御書の全編拝読

初級・青年3級試験日が迫って来ました。今回、受験する方々はもちろん、担当者や題目の応援をされている方々も、大変にお疲れ様です。無理をし過ぎたりして、風邪など引かれませんよう、ベストな体調で試験当日をお迎えください。

さて表題の「御書全編拝読」についてです。多少気が早いですが、今回見事に合格された方は、御書の全編拝読に挑戦を開始されることを提案させて頂きます。たぶん、「必ずしも全編拝読は必要ない」との批判意見もあるかもしれないことを承知で言うのですが、御書研鑽の目標の1つとして、ぜひ全編拝読に挑戦して頂きたいのです。

自分も全編拝読は2回を終え、いま3回目を行なっています。最初の時は、とにかく漢字が読めず苦労しましたが、2回、3回と拝読し続けてくると、だいぶ意味も取れるようになり、ご抄ご抄に込められた大聖人の御心や弟子門下の人々、登場人物などの心情も理解しながら、実感をもって拝読できるようになってきたかなと思います。さらに、私の3回にわたる全編拝読は、全て声に出して音読しています。加えて、重要部分や感動し印象に残った部分には線を引きながら拝読しています。

漢字については最初は、どうしても分からない場合、とりあえず仮の読み方でよいと思います。その自信のない読みでも、そこで中断させることなく、全体の意味を把握することを優先して、読み進んでください。そうして我慢して拝読を進めると、振り仮名が振ってある箇所に出会って、「こういう読み方だったんだ」と強烈に記憶に焼き付けることができます。ですから、最初は余り厳密に正確に読むことにこだわり過ぎないで、全体の大意を掴む読み方でよいと思います。

もう1つの全編拝読のコツは、前半の論文調の御書と、後半の御手紙を交互に読み進めることです。なぜかというと、御書の最初のページから読み進めると、論文調が多く、難解な御書がしばらく続きますので、どうしても挫折しやすいのです。ですから、後ろ半分の御手紙と交互に読めば、難解さが軽減され、無理なく拝読を進めることができるのです。

その、前半と後半の境い目は、次の画像にあるように『善無畏三蔵抄』以降が御手紙となります。ちょうど栞【しおり】代わりの紐【ひも】が2本付いてますので、それらを活用すればよいですね。その日に拝読した箇所の余白に「170916」などと記入して(2017年9月16日の意味です)、どこまで進んだかを記録しておくと、紐が外れたりして場所が分からなくなることを防げます。

 

 

全編拝読したからと言って、何かが劇的に変わったり奇跡が起きることはありません。言ってみれば、「ただ読んだ」ということに過ぎないのですから。しかしまず拝読してみなければ、どこに何が書かれてあるのかも分からないです。丹念に拝読すればするほど、確実に大聖人の御心を知っていくことになるのは間違いないです。私事ですが、1回目全編拝読した時に、座談会の一言発言でそのことを言うと、担当幹部の方にしみじみと褒められたのは、本当に嬉しかったですね。あの時のことは今でも鮮明に覚えています。

「当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし
 命は法華経にたてまつり名をば後代に留(とどむ)べし、
 大海の主となれば諸(もろもろ)の河神皆したがう
 須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、
 法華経の六難九易を弁(わきま)うれば
 一切経よまざるにしたがうべし」

 (開目抄p223)

この御書にあるように、難事中の難事である折伏を実践し、やり切っていく者には、一切経を読まなくても全ての経教がその人に随うのだとの仰せです。学会伝統の実践の教学の中で、全編拝読に挑戦していけば、ある意味で、「鬼に金棒」とも言うべき大きな力となるでしょう。

 

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続・第六天の魔王を恐れるな! -指導集(6)

●勝利の経典「御書」に学ぶ(‘09-4月号)


大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(997㌻)と仰せです。
元品の無明は、あらゆる人々に本然的に具【そな】わります。大聖人は仏にも具わっていると言われている。ゆえに「等覚の菩薩」という、悟りにおいては仏と等しい智慧を得た菩薩であったとしても、元品の無明が第六天の魔王の働きを起こし、最高位である妙覚へと至ることを妨げることがあると説かれています。等覚の菩薩でさえ、そうであるならば、凡夫はなおさらのことです。

いわば、第六天の魔王とは人間の生命に潜む根源的な悪の働きのことです。この魔性が、支配欲や殺【さつ】の心を起こし、破壊、戦争を引き起こしていく。この魔性を破るために大切なのは、元品の無明と同様、万人に具わる「元品の法性」を顕現させることです。そのためには、自行化他にわたる信仰をたゆまず実践し続けていくこと自体が重要なのです。

ある時、戸田先生は、御本尊の相貌【そうみょう】の中に第六天の魔王が認【したた】められていることについて、こう講義されたことがあります。「第六天の魔王が御本尊のなかにいる。そうすると御本尊を拝みたてまつるときに、第六天の魔王は御本尊のいうことを聞くのです。第六天の魔王がほかの魔将【ましょう】を命令で、きちんと押さえるのです。本有【ほんぬ】、すなわちもともとの立派な姿となって、御本尊のなかにあらわれてくる。みな南無妙法蓮華経に照らされて本有【ほんぬ】の尊形【そんぎょう】となる」

先生はさらに「初めて人を助ける第六天の魔王に変わるのです」とまで言われました。ここに信心の極意があります。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751㌻)と仰せのように、元品の無明を打ち破るのは、まさしく「信心」の利剣です。

(中略)
「師弟」は、いかなる魔性をも破る原動力です。反対に、「師弟」を忘れ、忘恩に堕した人間は、皆、無明の生命が強くなり、結局、第六天の魔王の眷属と化【か】してしまったのです。ともあれ、「何があっても恐れない」「一切、魔性に従ってはならない」――これが、魔と戦う信心です。必ず勝つことができます。そしてまた、これが人生の極意ともいえましょう。

 

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第六天の魔王を恐れるな! -指導集(5)

●池田名誉会長の三沢抄講義から抜粋(大白蓮華‘08年7月号)

元品の無明が第六天の魔王に

大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」(997㌻)と仰せです。「元品の無明」とは、わが生命が妙法の当体であることへの無知であり、そしてまた、すべての生命が妙法の当体であることへの無知です。さらには、宇宙全体が妙法の当体であることへの無知であると言うこともできます。この根源的な無知は、様々な不幸をもたらす種々の迷いの根本であり、また、あらゆる悪の働きを生む暗い衝動となって現れる。最も認識しがたい迷いであり、正体不明であるがゆえに、知らないうちに、私たちの生命において悪の力を持つようになる。また、あらゆる生命に具わるものであるがゆえに、自他の生命に暗い衝動を現します。

このように最も見分けがたく、しかも、あらゆる生命を悪の力で自在に操る強力な魔性であるゆえに、「他化自在天子魔」といい、「魔王」というのです。しかし、この元品の無明は、強力な悪の力を持っているとはいえ、その正体は、結局は「無知」であるがゆえに、「智慧」によって必ず打ち砕くことができるのです。その智慧をあらわした人が「仏」です。その最極の智慧を教える法が「正法」です。(中略)私たちは、この正法を信ずる「信」をもって仏の「智慧」に代え、凡夫でありながら、元品の無明を打ち破っていくことができます。すなわち、元品の無明を破る力は、「智慧」であり、「信」であり、「心の力」に他ならないのです。(中略)


「日蓮一度もしりぞく心なし」

「日蓮一度もしりぞく心なし」(1224㌻)と仰せの通り、大聖人は、第六天の魔王との闘争にあって、一度も退く心を持たれなかった。そして「権力の魔性」の発動であり、また「死魔」の跳梁【ちょうりょう】でもあった竜の口の法難において、大聖人は堂々と勝利なされた。大聖人は「竜の口までもかちぬ」(843㌻)と仰せです。これは、一人の人間として第六天の魔王との究極の闘争に勝ちきった、との真実の勝利宣言であられる。

この勝利について「今は魔王もこりてや候うらん」(同㌻)とも言われている。これが重要です。自在の魔性を発揮する魔王ですら懲【こ】りたということは、大聖人お一人だけが勝利されたということではなく、元品の無明を打ち砕く真実の智慧の道を後世の人々に残し得たということであると拝察したい。それは、御自分が亡くなった後に、魔王の残党が兵を起こすかもしれないが、すでに大多数は大聖人に降参したことは間違いないと仰せられていることにもうかがえます。実に、ありがたい御本仏であられます。では、大聖人が残された、元品の無明を打ち破る真実の智慧の道とは何でしょうか。それが人法一箇の「御本尊」であると拝したい。佐前と佐後の根本的な違いは、この「御本尊」をあらわされたことにあるのです。(中略)


人類救済の新たな大法興隆の時

大聖人の仏法は、太陽の仏法です。この仏法が出現すれば、これまでの正法・像法時代の仏法は、いずれも太陽が昇った後の星の光のようなものになる、と仏法の興廃【こうはい】を断言されています。太陽は万人を平等に照らします。太陽の光には力があります。闇を破ることができます。闇が深い時代にこそ、人間の持つ無限大の可能性を開く宗教が必要となります。また、闇が深い時代だからこそ、一切の魔性を打ち破り、元品の無明である第六天の魔王の働きに勝利することのできる力強い宗教が不可欠となるのです。

大聖人の仏法は、誰人も尊極な生命を持ち、誰人も太陽の如く輝いていくことができることを説き明かされた希望の宗教です。世界は今、人間主義の宗教を待望しています。いよいよ日蓮仏法が人類史の晴れ舞台に旭日の如く踊り出る時代を迎えたのです。

 

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心が弱ければ多くの能も無用なり

されば妙楽大師のたまはく
「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」等云云、
人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、

是(これ)は御ために申すぞ
古(いにし)への御心ざし申す計(ばか)りなし

其(それ)よりも今一重 強盛に御志あるべし、
其の時は弥弥(いよいよ)十羅刹女の御まほりも
つよかるべしと・おぼすべし、

例(ためし)には他を引くべからず、
日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで
一人もなくあや(失)またんと・せしかども
今までかう(斯)て候事は
一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし、

一つ船に乗りぬれば
船頭(せんどう)のはかり事わる(拙)ければ
一同に船中の諸人損じ
又身つよき人も心かひなければ多くの能(のう)も無用なり、
日本国には・かしこき人人はあるらめども
大将のはかり事つたなければ・かひなし

(乙御前御消息p.1220)

信心の心が強ければ、諸天善神の守護も強く現れると仰せです。その例として、日本国の権力者や一般の人々まで、あらゆる人から、御命を狙われた大聖人ご自身が、今まで無事であったことを引かれています。そして船頭の譬えを挙げて、指導者(中心者)の使命と責任についてご指南されます。池田先生の本抄の講義から、以下に抜粋します。

指導者とは本来、どうあるべきなのか。法華経の眼から将軍学を展開されるとともに、ふがいなき日本の権力者たちを厳しく弾呵されていきます。折しも、再度の蒙古襲来を眼前にして、一国が絶望と恐怖に覆われていました。日本という船の舵をどう切っていくか。

大聖人は、まず、船頭の舵取りが悪いと、乗客が皆、命を落としてしまうと示されます。続いて、体が頑丈であっても、心が弱ければ、多くの才能も生かしていけないと仰せられています。

すなわち大聖人は、日本のこの苦境を乗り越えていくためには、指導者に正しい「智慧」と、力強い「勇気」が不可欠であることを打ち込まれているのです。大聖人は「立正安国論」で何よりも、為政者自身が変わらなければならないことを示されました。為政者が賢明になれば、一国が変わります。指導者革命こそ、安国の要です。

 

 

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平成29年度 初級・青年3級 練習問題

私が自作した練習問題の平成29年度版です。9月20日時点で、問題集は全て完成しております。では健闘を祈ります。

→平成29年度 練習問題「立正安国論」 H29.8.26完成

→平成29年度 練習問題「佐渡御書」 H29.9.6完成

→平成29年度 練習問題「教学入門A」 H29.9.13完成

→平成29年度 練習問題「教学入門B」 H29.9.20完成

→平成29年度 練習問題「世界広布と創価学会」 H29.9.20完成

→SOKAネット動画『教学部初級試験・青年教学3級のために』

注意:
1.リンクの上で右クリックして「名前を付けてリンク先を保存」を選び、デスクトップなどに保存してからご利用ください。
2.本記事は、試験が終了するまで、本ブログ最上部に掲示します。

 

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