師子王の心

日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
(教行証御書p.1282)

信心とは勇気の異名であることを端的に示された御文である。広宣流布の途上には難は必然である。余りに正しく偉大な妙法であるが故に、弘める実践者にとって難を避けることはできない。難を恐れていては信心を貫くことは不可能なのだ。

悪王の正法を破るに
邪法の僧等が方人(かたうど)をなして
智者を失はん時は

師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし
例せば日蓮が如し

(佐渡御書p.957)

続いて上の御文は9月に行われる青年3級・初級試験の範囲にある部分である。その解説には、次のようにある。

彼らが大聖人を迫害するのは、正邪が基準ではなく、知者である大聖人の社会的立場が弱いゆえであり、王法の権力が強いことを恐れているからであると言われています。(中略)

まさしく末法における仏道修行とは、謗法が充満する社会にあって、たとえただ一人であっても、不惜身命の覚悟で法華経の正義を叫び抜く実践を貫き通すことにほかなりません。

この師子王の心は、創価の師弟の仏法の中にこそ厳然と存在する。実際に難に遭っても、恐れることなく乗り越えていく勇気みなぎる信心を、今日よりさらに磨き鍛えていく決心である。

 

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仏法入門の音声資料

「聖教オンライン」のサイトで、「任用試験のために」と題して、ナレーターが教材を読み上げた資料を視聴できます。

→仏法入門の音声

 

任用試験と言えば未だ気が早いですが、善は急げですからお時間の許す方は早めに対策を開始されてはいかがです。任用より先に「青年3級・初級試験」が行われますから対象者の方は、もう一度基本をおさらいするためにも、活用してみてください。

ちなみに、音声ファイルを全てダウンロードして、メディア・プレーヤー等で CD-R に焼けば、ラジカセ等の CD プレーヤーで再生することもできます。自分がやってみたところ、CD-R 二枚に全ての音声を収めることができました。目の不自由な方、小さい文字が見えにくい方、活字を読むのが苦手な方はぜひお役立てください。

 

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今年100万遍達成

今年になって今日までで104万遍の題目があがりました。2009年元日から毎日90分の持続、2016年4月からは毎日120分に伸ばし、この8年4カ月に限れば、合計1856万遍となりました。再発心してからの約30年間の通算では4314万遍を達成しました。この節目にまた御書を拝しましょう。

我等も無明の卵にしてあさましき身なれども
南無妙法蓮華経の唱への母にあたた(暖)められまいらせて
三十二相の觜(くちばし)出でて
八十種好の鎧毛生(よろいげ・おい)そろひて

実相真如の虚空(こくう)にかけるべし
(新池御書 p.1443㌻)

[通解] われらも無明(迷い)の卵で、あさましい身であるけれども、南無妙法蓮華経の唱題の母に温められて、三十二相の觜(くちばし)が出てきて、八十種好の鎧毛(よろいげ)が生え揃い、実相真如の大空に飛ぶことができる。

[ポイント講義] 自身の可能性を開花させる、唱題の力の偉大さを教えられた一節です。
 
 

(5月9日 北海道苫小牧市内にて撮影。クリックで拡大)
 
 
さくら(桜)はをもしろき物
木の中よりさきいづ
(十字御書p.1492㌻)

[通解] 桜は趣(おもむき)のある花だが、木の中から咲き出る。

[ポイント講義] ごつごつした木から桜が咲くように、法華経を信じることによって、凡夫の生命に仏界が涌現することを教えられています。
 
 

続いて先生の最近のご指導を拝しましょう。

大聖人は、「多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空【こくう】にも余りぬべし」(御書1194㌻)と仰せである。大聖人の仏勅である広宣流布、立正安国を誓願し、我ら創価の師弟が唱えてきた自行化他の題目が、どれほど莫大であることか。その功徳は、今や壮大に青き地球を包んでいるのだ。
(随筆・永遠なれ創価の大城から 17-5-7)
 
 

最高無上の創価の題目を唱えられることに感謝しつつ、自他の眠れる可能性を開花させゆく、対話の波動を起こしていきます。
(5月9日 一部、加筆・修正しました)
 
 

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民衆仏法の確立こそ出世の本懐の本義

日蓮大聖人の「出世の本懐」の本義は、次の2義です。

1.末法万年の一切衆生を救いゆく「三大秘法が確立」されたこと。
2.「日蓮と同意」との精神でそれを担いゆく、不自惜身命の門下(熱原の農民信徒)によって、「民衆仏法が確立」したこと。

この「広宣流布の誓願」を完全に失い、腐敗・堕落し切った輩が、極悪法主・日顕、日如の流れをくむ日蓮正宗です。反対に、 ”魂の独立” によって大謗法の宗門と離れ、大聖人の御精神を受け継いで、旭日の勢いで世界192カ国・地域へと、広布の道なき道を開いてきたのが創価学会なのです。

今回、このことに迷い真偽が分からなくなっている、宗門信徒の田中島葵夫なる人物から、教義に関するコメントがあったので、この記事のコメント欄にて対話を試みたいと思います。第三者の書き込みも原則として許可しますが、本ブログの「コメント承認ルール」に反するものや、「著しく誠実を欠く」と管理人が判断した場合は、コメント許可しません。なお、最初に書き込まれたコメントは他記事のものでしたが、混乱を避けるため、本記事コメント欄に移動したことを了承ください。

 

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幹部への指導 -指導集(4)

●正義と勝利の座談会 第2部 2004-7-28付聖教

松村副会長(弁護士) どんな幹部だろうと「会員間の金銭貸借や連帯保証は厳禁」という方針に反し、学会を利用し、組織を乱し、会員に迷惑をかけたならば、場合によっては解任もしくは除名だ。会則に「この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる」と明確に定められている。(会則第78条)

青木理事長(当時) おかしくなる連中には、いくつもの共通点がある。我見を振り回して”自分は特別な人間だ”と言いたがる。日常の地道な活動をバカにする。まともに働かない。学会幹部の批判をする。朝に弱く、私生活が乱れている。勤行をサボる。いざという時に、どこで何をしているか分からない。そういう点は皆が皆、同じだ。

秋谷会長(当時) たしかに、その通りだ。原島なんかも、そうだった。

青木 そういう「乱れ」を隠すためにウソをつく。「自分は副会長とツーカーの仲だ」だの、「大幹部に何人も友人がいる」「本部に直結のルートがある」だの、まるで特別なコネでもあるかのようにウソを言いふらす。

秋谷 バカバカしい! 学会は、どこまでも信心の世界だ。「特別なコネ」などあるわけがないし、必要もない。皆、平等だ。そんなことを言う人間がいたら、それは 「魔」だ。鋭く見抜いて、厳しく言うべきだ。場合によっては追放すべきだ。

 

●『希望の明日へ』池田名誉会長スピーチ珠玉集から

◎人をうまく動かす人を見て”あの人は力がある” ”人材だ”という人もいる。だが、根本の「信・行・学」を無視して、要領よく組織や人を動かし、それをもって、広布の人材と考えることは、大いなる誤りである。そういう人は、必ずといってよいほど、人を人間として見なくなり、組織の上にあぐらをかくようになる。そして、みずみずしい信心を失って、堕落と退転の道を歩むことになる。ゆえに”人を使う”ことだけがうまい幹部であっては絶対にならない。――平1・10・24

◎役職が上がるのは、「いばる」ためでは断じてない。よりいっそう、「会員を守る」ためである。また、より強く「仏敵と戦っていく」ためである。ゆえに「戦えない」臆病な人間であっては、リーダーとはいえない。たとえ役職があっても、それは「形式」であり、”信心”ではない。そして成仏は、ただ”信心”で決まる。――平4・8・24

◎将の将たる幹部は、つねに自分の目にふれる範囲に気を奪われているようであってはならない。目に見えない陰の分野で活躍している人たちに、こまかく心を配り、励ますことを忘れてはならない。これが戸田先生の指導であったし、私もつねに心がけてきたことである。――平1・2・14

◎学会を誹謗する人間たちは、自分自身には一個の人格としてなんの偉さもない。社会貢献の行動もない。大法弘通・広宣流布への功労もない。戸田先生への報恩もなければ、学会員への責任の奉仕もない。ただ彼らは、空っぽな自分を大きく見せかけるために、偉大な学会への非難を繰り返しているのである。学会員は、彼らの屈折した心を鋭く見ぬいていきたい。そして、批判されればされるほど、学会の偉大さがいっそう、光り輝くことを確信していきたい。真実は時とともに、明らかになっていく。これまでもそうであったし、これからもそうである。――平3・6・1

 

 

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