適応機制

「適応機制」―てきおうきせい は「防衛機制」とも言われるそうだが、初めて目にしたのは、年齢制限で断念するまで8回にわたって受け続けた教員採用試験であった。心理学の概念であるが、今では介護現場などでも学ばれているようである。

人間の複雑微妙な「心」のはたらきを一歩深く知るための一助として、紹介したい。

 

 

 

→適応機制の解説1

→適応機制の解説2

 

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初級・青年3級試験の結果

初級・青年3級教学試験たいへんにお疲れ様でした。自分は今回現場で壮年部2名を担当させて頂き、見事2人とも合格されました。

6月末から計12回、毎回約2時間の勉強会を完走しきったメンバー。勤行が持続できていない人でしたが、12回全回で共に勤行・唱題から学習をスタートし、効率よく研鑚を進めることができました。合格の報を届けると、ガッチリと握手を求められ、満面の笑みで喜んでくれました。学習当初に本人が云うには、「約20年、試験を受けずにパスしてきました」とのことで、感慨もひとしおだったようです。もうひと方は大変に努力家のメンバーです。一緒に行なった学習会の回数は少なかったですが、「そこまでやるのですか」という位、徹底してノートに大百の解説を書き写していました。私が作成した問題集にも真剣に取り組んでいました。

このお二人は合格されましたが、なかには結果が出なかった方もいると思います。私自身も、3級では1度苦杯を舐めています。今にして思えば、自分の場合は気持ちのどこかに「逃げ」があり、真剣味が足りなかったのです。その後、境遇において一度どん底を味わうこととなり、「逃げてはいけない! 立ち向かうしかないのだ!」と腹の底から学んだ出来事でした。

今回、不本意な結果だった方々も、一人一人置かれた状況は大きく違ったことでしょう。多忙ななか、何かと大変ななか、受験したこと、受験を決意したこと自体が勝利です。「信心の合格者」と胸を張ってください。結果はどうあれ、「次の勝ちの因を刻んだのだ」と確信してください。大聖人の仏法を学べること自体が、何にもまして最高の福徳なのですから。

話が飛んで私事にもなりますが、今回の学習会をやり切った最終日の丁度翌日から、大きな仕事を受注することができました。突然の支援の戦いと重なって多忙を極めていますが、充実した日々を過ごしています。

御書にある通り、仏法を学べば学ぶほどいよいよ信心に励む人こそが、本当の求道心ある人です。合否を超えて、今回の試験を受験した人も担当者も、題目の応援をしてくれた人も、全員が地域に広布拡大の波動を起こしていきましょう。

 

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役職について(2)

すべての会員が役職を持つ訳ではありませんが、役職があるとないとでは、成長の度合いが大きく違ってきます。役職を担うことによって信心が深まり、使命の自覚も進むからです。ただし、先生が仰っているように、役職は広宣流布を進め会員の幸福を実現するためのあくまで「手段=方便」です。厳しく言えば、もし仮に広布を前進させられない役職であったとしたら、無意味であるだけでなく、じゃまをしている場合もあるのです。幹部が学会に偉くしてもらいながら、自分の力で偉くなったと錯覚し傲慢になったり、あるいは民衆仏法という魂を忘れ、貴族仏教かまたは、悪しき特権階級に成り下がったとしたら、役職を設ける意味が無いです。

他にも、自分を飾るために役職を利用するのではなく、逆に自分の戦いで頂いた役職を輝かせていくのだ、とのご指導もあります。役職の数には限りがあるので、希望する人すべてが就ける訳ではありません。役職者として必要な資質や実績はもちろん、仕事の状況、健康状態等も、当然厳しく選考されます。いずれにしても、役職があろうと無かろうと同じ思いで戦い行動できてこそ本物です。役職が無ければ戦えないのだとしたら、どこかに人の評価を気にする打算的態度があるのではないでしょうか。

なかには、「希望した役職に就けなかったから」との理由で、活動を一切辞めた人がいます。人事の権限は上位役職の人たちが持っていますので、時には「これほど戦ってるのに上がらないのはなぜ?」と感じることがあるかもしれません。その傍で、とんとん拍子に上がっていく人を見ると、複雑な心境になることもあるでしょう。仮にそう思う時があったとしても、役職を理由に心が腐ったり信心を退いたとしたら、これほど愚かなことはないです。役職が信心の目的ではないのです。先の指導にもあるように、広布を進めるいち方便として役職があるのです。

あえて申せば、本当に役職に就きたいと思うなら、見事なる広布と折伏の成果・実績を上げ、人間としての人格・力量においても成長を強く志すのです。その結果として、「もうこの人に任せるしかない」とほとんどの人の見方が一致する戦いをしているなら、もはや、上位の人事権者が任命をためらう理由はないのです。何より我が命を懸けて広布の使命を果たそうとの決定した一念と行動があれば、役職は後からついてくるでしょう。極論すれば、全員が会長になる必要もなければ、逆に全員がブロック・地区幹部になる必要もない。学会の役職は会員のためにこそあります。したがって己が責任を真剣に果たしている役職者は、どの人も一人ひとりなくてはならない大切な存在なのです。

そもそも、役職は人間に「序列」を付けるものでは決してありません。役職が高いから人間として偉いのか、特別な人間なのか、そんなことはないのです。境智行位という法門で「仏法上の生命の位」が高いとしても、民衆に尽くしぬいてこその現代の力あるリーダーです。「リーダは民衆に仕える召使である」との意味もそこにあります。戸田第2代会長いわく、「出来の悪い人間(幹部)ほど威張っている」との指摘を胸に当てるべきです。役職は軽視してもいけませんが、絶対視してもいけないと思います。あらゆる角度から正視眼でとらえる必要があるのです。

 

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役職について(1)

6年前に書いた記事を元に、役職について考察します。

◆平成15年12月13日付、聖教 「海外・第2総東京代表協議会でのSGI会長のスピーチ」から

 広宣流布の役職を全うするなかで、自分自身の「境涯」が開かれる。

 広宣流布の責任を担って、粘り抜いた人間が、最後に勝つ。役職を軽視して、勝手気ままに生きる人は、一時は、いいようでも、大福運の道を自ら閉ざす。人生の最終章に苦しんでしまう。

 仏法に「境智行位【きょうちぎょうい】」という法門がある。「境」とは獲得すべき真理である。学会の役職にあてはめれば「果たすべき使命」といえよう。その使命を果たすために「智慧」を尽くし、「行動」を尽くしていく。そこに仏法上の生命の「位【くらい】」が連動している。

◆平成15年8月22日付、聖教 協議会での名誉会長のスピーチ

一、戸田先生に、ある青年部の幹部が聞いたことがある。「故郷に錦を飾るとは、どういうことでしょうか」

彼は社会的な名声が欲しかったのである。戸田先生は、その卑しい虚栄の心を見抜いて、厳しく叱られた。いくらお金をもうけても、社会的な名声を得ても、民衆を犠牲にする人間は悪党である。

戸田先生は折に触れて言われた。
「創価学会の幹部といえば、世界一の名誉だ。世界一の宝だ。学会は広宣流布を成し遂げる平和の団体である。その誇りをもって、故郷に帰ればいいのだ」
「学会の幹部として戦う。人のため、法のため、平和のために働いている。これほど尊いことはないじゃないか。仏法即社会であり、一番尊い社会的地位だ。それを卑下するような人間は、私の弟子ではない」

長身の先生が発する声は雷鳴のようだった。眼光も鋭い。邪悪を見抜く直感は天才的だった。学会の役職には永遠の功徳が光る。尊き同志の頭上に「幸福の宝冠」が輝きわたることは、御聖訓に照らして絶対に間違いない。

◆平成10年10月号 大百蓮華「法華経の智慧第45回 嘱累品より」

 根幹は、師匠対自分です。組織の機構や役職等は方便です。それをまちがうと、大変です。仏法という「師弟の世界」を壊して、官僚的な「形式の世界」にしてしまったら、大変なことになる。どんなに人知れず、陰で働いていても、師匠の指導通りにやっているならば、師弟相対は深い。それが外れていたら、どんなに華々しく行動していても、何にもならない。師弟の道を離れて、仏法はないのです。

(つづく)

 

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知勇兼備のリーダーを育成 -青年教学2級

約5万2千人の受験者の中から、約2万6千人の青年教学2級合格者が誕生しました。受験者は元より、今回の研鑽運動に携わった方々も誠にお疲れ様でした。地域で題目などの応援をして頂いた方々へも、本当に有難うございました。

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【↑写真はイメージです。本ブログとは無関係です】

「智慧と勇気を兼ね備えた本格派の人材よ、正義の言論の闘志よ出でよ!」
との多くの方々の祈りに呼応するかのように、わが地域でも活発な研鑽運動が繰り広げられました。仕事に生活に活動にと多忙な中、時間をこじ開けるようにして、学習会と自己研鑽に挑戦する尊い姿がありました。

私自身としても、今回一緒に学習を見た青年部が3名も合格できました。青年教学2級合格者を出せたのは、個人的には初めてです。男子部同士での勉強会も毎週行われ、それの補習的な意味で総計20時間近い学習会を私と行ないました。中には、2級を何度も受け続けており、足掛け20年近くを要して栄冠を手にしたメンバーもいます。途中で諦めさえしなければ、必ず勝利の頂きに到達できることを教えられました。

特にこのメンバーと担当した全メンバーが100%力を発揮できるよう、「あとは祈りしかない」と、試験開始から終了の瞬間まで1時間30分の間題目を送りました。この試験当日だけで合計3時間の唱題をすることができました。

開目抄は御書において52ページにも及ぶ最も長い御書です。加えて生死一大事血脈抄との2編が出題されました。本文主体の出題とはいえ、しっかり研鑽を積み重ねないと、合格は困難な試験だと思います。今回男子部と学んでみて、開目抄と血脈抄全体を貫く「末法の全世界の民衆を救うのだ」との、大聖人から創価三代の師弟に流れ通う誓願を、改めて深く学ぶことができました。

何より、自分も男子部に戻ったような若返った気持ちになって、若い男子部と情熱をぶつけ合って、広布のロマンを語り合えたことが何より楽しい時間でした。このような場を設けて下さった先生、学会に対して、深く感謝申し上げます。有難うございました。
(平成28.10.5加筆修正しました)

 

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