御書にみる母の恩

青年教学3級・初級試験の申し込み〆切が7月22日までです。早速、壮年部の受験者と学習を始めて、2回目を終え、次が3回目です。こういう時だからこそ、あえて自ら御書を拝したいということで、3回目全編拝読も進めています。今日拝読した個所から、「地神」と「母の恩」の2つについて抜粋致します。この御書は今回の教学試験の範囲とは関係ありません。自分が心動かされたために紹介させて頂きます。まず地神についてです。

(刑部左衛門尉女房御返事p.1398~)
或経に云く六道の一切衆生仏前に参り集りたりしに 仏 彼れ等が身の上の事を一一に問い給いし中に 仏 地神に 汝(なんじ)大地より重きものありや と問い給いしかば 地神敬んで申さく大地より重(おも)き物候と申す、仏の曰(いわ)くいかに地神 偏頗(へんぱ)をば申すぞ此の三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり、所謂(いわゆる)須弥山の高さは十六万八千由旬 横は三百三十六万里なり大海は縦横八万四千由旬なり、其の外の一切衆生草木等は皆大地の上にそなわれり、此れを持てるが大地より重き物有らんやと問い給いしかば、地神答て云く仏は知食しながら人に知らせんとて問い給うか、

我 地神となること二十九劫なり其の間大地を頂戴して候に頚(くび)も腰も痛むことなし、虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず、但(ただ)不孝の者のすみ候所が身にあまりて重く候なり、頚(くび)もいたく腰もおれぬべく膝もたゆく足もひかれず眼もくれ魂もぬけべく候、あわれ此の人の住所の大地をばなげすてばやと思う心たびたび出来し候へば不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり、

されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臈(じょうろう) 王種姓なり、然れども不孝の人なれば我等 彼の下の大地を持つことなくして大地破れて無間地獄に入り給いき、我れ等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申し上げ候しかば仏はげにもげにもと合点せさせ給いき、又 仏 歎いて云く我が滅後の衆生の不孝ならん事 提婆にも過ぎ瞿伽利(くぎゃり)にも超えたるべし等云云 取意、

仏(釈尊)が地神に「大地より重い物がありますか」と聞いたところ、地神の答えは「不孝の者」の居る所は余りに重く、(地神の)首も痛く腰も折れ節々が痛み、魂も抜けるほどであり、投げ捨てたいと思うこと度々であると打ち明けます。そのため不孝の者の住所は常に揺れている(=地震が起きる)と仰せです。仏滅後の衆生の不孝たること提婆達多をも超えるとも仰せです。次は母の恩の深きことについて、御文を見てみましょう。

(同p.1398 後から2行目~)
其につきても母の御恩忘れがたし、胎内に九月(ここのつき)の間の苦み腹は鼓(つづみ)をはれるが如く頚(くび)は針をさげたるが如し、気は出づるより外に入る事なく色は枯れたる草の如し、臥(ふせ)ば腹もさけぬべし坐すれば五体やすからず、かくの如くして産も既に近づきて腰はやぶれて・きれぬべく眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ、かかる敵(かたき)をうみ落しなば大地にもふみつけ腹をもさきて捨つべきぞかし、さはなくして我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血をねぶり不浄をすすぎて胸にかきつけ懐きかかへて三箇年が間慇懃(ねんごろ)に養ふ、

母の乳をのむ事一百八十斛(こく)三升五合なり、此乳(この・ちち)のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし、されば乳一升のあたひをかんがへて候へば米に当(あた)れば一万一千八百五十斛五升 稲(いね)には二万一千七百束(たば)に余り・布(ぬの)には三千三百七十段(たん)なり、何(いか)に況(いわん)や一百八十斛三升五合のあたひをや、他人の物は銭の一文 米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすもり(巣守)となり候ぞかし、而るを親は十人の子をば養へども子は一人の母を養ふことなし、あたたかなる夫(おっと)をば懐きて臥(ふ)せどもこご(凍)へたる母の足をあたたむる女房はなし、

(中略)
今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問う人はなし母の生(いき)てをはせしには心には思はねども 一月に一度・一年に一度は問いしかども・死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形(かた)の如く問い訪ひ候へども、十三年・四千余日が間の程は・かきたえ問う人はなし、生てをはせし時は一日片時のわかれ(別)をば千万日とこそ思はれしかども十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし如何にきかまほしくましますらん 夫(それ)外典の孝経には唯今生の孝のみををしへて後生のゆくへをしらず身の病をいや(癒)して心の歎きをやめ(止)ざるが如し内典五千余巻には人天二乗の道に入れていまだ仏道へ引導する事なし。

(中略)
(同p.1401、4行目~)
父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給べし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候、

本抄は、一門下が母親の十三回忌に、大聖人に銭二十貫文をご供養したことに対する返礼の御書です。最初に不孝の者は地神でさえ支えきれないことを通し、父母への唯一最高の孝養は法華経を贈ることであることをご教示され、門下の孝養を最大限に讃歎されます。

出産の苦しみや、子に与える母乳の価値について、つぶさに述べることにより、特に母親の恩の深きことを示されます。出産の苦しみをもたらす我が子を敵(かたき)とまで表現し、産み落としたならば大地に踏みつけ、腹を裂きて捨てたいほどの苦しみであることを、述べられます。しかし実際には深い愛情をもって、自分の苦しみを耐え忍び、急いで抱き上げて血を拭(ぬぐ)い赤ん坊の体を拭(ふ)き清め、胸に抱いて3年間にもわたって、大切に養うのであると仰せです。

母の恩を思い報じようとする一門下の心に、渾身の励ましをおくる御本仏の御心情が強く感じられる御書です。

 

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師子王の心

日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
(教行証御書p.1282)

信心とは勇気の異名であることを端的に示された御文である。広宣流布の途上には難は必然である。余りに正しく偉大な妙法であるが故に、弘める実践者にとって難を避けることはできない。難を恐れていては信心を貫くことは不可能なのだ。

悪王の正法を破るに
邪法の僧等が方人(かたうど)をなして
智者を失はん時は

師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし
例せば日蓮が如し

(佐渡御書p.957)

続いて上の御文は9月に行われる青年3級・初級試験の範囲にある部分である。その解説には、次のようにある。

彼らが大聖人を迫害するのは、正邪が基準ではなく、知者である大聖人の社会的立場が弱いゆえであり、王法の権力が強いことを恐れているからであると言われています。(中略)

まさしく末法における仏道修行とは、謗法が充満する社会にあって、たとえただ一人であっても、不惜身命の覚悟で法華経の正義を叫び抜く実践を貫き通すことにほかなりません。

この師子王の心は、創価の師弟の仏法の中にこそ厳然と存在する。実際に難に遭っても、恐れることなく乗り越えていく勇気みなぎる信心を、今日よりさらに磨き鍛えていく決心である。

 

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仏法入門の音声資料

「聖教オンライン」のサイトで、「任用試験のために」と題して、ナレーターが教材を読み上げた資料を視聴できます。

→仏法入門の音声

 

任用試験と言えば未だ気が早いですが、善は急げですからお時間の許す方は早めに対策を開始されてはいかがです。任用より先に「青年3級・初級試験」が行われますから対象者の方は、もう一度基本をおさらいするためにも、活用してみてください。

ちなみに、音声ファイルを全てダウンロードして、メディア・プレーヤー等で CD-R に焼けば、ラジカセ等の CD プレーヤーで再生することもできます。自分がやってみたところ、CD-R 二枚に全ての音声を収めることができました。目の不自由な方、小さい文字が見えにくい方、活字を読むのが苦手な方はぜひお役立てください。

 

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今年100万遍達成

今年になって今日までで104万遍の題目があがりました。2009年元日から毎日90分の持続、2016年4月からは毎日120分に伸ばし、この8年4カ月に限れば、合計1856万遍となりました。再発心してからの約30年間の通算では4314万遍を達成しました。この節目にまた御書を拝しましょう。

我等も無明の卵にしてあさましき身なれども
南無妙法蓮華経の唱への母にあたた(暖)められまいらせて
三十二相の觜(くちばし)出でて
八十種好の鎧毛生(よろいげ・おい)そろひて

実相真如の虚空(こくう)にかけるべし
(新池御書 p.1443㌻)

[通解] われらも無明(迷い)の卵で、あさましい身であるけれども、南無妙法蓮華経の唱題の母に温められて、三十二相の觜(くちばし)が出てきて、八十種好の鎧毛(よろいげ)が生え揃い、実相真如の大空に飛ぶことができる。

[ポイント講義] 自身の可能性を開花させる、唱題の力の偉大さを教えられた一節です。
 
 

(5月9日 北海道苫小牧市内にて撮影。クリックで拡大)
 
 
さくら(桜)はをもしろき物
木の中よりさきいづ
(十字御書p.1492㌻)

[通解] 桜は趣(おもむき)のある花だが、木の中から咲き出る。

[ポイント講義] ごつごつした木から桜が咲くように、法華経を信じることによって、凡夫の生命に仏界が涌現することを教えられています。
 
 

続いて先生の最近のご指導を拝しましょう。

大聖人は、「多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空【こくう】にも余りぬべし」(御書1194㌻)と仰せである。大聖人の仏勅である広宣流布、立正安国を誓願し、我ら創価の師弟が唱えてきた自行化他の題目が、どれほど莫大であることか。その功徳は、今や壮大に青き地球を包んでいるのだ。
(随筆・永遠なれ創価の大城から 17-5-7)
 
 

最高無上の創価の題目を唱えられることに感謝しつつ、自他の眠れる可能性を開花させゆく、対話の波動を起こしていきます。
(5月9日 一部、加筆・修正しました)
 
 

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民衆仏法の確立こそ出世の本懐の本義

日蓮大聖人の「出世の本懐」の本義は、次の2義です。

1.末法万年の一切衆生を救いゆく「三大秘法が確立」されたこと。
2.「日蓮と同意」との精神でそれを担いゆく、不自惜身命の門下(熱原の農民信徒)によって、「民衆仏法が確立」したこと。

この「広宣流布の誓願」を完全に失い、腐敗・堕落し切った輩が、極悪法主・日顕、日如の流れをくむ日蓮正宗です。反対に、 ”魂の独立” によって大謗法の宗門と離れ、大聖人の御精神を受け継いで、旭日の勢いで世界192カ国・地域へと、広布の道なき道を開いてきたのが創価学会なのです。

今回、このことに迷い真偽が分からなくなっている、宗門信徒の田中島葵夫なる人物から、教義に関するコメントがあったので、この記事のコメント欄にて対話を試みたいと思います。第三者の書き込みも原則として許可しますが、本ブログの「コメント承認ルール」に反するものや、「著しく誠実を欠く」と管理人が判断した場合は、コメント許可しません。なお、最初に書き込まれたコメントは他記事のものでしたが、混乱を避けるため、本記事コメント欄に移動したことを了承ください。

 

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