初級・青年3級試験の結果

初級・青年3級教学試験たいへんにお疲れ様でした。自分は今回現場で壮年部2名を担当させて頂き、見事2人とも合格されました。

6月末から計12回、毎回約2時間の勉強会を完走しきったメンバー。勤行が持続できていない人でしたが、12回全回で共に勤行・唱題から学習をスタートし、効率よく研鑚を進めることができました。合格の報を届けると、ガッチリと握手を求められ、満面の笑みで喜んでくれました。学習当初に本人が云うには、「約20年、試験を受けずにパスしてきました」とのことで、感慨もひとしおだったようです。もうひと方は大変に努力家のメンバーです。一緒に行なった学習会の回数は少なかったですが、「そこまでやるのですか」という位、徹底してノートに大百の解説を書き写していました。私が作成した問題集にも真剣に取り組んでいました。

このお二人は合格されましたが、なかには結果が出なかった方もいると思います。私自身も、3級では1度苦杯を舐めています。今にして思えば、自分の場合は気持ちのどこかに「逃げ」があり、真剣味が足りなかったのです。その後、境遇において一度どん底を味わうこととなり、「逃げてはいけない! 立ち向かうしかないのだ!」と腹の底から学んだ出来事でした。

今回、不本意な結果だった方々も、一人一人置かれた状況は大きく違ったことでしょう。多忙ななか、何かと大変ななか、受験したこと、受験を決意したこと自体が勝利です。「信心の合格者」と胸を張ってください。結果はどうあれ、「次の勝ちの因を刻んだのだ」と確信してください。大聖人の仏法を学べること自体が、何にもまして最高の福徳なのですから。

話が飛んで私事にもなりますが、今回の学習会をやり切った最終日の丁度翌日から、大きな仕事を受注することができました。突然の支援の戦いと重なって多忙を極めていますが、充実した日々を過ごしています。

御書にある通り、仏法を学べば学ぶほどいよいよ信心に励む人こそが、本当の求道心ある人です。合否を超えて、今回の試験を受験した人も担当者も、題目の応援をしてくれた人も、全員が地域に広布拡大の波動を起こしていきましょう。

 

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御書の全編拝読

初級・青年3級試験日が迫って来ました。今回、受験する方々はもちろん、担当者や題目の応援をされている方々も、大変にお疲れ様です。無理をし過ぎたりして、風邪など引かれませんよう、ベストな体調で試験当日をお迎えください。

さて表題の「御書全編拝読」についてです。多少気が早いですが、今回見事に合格された方は、御書の全編拝読に挑戦を開始されることを提案させて頂きます。たぶん、「必ずしも全編拝読は必要ない」との批判意見もあるかもしれないことを承知で言うのですが、御書研鑽の目標の1つとして、ぜひ全編拝読に挑戦して頂きたいのです。

自分も全編拝読は2回を終え、いま3回目を行なっています。最初の時は、とにかく漢字が読めず苦労しましたが、2回、3回と拝読し続けてくると、だいぶ意味も取れるようになり、ご抄ご抄に込められた大聖人の御心や弟子門下の人々、登場人物などの心情も理解しながら、実感をもって拝読できるようになってきたかなと思います。さらに、私の3回にわたる全編拝読は、全て声に出して音読しています。加えて、重要部分や感動し印象に残った部分には線を引きながら拝読しています。

漢字については最初は、どうしても分からない場合、とりあえず仮の読み方でよいと思います。その自信のない読みでも、そこで中断させることなく、全体の意味を把握することを優先して、読み進んでください。そうして我慢して拝読を進めると、振り仮名が振ってある箇所に出会って、「こういう読み方だったんだ」と強烈に記憶に焼き付けることができます。ですから、最初は余り厳密に正確に読むことにこだわり過ぎないで、全体の大意を掴む読み方でよいと思います。

もう1つの全編拝読のコツは、前半の論文調の御書と、後半の御手紙を交互に読み進めることです。なぜかというと、御書の最初のページから読み進めると、論文調が多く、難解な御書がしばらく続きますので、どうしても挫折しやすいのです。ですから、後ろ半分の御手紙と交互に読めば、難解さが軽減され、無理なく拝読を進めることができるのです。

その、前半と後半の境い目は、次の画像にあるように『善無畏三蔵抄』以降が御手紙となります。ちょうど栞【しおり】代わりの紐【ひも】が2本付いてますので、それらを活用すればよいですね。その日に拝読した箇所の余白に「170916」などと記入して(2017年9月16日の意味です)、どこまで進んだかを記録しておくと、紐が外れたりして場所が分からなくなることを防げます。

 

 

全編拝読したからと言って、何かが劇的に変わったり奇跡が起きることはありません。言ってみれば、「ただ読んだ」ということに過ぎないのですから。しかしまず拝読してみなければ、どこに何が書かれてあるのかも分からないです。丹念に拝読すればするほど、確実に大聖人の御心を知っていくことになるのは間違いないです。私事ですが、1回目全編拝読した時に、座談会の一言発言でそのことを言うと、担当幹部の方にしみじみと褒められたのは、本当に嬉しかったですね。あの時のことは今でも鮮明に覚えています。

「当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし
 命は法華経にたてまつり名をば後代に留(とどむ)べし、
 大海の主となれば諸(もろもろ)の河神皆したがう
 須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、
 法華経の六難九易を弁(わきま)うれば
 一切経よまざるにしたがうべし」

 (開目抄p223)

この御書にあるように、難事中の難事である折伏を実践し、やり切っていく者には、一切経を読まなくても全ての経教がその人に随うのだとの仰せです。学会伝統の実践の教学の中で、全編拝読に挑戦していけば、ある意味で、「鬼に金棒」とも言うべき大きな力となるでしょう。

 

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平成29年度 初級・青年3級 練習問題

私が自作した練習問題の平成29年度版です。9月20日時点で、問題集は全て完成しております。では健闘を祈ります。

→平成29年度 練習問題「立正安国論」 H29.8.26完成

→平成29年度 練習問題「佐渡御書」 H29.9.6完成

→平成29年度 練習問題「教学入門A」 H29.9.13完成

→平成29年度 練習問題「教学入門B」 H29.9.20完成

→平成29年度 練習問題「世界広布と創価学会」 H29.9.20完成

→SOKAネット動画『教学部初級試験・青年教学3級のために』

注意:
1.リンクの上で右クリックして「名前を付けてリンク先を保存」を選び、デスクトップなどに保存してからご利用ください。
2.本記事は、試験が終了するまで、本ブログ最上部に掲示します。

 

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御書にみる母の恩

青年教学3級・初級試験の申し込み〆切が7月22日までです。早速、壮年部の受験者と学習を始めて、2回目を終え、次が3回目です。こういう時だからこそ、あえて自ら御書を拝したいということで、3回目全編拝読も進めています。今日拝読した個所から、「地神」と「母の恩」の2つについて抜粋致します。この御書は今回の教学試験の範囲とは関係ありません。自分が心動かされたために紹介させて頂きます。まず地神についてです。

(刑部左衛門尉女房御返事p.1398~)
或経に云く六道の一切衆生仏前に参り集りたりしに 仏 彼れ等が身の上の事を一一に問い給いし中に 仏 地神に 汝(なんじ)大地より重きものありや と問い給いしかば 地神敬んで申さく大地より重(おも)き物候と申す、仏の曰(いわ)くいかに地神 偏頗(へんぱ)をば申すぞ此の三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり、所謂(いわゆる)須弥山の高さは十六万八千由旬 横は三百三十六万里なり大海は縦横八万四千由旬なり、其の外の一切衆生草木等は皆大地の上にそなわれり、此れを持てるが大地より重き物有らんやと問い給いしかば、地神答て云く仏は知食しながら人に知らせんとて問い給うか、

我 地神となること二十九劫なり其の間大地を頂戴して候に頚(くび)も腰も痛むことなし、虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず、但(ただ)不孝の者のすみ候所が身にあまりて重く候なり、頚(くび)もいたく腰もおれぬべく膝もたゆく足もひかれず眼もくれ魂もぬけべく候、あわれ此の人の住所の大地をばなげすてばやと思う心たびたび出来し候へば不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり、

されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臈(じょうろう) 王種姓なり、然れども不孝の人なれば我等 彼の下の大地を持つことなくして大地破れて無間地獄に入り給いき、我れ等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申し上げ候しかば仏はげにもげにもと合点せさせ給いき、又 仏 歎いて云く我が滅後の衆生の不孝ならん事 提婆にも過ぎ瞿伽利(くぎゃり)にも超えたるべし等云云 取意、

仏(釈尊)が地神に「大地より重い物がありますか」と聞いたところ、地神の答えは「不孝の者」の居る所は余りに重く、(地神の)首も痛く腰も折れ節々が痛み、魂も抜けるほどであり、投げ捨てたいと思うこと度々であると打ち明けます。そのため不孝の者の住所は常に揺れている(=地震が起きる)と仰せです。仏滅後の衆生の不孝たること提婆達多をも超えるとも仰せです。次は母の恩の深きことについて、御文を見てみましょう。

(同p.1398 後から2行目~)
其につきても母の御恩忘れがたし、胎内に九月(ここのつき)の間の苦み腹は鼓(つづみ)をはれるが如く頚(くび)は針をさげたるが如し、気は出づるより外に入る事なく色は枯れたる草の如し、臥(ふせ)ば腹もさけぬべし坐すれば五体やすからず、かくの如くして産も既に近づきて腰はやぶれて・きれぬべく眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ、かかる敵(かたき)をうみ落しなば大地にもふみつけ腹をもさきて捨つべきぞかし、さはなくして我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血をねぶり不浄をすすぎて胸にかきつけ懐きかかへて三箇年が間慇懃(ねんごろ)に養ふ、

母の乳をのむ事一百八十斛(こく)三升五合なり、此乳(この・ちち)のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし、されば乳一升のあたひをかんがへて候へば米に当(あた)れば一万一千八百五十斛五升 稲(いね)には二万一千七百束(たば)に余り・布(ぬの)には三千三百七十段(たん)なり、何(いか)に況(いわん)や一百八十斛三升五合のあたひをや、他人の物は銭の一文 米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすもり(巣守)となり候ぞかし、而るを親は十人の子をば養へども子は一人の母を養ふことなし、あたたかなる夫(おっと)をば懐きて臥(ふ)せどもこご(凍)へたる母の足をあたたむる女房はなし、

(中略)
今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問う人はなし母の生(いき)てをはせしには心には思はねども 一月に一度・一年に一度は問いしかども・死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形(かた)の如く問い訪ひ候へども、十三年・四千余日が間の程は・かきたえ問う人はなし、生てをはせし時は一日片時のわかれ(別)をば千万日とこそ思はれしかども十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし如何にきかまほしくましますらん 夫(それ)外典の孝経には唯今生の孝のみををしへて後生のゆくへをしらず身の病をいや(癒)して心の歎きをやめ(止)ざるが如し内典五千余巻には人天二乗の道に入れていまだ仏道へ引導する事なし。

(中略)
(同p.1401、4行目~)
父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給べし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候、

本抄は、一門下が母親の十三回忌に、大聖人に銭二十貫文をご供養したことに対する返礼の御書です。最初に不孝の者は地神でさえ支えきれないことを通し、父母への唯一最高の孝養は法華経を贈ることであることをご教示され、門下の孝養を最大限に讃歎されます。

出産の苦しみや、子に与える母乳の価値について、つぶさに述べることにより、特に母親の恩の深きことを示されます。出産の苦しみをもたらす我が子を敵(かたき)とまで表現し、産み落としたならば大地に踏みつけ、腹を裂きて捨てたいほどの苦しみであることを、述べられます。しかし実際には深い愛情をもって、自分の苦しみを耐え忍び、急いで抱き上げて血を拭(ぬぐ)い赤ん坊の体を拭(ふ)き清め、胸に抱いて3年間にもわたって、大切に養うのであると仰せです。

母の恩を思い報じようとする一門下の心に、渾身の励ましをおくる御本仏の御心情が強く感じられる御書です。

 

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師子王の心

日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
(教行証御書p.1282)

信心とは勇気の異名であることを端的に示された御文である。広宣流布の途上には難は必然である。余りに正しく偉大な妙法であるが故に、弘める実践者にとって難を避けることはできない。難を恐れていては信心を貫くことは不可能なのだ。

悪王の正法を破るに
邪法の僧等が方人(かたうど)をなして
智者を失はん時は

師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし
例せば日蓮が如し

(佐渡御書p.957)

続いて上の御文は9月に行われる青年3級・初級試験の範囲にある部分である。その解説には、次のようにある。

彼らが大聖人を迫害するのは、正邪が基準ではなく、知者である大聖人の社会的立場が弱いゆえであり、王法の権力が強いことを恐れているからであると言われています。(中略)

まさしく末法における仏道修行とは、謗法が充満する社会にあって、たとえただ一人であっても、不惜身命の覚悟で法華経の正義を叫び抜く実践を貫き通すことにほかなりません。

この師子王の心は、創価の師弟の仏法の中にこそ厳然と存在する。実際に難に遭っても、恐れることなく乗り越えていく勇気みなぎる信心を、今日よりさらに磨き鍛えていく決心である。

 

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