道青年大会で歌われた歌です。
歌手のTAEKOさんの冬の苦節時代のお話を聞きました。

凍てつく冬の苦闘を乗り越えてこそ、春の喜びの真の価値を理解することができ、苦悩する友をも励ますこともできる。
そういうメッセージを強く感じさせる歌です。





つぎに、ベッド・ミドラーのローズをお聞き下さい。


→ローズ


最後に佐野有美さんは「手足のないチアリーダー」として新聞で知りました。
ハンディに負けない明るい曲調の歌声に、希望と励ましをもらいました。
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読書と思索の暇をつくれ

前回の投稿から10日余り、あらゆることに大きな動きがあった。
11月17日の公明党結党50周年。
11月18日の学会創立84周年。
11月21日の衆議院解散。

2年振りの解散・師走総選挙しかも準備期間もない短期決戦でということで、何よりも絶対無事故での完全勝利を期している。
決して活動に使われることなく、自己の宿命転換と生活・仕事の目標達成のために、活動を使いこなしていく決心である。

この時期にまったく相応【ふさわ】しくないとのご叱責を覚悟で、標題に上げた「青年は読書と思索の暇【いとま】をつくれ」との指針について、私なりに述べてみたい。
むしろ多忙を極める時こそ、この指針を忘れてはならないと考えるからである。

「御書をわかるためには、文学を読むことです。文学を読むことによって、御書もわかるようになる。御書も、文学も、人間模様を表したものです」
との先生のご指導をまず紹介したい。
(上記は「青春対話の「文学との語らい」の章から。本記事のこれより以下の先生の指導は全て趣意です)


御書を徹して拝読し、実践を通して心肝に染めることは何より大事である。
その上で、御書だけ読んでいては、意外と御書の凄さが見えにくくなるのかもしれない。
「論語読みの論語読まず」ならぬ、「御書読みの御書読まず」となってしまう場合があるのだろう。

人間と社会、歴史等への深い洞察力はもちろんのこと、文学などの様々な教養をも身に付けていった時に、それらを土台として、御書に込められた珠玉の宝に迫ることができるのである。

学会には学歴はなくとも、最前線の現場で長年磨き上げた実践智と労苦の経験で、御書を体現し広布に生き抜いてきた無冠の王者がたくさんおられる。
その上で、学ぶことに興味がある人、本好きな人、御書をより深く読んでいきたいという人には、特に名作に挑戦することをお勧めしたい。

あのナポレオンも幼少のころから徹底して本を読んでいたそうである。
ありとあらゆる万般の学問を、本を通して身に付けていったのである。
生涯に行なった戦争のことだけがイメージが強いが、実は市民法典の範といわれるナポレオン法典の制定や、全土に数千校の公立学校をつくったこと、ヨーロッパ統一に果たした功績など、内政・外交にも後の世界の人々に与えた功績も多大なのである。

話は飛んで、創価大学には池田先生から寄贈された、書籍が3万冊あり池田文庫といって自由に閲覧が可能となっている。
法律、政治、経済、文学、自然科学、哲学・思想、美術、等々ありとあらゆる学問・教養を、一流のリーダーは皆誰しも学んでいるのである。

先生も言われているが、指導者は誰よりも学ばなければならない。
学ばない指導者、成長の止まった指導者に率【ひき】いられた民衆は不幸である、とも言われている。

戸田第2代会長は言われていたそうだ。
5分あれば読書・思索はできる。
通勤時間のたった5分でも勉強は可能だ、トイレの中でもやろうと思えばできる、とも言われている。
末尾に今回の記事に関係が深いと思われる御書を掲げてみたい。

御義口伝に云く此の法華経を閻浮提に行ずることは
普賢菩薩の威神の力に依るなり、
此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり云云。
(御書780㌻)

この南無妙法蓮華経が全世界に広宣流布することは、普【あまね】く賢いといわれる普賢菩薩の力によるのである、との仰せである。
妙法の英才たる男女青年部、なかんずく学生部の使命は大きい。
もと学生部出身者もいよいよ意気軒昂に前進していこうではないか。

(H28.1.27 加筆・修正しました)

 

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本因妙の仏法

本因とは、仏が成仏した根本の因のことである。
この本因は、思議することができない境涯であるので妙という。
結論を言えば、釈尊が成仏した本因は寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経を信受・実践したことにある。

これを我々の修行・生活に約して言えば、時間的惰性の連続をいったん断ち切り、行動と生命の因果を劇的に革命することと言えよう。
このことを詳しく述べる前に、御書を拝してみよう。


心地観経に曰く
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ
 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云
(御書231㌻)

この御文にあるように、今の自分の姿は、あくまで自分が過去に身口意の三業で為してきた行動の結果の現れである。
また未来に自分がどうなっているかを知りたければ、今この瞬間・瞬間に何を為しているか、どういう因を積んでいるかを見ればよいのである。

誰しも過去に縛られ、過去の延長線上に生きていると言える。
「今までこうだったのだから。もう変えられない」
と、無意識のうちに諦めに支配されている。
こうしていつの間にか惰性の日々を送り、ふと気づけば長い年月が過ぎ去っており、何事を成すこともなく、本当の生命の充実のない、名聞名利にとらわれた浅はかな生を送っている。

では、仏法の知見では克服の方途をどう説いているかというと、釈迦仏法では、あなたが今不幸なのは、過去に悪業を積んだからだ。
それを、生まれては死に、生まれては死に、を繰り返して、少しずつその悪業を消して善業に変えていくしかない、と説く。
こんなことは末法の凡夫には不可能であり、そこには絶望しかないのである。

これに対して、大聖人の本因妙の仏法は、希望の哲学であり、究極のポジティブ思考である。
過去は問わない、過去がどうあれ、大事なのは今なにを為すかだ。
今の勇気ある行動が未来をつくるのだ。
この「自分の運命を自分で切り開いていく」との強き自律性こそ、本因妙の大きな特徴の1つである。
このことは様々に表現できよう。

「すべてが今この瞬間から始まる」
「運命はどうにでも変えていける」
「自分だけに限らず、地域・世界の変革も、自己の一念の変革から始まる」
「希望をつくりだすのは他の誰でもない。自分こそその主体者だ」

末尾に、数年前の大白蓮華に載っていた指導を紹介する。

壮年幹部が手を挙げて立ち上がった。
「池田先生はよく、『本因妙』と言われますが、どのような意味でしょうか?」
教学の質問であった。

池田会長(当時)の話は常に説明や理屈だけでは終わらない。心を開き、指針を示し、具体的である。
 「私たちの生活の上で見れば、”もうこれでよいのだ”とあきらめたりしないで、いつも価値創造をしていく。
 人生を希望に燃えて進んでいく。
 そのような生き甲斐のある人生、その一念が、本因妙という意味になるのです。たとえばーーー」

会長の話はわかりやすい。
 「女子部のある人が区長になったとします。その人が”もう私は区長になったのだから、これでよいのだ”と決めた場合は『本果』です。
 ”区長であるけれども、最高の区長になろう”。また、”区長になったのだから、より深い信心に立てるまでがんばろう”と努力する。
 または、”自分は今講師だ、教授になるまで教学の勉強にがんばろう”ーーーこの”どこまでも、がんばっていくのだ”という一念が、本因妙の心掛けであり、本因妙の仏道修行になるのです」


停滞・慢心の「本果」を打ち破って、常に「本因妙」の一念に立って、成長の節をこれからも刻んでいく決意である。



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今年186万遍達成

今年元日から10月末日までで186万遍の唱題をやり切りました。
この5年と10カ月だけで集計すると1186万遍となり、再発心後の29年間で3600万遍達成となりました。

いまのペースがだいぶ確固として定着してきました。
あとはしっかりと「自行化他」にわたる唱題行を、さらに強盛に実践していきます。

ところでこの3600万遍という題目ですが、1000遍=15分で数えると、3600万遍=9000時間となります。

この9000時間というのはどういう長さかというと、
9000時間/24時間=375日
という結果が得られます。
すなわち1年間と10日間を毎日、24時間ぶっつづけで唱え続けたのと、時間的には等しいのです。
それだけの量を約30年間かかって、コツコツと積み重ねてきたことになります。

振り返ってみれば、石の上にも30年です。
少年部時代の分も含めれば少しは増えるでしょうか。

これを機会にさらに遡【さかのぼ】ってみますと、私が勤行を覚えたのはもう46~47年も前になるでしょうか。
当時は愛知県の春日井市に住んでおり、未だ小学校に上がるだいぶ前だったと思います。
今でもその時の光景を鮮明に覚えています。

私の母がある日突然、トランプカードより少し小さいサイズに切った画用紙だったのでしょうか、1枚1枚に、あいうえお55音を書いたものを、幼い私に見せ、
「これは『あ』だよ。『あ』。『あ』。さぁ、『あ』と言ってごらん」
といった具合に、徹底してひらがなから覚えさせられました。
完全に覚えるまで毎日毎日、特訓でした。

あいうえお55音が一通り言えるようになると、なんと今度は法華経方便品と寿量品をまずは読めるように、母から徹底してトレーニングされました。
全部でどれくらいの時間で覚えたかは記憶が定かでありませんが、数カ月でマスターしたでしょうか。

そのことが私の幼年時代の記憶として鮮明に焼き付いています。
今はその母も73歳になります。
今の自分があるのは、母を初め多くの導いてくれた恩人たちが居てくれたからこそであり、深く感謝致します。
学会指導に、次のようにあります。

「人に言ったら愚癡になり、御本尊に言ったら祈りになる」

「題目には鉄の扉を開く力がある」

さらに、創大卒業式で先生より直に聞いた、アルゼンチンの詩人であり教育者のアルマフエルテの詩に、こうあります。

「苦悩は
弱い者にとっては
閉ざされる扉であり
強い者にとっては
開かれゆく扉である」

苦悩は、弱い人間にとっては、前途を阻【はば】む。
しかし、強い人間にとっては、苦悩さえも、前途を洋々と開く、きっかけとなる。
すべては、自分自身の「心」で決まる。決心で決まる。「心こそ大切なれ」である。

今後も、弥々【いよいよ】信心の情熱を燃え上がらせ、「熱湯の信心」で前進していきます。
長文失礼しました。



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