人の用い方

『人の用い方』という本を読了した。
全593ページで定価10,100円という高額な本だ。

筆者は埼玉銀行に14歳で入行し、20歳で父親の莫大な借金を背負うことになる。
幾多の艱難辛苦を乗り越え、刻苦勉励し画期的な業績を打ちたて、経営陣の1人となる。
その後、多くの会社再建に尽力し、短期間に無借金の超優良会社に甦らせる。
名経営者としての評判が高い。

いくつか印象に残った部分を、最後半部分からのみであるが抜粋してみたい。
私のもう1つのHPにジャンプする。

→印象に残った部分

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ブログ10周年

早いものでブログ「夢の醸造所」を開設してから、今日で10周年となりました。
記事の総数は以下の通りです。

旧・夢の醸造所     計255件
夢の醸造所2.0     計173件
――――――――――――――――――――――――――――――
(総計)         総計428件

振り返ってみると10年で400以上もの記事を書くことができ、我ながら驚きです。
ブログを始めた当初は、「これからコンピューターの世界では、ブログがはやり始める」との言葉がちらほら聞こえ始めた時でした。
仕事や何かにと役立つかもしれないし、「まず体感してみよう」と、ほとんど深い動機もなくブログを始めたのでした。

最初の頃の記事は、日記風にたわいもない内容を、気持ちの赴くままに書いていました。
それがいつ頃からか、信仰に関する記事が大部分を占めるようになっていきました。

いち会員が体験を載せるとなると、媒体はふつう、聖教新聞や大白蓮華など、一部のメディアに限られています。
それがブログの登場で、誰もが比較的 手軽に情報発信することが可能になりました。

ある意味、発言の自由が万人のものになったからこそ、何を書いてもよいのではなく、書き表わした物の質と、書いた人の人格・心が、厳しく問われることになると思います。
読み手と書き手の相互交流をともなった、人間としての向上の歩みと、真実を探究する誠実な求道の心こそが、真の価値を創造する源だからです。

そうでなければ、「類は友を呼ぶ」で同じような境涯の者が集まって、単に居心地が良いだけで終わってしまうでしょう。
そして、そこから本当に得るべき価値や向上が何も無いという、烏合の衆が群れるだけの「場」となるでしょう。
やがては、ジャンク情報の羅列と見極められ、良識ある人は去っていってしまい、境涯の低い人しか残らない荒れ地のような所になってしまうでしょう。

さて、「十年一剣を磨く」 とあります。
我ながら振り返ってみると、まだまだ人様に読んでもらうには、赤面の部分も多いのですが、確かに文章としては多少は練られてきたように思います。
多くの方のアドバイスも頂きながら、文を書く勘所は、10年前に比べると、自分なりに少しは把握できてきたのではと思うのです。

何よりもこの10年で磨かれたのは、私自身の生命が題目により磨かれてきました。
このブログと共に歩んだ10年間だけで1600万遍の題目を唱え切ることができました。

現実の学会の集いは元より、ブログにおいても決意を述べ、多くの同志の方々からの陰に陽にわたる励ましを受けて、一歩一歩、人生・生活を前進させ、ブログの歩みも進めてきました。
改めて、池田先生、同志の皆様、陰に陽に励ましを頂いた、友人・知人の皆様に、深く御礼と感謝を申し上げます。

創価ブログ村もこの10年で様変わりし、多士済々のメンバーの記事で、百花が咲き乱れているかのような盛況を呈していることは、大きな喜びです。

私も次の10年も悔いなき大勝利、大満足の10年としていけるよう、今日より改めて踊躍前進していきます。
より一層の応援、ご指導を何卒宜しくお願いします。

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天は五衰を受く

天はごすいをうく と読む。
天(界)には5つの衰【おとろ】えがあるとの意味である。
詳しくは仏教哲学大辞典で「五衰」に載っているので、お調べ頂きたい。

別な御文として、
「魔は天界に住む」
とも言われる。

いづれも天界のもろさ、危うさ、永続性の無さ、を指摘した言葉だ。

話を転じて、大聖人はご自身の生涯を次のように述懐されている。
山に山をかさね、波に波をたたみ、難に難を加え、非に非を増すべし

すなわち次から次へと難がおそいかかり、道理に背いた非難・悪口罵詈がますます増えるばかりであると。
大聖人は御生涯を通じて、どうしてあれほどの大難に遭われ、乗り越えていく必要があったのであろうか。

一面から言えば、次から次へと功徳だけを得て、言わば天界の喜びにひたることが、信心の目的ではないということが言える。
そこには何の鍛えも無いからである。

大きな「蔵の財」「身の財」を一時的に得て、これ以上無いとの喜びに浸ったとしても、それら財を失ってしまえばもろくも崩れ去る喜びでしかない。
財を守りたいがために、周りの人や身内へさえも猜疑心【さいぎしん】をつのらせるだけだとしたら、財が不幸の因にさえなってしまう。

それら低い財を得ただけの喜びは、結果として五衰を受け、魔が設けた落とし穴にはまる、敗北の人生となる場合が多い。
自ら困難を呼び起こし、困難に真正面から立ち向かい、困難を乗り越えたところに得られる幸福こそ本物である。
自己の生命の鍛錬なくして、真実の幸福はないのである。

広宣流布という大目的への遠征においても、功徳だけにとらわれて、言わば砂糖を舐めているような人生の人に、眼前で悩み苦しむ友に同苦し励ますことなどができるだろうか。
苦労に苦労を重ねてきた人、それらを乗り越えてきた人こそが、苦労している人を励まし、希望を与えゆくことができるのである。

もちろん人生も社会も厳しい、生きることは誰しも戦いだから、大なり小なり苦労はつきものである。
要は、功徳を得る目的は何であるのか、功徳を何に使い役立たせていくのか、が大事なのである。

当然ではあるが、末法の御本仏の大境涯を、そのまま私たちに当てはめるのは、無理がある場合もあろう。
また、功徳の実証を勝ちとることにより確信を増し、朗らかに前進していくことは非常に重要であり、このことを否定するつもりなど全く無い。

難来たるをもって安楽と心得べきである

との御文が胸に迫ってくる今日この頃である。

一流のサーファーは大きな波を求めて、多大な費用をかけて、世界中を渡り歩くという。
目の前の困難にひるみ逃げる臆病ではなく、自ら求めて大きな困難に挑戦しゆく勇気の人生こそ、真の仏法者の生き方ではないか。

どこまでも鍛え上げられた強い自分であれば、どんな困難の波をも悠々と楽しんでいけるのである。

そのためにも、いかに強い樹木でも1本だけだと、大風に倒れてしまうものだから、強い添え木である善知識の集いに求めて参加することが、信心の大事な秘訣である。
(平26.3.17 一部分、加筆しました)

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十大部講義録

十大部とは以下の御抄です。

立正安国論
開目抄
観心本尊抄
報恩抄
撰時抄
唱法華題目抄
法華取要抄
本尊問答抄
下山御消息
四信五品抄

この内、上の五編を特に五大部と呼び重書中の重書です。
私事ですが、この五大部を三代の会長が講義された講義録を、4年前に23年かかって全巻読了しました。
現在では五大部講義録は手に入れるのさえ、なかなか困難です。

五大部講義録1

五大部講義録2

引き続き教学研鑽の自分の1つの目標ということで、十大部の内、残りの五編の講義録 全巻読了をずっと考えていました。
しかし残り五編については講義録が未刊なので存在しません。

強いて挙げれば各地の青年部によって執筆され、池田先生監修となる「・・・に学ぶ」のシリーズがあります。
詳しく調べてみると、4編については発刊されているようですが、『四信五品抄に学ぶ』だけはなぜか未刊で存在しないようです。

手元には『下山御消息に学ぶ』の第1巻しかなく、その他の「・・・に学ぶ」シリーズは十大部ではないかすでに研鑽した五大部しかありません。
これら「・・・に学ぶ」シリーズは、入手がさらに困難なようです。
ネットにアップされた労作があるようですが、そちらに当たるしかないようです。

『百六箇抄講義』についても、先生の講義は読んだのですが、旧版の仏教哲学大辞典の講義は未だ読んでいません。
五大部も十大部も百六箇抄も、ただ読めばよいというものではないです。
しかし一度の通読だけで、どれだけ血肉にできるかは心もとないですが、読むことさえしなければ、ずっと封印したままとなってしまい、一歩も前進がありません。

御書全編拝読でも講義録読了でも、なにか具体的目標を持つことは大事だと思います。
日寛上人の六巻抄や文段も並行して研鑽を進めたいと考えています。

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