都議選全員当選

 

真剣に祈り抜き
勇敢に行動した皆が
人間革命の勝利者!
広布への労苦に
功徳は燦然と輝く!


「わが友に贈る」6月24日付です。

全員当選まことにおめでとうございます。
現地で戦った皆さま、応援に駆け付けた全国の皆さま、電話による応援をして下さった皆さま、祈りに祈り抜いて下さった皆さま、ここまで本当にお疲れ様でございました。

→KOMEIオフィシャルサイト

「勝って兜【かぶと】の緒を締めよ」
との有名な言葉がありますが、衆参ねじれの状態にあって、今回大敗した野党側も問責決議という大きな手を打ってきました。

勝ったことによって油断し手を緩めてしまえば、対抗勢力側は勢いを盛り返して来るかもしれません。
傲【おご】りと油断こそ、最大に戒めるべき最大の敵です。

間違っても勝利が次の敗因とならないように、連続勝利(常勝)こそ我々に課せられたミッション(=使命)です。

疲れを溜めないよう、英気を養うリフレッシュ期間も上手に取りながら、取り消すことのできない決勝点目指して、再スタートを切っていきます。

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大駒1つだけでは戦いにならない

将棋について記事にしてみたいと思います。
私は名ばかり段位者なのです。
というのはいろいろと多忙で、最近、将棋を指す暇もないからです。
と、言い訳になりますが、実力が段位からまったくかけ離れています。

表題についてですが、角や飛車のことを大駒と呼びます。
角や飛車はうまく活用できれば、とても気分爽快で人気の高い駒なのです。
それぞれ対角線状、または十文字にどこまでも進むことができ、大砲のように強力な駒です。
遠くまで効【き】きが及ぶという意味では、盤上の隅々に睨【にら】みを効かす、相手にすればとても怖い存在感のある駒です。
まして相手陣地に入ると成り駒となって、向かうところ敵無しの最強の駒となります。

しかしです。
どんな駒も無敵ということはありません、長所があれば必ず欠点もあります。
飛車角の大駒の弱点は、いくら力の強い大駒でも、一枚で1人ぼっちで使うと意外にもろい所があるのです。
初心者のそういう大駒を頼り過ぎ、過信する指し方の弱点を突いて、有段者は飛車角を目標にさえしてくることが多いのです。

有段者相手に大駒を目標にされると、大駒を詰ます感覚で早晩取られて相手の持ち駒になってしまいます。
こうなると駒が強力なだけに、初心者は戦意喪失です。
私も何度、有段者にこうして苛められたことか。

すなわち、大駒は1人だけでは意外と何もできないのです。
金・銀・桂馬・香車・歩といった他の駒や小駒と連係プレーがうまくいった時に、大駒は本来のパワーを発揮するのです。
こういう所も、将棋の面白さの1つです。

これは人間や組織についても意外と似たようなことが当てはまると思います。
どんなに力量の高いリーダーもその人1人だけの単独プレーでは、意外と何もできない。
せっかく素晴らしい能力も発揮できない。
いろいろな特長・個性を持った人々と最高の連係プレー=異体同心で事に当たった時、大駒の長所もカナ駒や小駒の長所も、相乗効果で活かされていくのが人と人との妙とも言うべきことだと思います。

どんな人材も、その人ならではの使命が必ずあります。
(自分を含めてですが)、どんな人材も、活かすも殺すも中心者や指導者の一念次第だと言えそうです。
もちろん将棋の駒はどこまでいっても単なる駒であり、人間の人材と単純に同一視することはできません。
ですが、「一切法即仏法」からすれば、何事からも学ぶことはできると思います。

将棋の駒

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900万遍達成

今日で4年と5カ月余りかけて唱題900万遍を達成しました。
少し前の聖教新聞に、祈ること自体が目的になってはいけない、何のために題目をあげるのかとの、こちらの一念こそが大事、とのある大先輩の指導が載っていました。

広布のためにとの一念、戦う一念、自他の幸福の実証を開きゆく一念、をと思いを新たにしています。

つい最近も、悩み抜いた果てに、万策尽きたと呆然と思った時に、
「私には御本尊があるではないか、もう祈り切るしかない」
と猛然と1万遍の題目を4日間繰り返しました。

ちょうど合計10時間に達したとき、橋がないところに橋がかかりました。
道がないところに道ができました。
音を立てて大きく解決の歯車が回転したのです。

創価の御本尊は凄いです。
題目の力は凄いです。
先生は、題目には鉄の扉を開ける力があるのです、と仰っています。

ひとたび創価の御本尊を持ったからには、
行き詰れば行き詰るほど、チャンスです。
もうだめだと思った時ほど、この信心で見事に解決し、体験と確信をつかむ好機到来なのです。

御聖訓に、次のようにある通りなのです。

「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」
(御書p.1300)

「妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがへる義なり、
(中略)
法華経は死せる者をも治するが故に妙と云ふ釈なり、
されば諸経にしては仏になる者も仏になるべからず
其の故は法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ、
なりやすき者は云ふにや及ぶと云う道理立ちぬれば
法華経をとかれて後は諸経にをもむく一人もあるべからず」
(p.947)

文底の法華経に具わる、醍醐のなかの醍醐味を、これからも存分に自受法楽――ほしいままに受け用いていきます。
そしてその大歓喜をもって、苦悩に沈む、道を求める友人たちに、創価の仏法の素晴らしさを我が身で示し切っていきます。

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