貧乏の鉄鎖を切る(9)

戸田先生は、『観心本尊抄講義』を発刊された昭和30年頃、各地で、繰り返し「受持即観心」の法理を語られました。(中略)

御本尊を受持すれば、自分が過去世につくらなかった、裕福になるなどの幸福の「原因」を即座にくださる。「あとは自分の信心と、折伏によって、結果を勝ちとらなければいけない」と。
(大白蓮華2017年9月号p16~)

自分も数年前にしばらく振りに、友人に入決をさせることができました。結果は入決まででしたが、相手の友人にも功徳の結果がハッキリと出て、自分にも経済面で結果が出たのです。自営の仕事において、前の年の平均月収の4倍を超える収入があり、我ながら驚きは大きかったです。

金銭の功徳話を書くと、「本当の信心の功徳とはそんなものなのか!」とお叱りを受けるやもしれませんが、自分は素直に折伏の功徳は凄い! と感じましたね。入決でこういう結果なんだから、弘教をやり切ったら? さらに10世帯、100世帯とやり切ったら、それこそ立派な個人会館が建つのも、夢ではないと思ったものです。あくまで未だ観念的に思っただけに過ぎませんが。

この入決で顕れた功徳も、「友人を救おう!」とのいわば「菩薩」の生命と行動に懸命だったからこそ、創価の御本尊の功徳が厳然と顕れたのです。この時は、年末年始返上で題目と折伏に必死でしたから。これがもし、最初から金銭を期待し、そのために友人への折伏を利用する命だったとしたら、これだけの功徳は無かったと思います。「発心真実ならざるも」なお功徳の大きい妙法ですから、ある程度は出るでしょうが、所詮、「餓鬼界」の生命では御本尊の力を、充分に引き出すことは不可能でしょう。

結局、今回の記事の結論は、もし本当に経済革命したいなら、貧乏の鉄鎖から自由になりたいなら、折伏するのが最も近道だということです。悩める友人を根底から救い、御本尊の無眼の功徳の引き出し方を教えるのですから、この世でこれほど尊い行いはないのです。

さらに、折伏に限らず、学会から打ち出される様々な戦い(法戦も当然含まれます)も同じです。それら一つ一つに、自己の限界突破の高い目標を掲げ、誠心誠意、一生懸命戦い切った時は、厳然と功徳の結果が必ず顕れます。僭越ですが、それが、私の約50年に及ぶ信心で体験した法則なのです。

 

貧乏の鉄鎖を切る(1)

貧乏の鉄鎖を切る(2)

貧乏の鉄鎖を切る(3)

魔との戦い ~御書三編

貧乏の鉄鎖を切る(4)

貧乏の鉄鎖を切る(5)

貧乏の鉄鎖を切る(6)

貧乏の鉄鎖を切る(7)

貧乏の鉄鎖を切る(8)

 

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苦難を乗り越えよ! -箴言集(4)

宗教は、対話の窓を閉ざせば、独善主義、教条主義、権威主義の迷宮に陥ってしまう。対話あってこそ、宗教は人間蘇生の光彩を放ちながら、民衆のなかに生き続ける。

―――池田SGI会長

 

戦争は人間の心の発明したものである。
その人間の心は平和を発明することもできる。

―――思想家・カズンズ博士

 

絶望とは愚か者の結論なり。

―――イギリスの名首相ディズレーリ

 

人の投影に気づかないと自己をせめることになる。自分をせめすぎると「うつ状態」になる。それゆえ、頭を使って、「本当に私は悪いことをしたか。上司・先輩・同輩・後輩のそれぞれにも責任はないか。私一人が自己反省するのは妥当か」と自問自答することである。

(中略)
自分は上品ぶって人とけんかもせず、その不満をカウンセラーや親に語り、カウンセラーや親に問題解決にのり出してもらうという姿勢はきわめて欺瞞【ぎまん】でわがままである。おとなとは、自分の問題は自分で解こうとする人のことである。

―――国分康孝著『自己発見の心理学』から

 

求む男子。至難の旅。
わずかな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。
成功の暁には名誉と称賛を得る。

―――アーネスト・シャクルトン

これは、三度にわたりイギリスの南極探検隊を率いた極地探検家のアーネスト・シャクルトンが、南極探検のメンバーを募集するために出した伝説の新聞広告のコピーだと言われている。今ならとても考えられない内容であり、ほとんどの人はエントリーすることもないだろう。しかし、当時はこの小さな求人広告に対して、実に5000人もの応募があったという。あえて、ネガティブな情報を出しているのに、である。このような情報開示の持つ意義と効果・効用を、経営者や人事担当者は、いま一度、考えてみる必要があるのではないだろうか。

 

「人の上【かみ】たるは易く、下たるは則【すなわ】ち難し。
 然【しか】れども下たる能【あた】わずんば亦【また】下を使う能わず」

「人の上にたって権力をふるうのはたやすいが、人の下で地味に働くことはむずかしい。しかし、人の下で働けない者は、部下を使いこなすことはできない。下っ端で苦労した人でなければ、人に使われる者の気持ちがわからないから、人の心を掌握できない」

――『近思録』から

 

「光明はかならずや訪れる。あたかも夜明けをさえぎることはできないように」

――魯迅の言葉

 

●’83年11月4日  第13回創大祭オープニングフェスティバルでの創立者のスピーチ(『創立者の語らい[Ⅱ]』P.82)

第三点目に申し上げたいことは、ともかく心優しく、心強き人になっていただきたいということです。人間社会は大勢の人と人のつながりです。個人主義で、エゴで、一人でいれば自由でいいかも知れませんが、それはもはや自分自身の妥協であって勝利者とはいえない。また心強き人でなければ大勢の人を守り、そしてまた導くことはできない。

ご存知のように、私もそれこそたくさんの中傷、批判をうけた。普通だったら狂人になるか、退転か、社会から抹殺されるか、自殺か、病気か、絶対に耐えられるものではないといった人がおりましたが、しかし、私は変わりません。私は返っていろいろなことを経験できて、喜んでいる。全部勝っております。

結局、時とともに正邪がはっきりすることである。諸君もどんなことがあっても、その苦労、苦難というものを大なり小なり乗り越えていくような強い人間になってもらいたいのです。

 

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続・第六天の魔王を恐れるな! -指導集(6)

●勝利の経典「御書」に学ぶ(‘09-4月号)


大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(997㌻)と仰せです。
元品の無明は、あらゆる人々に本然的に具【そな】わります。大聖人は仏にも具わっていると言われている。ゆえに「等覚の菩薩」という、悟りにおいては仏と等しい智慧を得た菩薩であったとしても、元品の無明が第六天の魔王の働きを起こし、最高位である妙覚へと至ることを妨げることがあると説かれています。等覚の菩薩でさえ、そうであるならば、凡夫はなおさらのことです。

いわば、第六天の魔王とは人間の生命に潜む根源的な悪の働きのことです。この魔性が、支配欲や殺【さつ】の心を起こし、破壊、戦争を引き起こしていく。この魔性を破るために大切なのは、元品の無明と同様、万人に具わる「元品の法性」を顕現させることです。そのためには、自行化他にわたる信仰をたゆまず実践し続けていくこと自体が重要なのです。

ある時、戸田先生は、御本尊の相貌【そうみょう】の中に第六天の魔王が認【したた】められていることについて、こう講義されたことがあります。「第六天の魔王が御本尊のなかにいる。そうすると御本尊を拝みたてまつるときに、第六天の魔王は御本尊のいうことを聞くのです。第六天の魔王がほかの魔将【ましょう】を命令で、きちんと押さえるのです。本有【ほんぬ】、すなわちもともとの立派な姿となって、御本尊のなかにあらわれてくる。みな南無妙法蓮華経に照らされて本有【ほんぬ】の尊形【そんぎょう】となる」

先生はさらに「初めて人を助ける第六天の魔王に変わるのです」とまで言われました。ここに信心の極意があります。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751㌻)と仰せのように、元品の無明を打ち破るのは、まさしく「信心」の利剣です。

(中略)
「師弟」は、いかなる魔性をも破る原動力です。反対に、「師弟」を忘れ、忘恩に堕した人間は、皆、無明の生命が強くなり、結局、第六天の魔王の眷属と化【か】してしまったのです。ともあれ、「何があっても恐れない」「一切、魔性に従ってはならない」――これが、魔と戦う信心です。必ず勝つことができます。そしてまた、これが人生の極意ともいえましょう。

 

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第六天の魔王を恐れるな! -指導集(5)

●池田名誉会長の三沢抄講義から抜粋(大白蓮華‘08年7月号)

元品の無明が第六天の魔王に

大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」(997㌻)と仰せです。「元品の無明」とは、わが生命が妙法の当体であることへの無知であり、そしてまた、すべての生命が妙法の当体であることへの無知です。さらには、宇宙全体が妙法の当体であることへの無知であると言うこともできます。この根源的な無知は、様々な不幸をもたらす種々の迷いの根本であり、また、あらゆる悪の働きを生む暗い衝動となって現れる。最も認識しがたい迷いであり、正体不明であるがゆえに、知らないうちに、私たちの生命において悪の力を持つようになる。また、あらゆる生命に具わるものであるがゆえに、自他の生命に暗い衝動を現します。

このように最も見分けがたく、しかも、あらゆる生命を悪の力で自在に操る強力な魔性であるゆえに、「他化自在天子魔」といい、「魔王」というのです。しかし、この元品の無明は、強力な悪の力を持っているとはいえ、その正体は、結局は「無知」であるがゆえに、「智慧」によって必ず打ち砕くことができるのです。その智慧をあらわした人が「仏」です。その最極の智慧を教える法が「正法」です。(中略)私たちは、この正法を信ずる「信」をもって仏の「智慧」に代え、凡夫でありながら、元品の無明を打ち破っていくことができます。すなわち、元品の無明を破る力は、「智慧」であり、「信」であり、「心の力」に他ならないのです。(中略)


「日蓮一度もしりぞく心なし」

「日蓮一度もしりぞく心なし」(1224㌻)と仰せの通り、大聖人は、第六天の魔王との闘争にあって、一度も退く心を持たれなかった。そして「権力の魔性」の発動であり、また「死魔」の跳梁【ちょうりょう】でもあった竜の口の法難において、大聖人は堂々と勝利なされた。大聖人は「竜の口までもかちぬ」(843㌻)と仰せです。これは、一人の人間として第六天の魔王との究極の闘争に勝ちきった、との真実の勝利宣言であられる。

この勝利について「今は魔王もこりてや候うらん」(同㌻)とも言われている。これが重要です。自在の魔性を発揮する魔王ですら懲【こ】りたということは、大聖人お一人だけが勝利されたということではなく、元品の無明を打ち砕く真実の智慧の道を後世の人々に残し得たということであると拝察したい。それは、御自分が亡くなった後に、魔王の残党が兵を起こすかもしれないが、すでに大多数は大聖人に降参したことは間違いないと仰せられていることにもうかがえます。実に、ありがたい御本仏であられます。では、大聖人が残された、元品の無明を打ち破る真実の智慧の道とは何でしょうか。それが人法一箇の「御本尊」であると拝したい。佐前と佐後の根本的な違いは、この「御本尊」をあらわされたことにあるのです。(中略)


人類救済の新たな大法興隆の時

大聖人の仏法は、太陽の仏法です。この仏法が出現すれば、これまでの正法・像法時代の仏法は、いずれも太陽が昇った後の星の光のようなものになる、と仏法の興廃【こうはい】を断言されています。太陽は万人を平等に照らします。太陽の光には力があります。闇を破ることができます。闇が深い時代にこそ、人間の持つ無限大の可能性を開く宗教が必要となります。また、闇が深い時代だからこそ、一切の魔性を打ち破り、元品の無明である第六天の魔王の働きに勝利することのできる力強い宗教が不可欠となるのです。

大聖人の仏法は、誰人も尊極な生命を持ち、誰人も太陽の如く輝いていくことができることを説き明かされた希望の宗教です。世界は今、人間主義の宗教を待望しています。いよいよ日蓮仏法が人類史の晴れ舞台に旭日の如く踊り出る時代を迎えたのです。

 

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心が弱ければ多くの能も無用なり

されば妙楽大師のたまはく
「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」等云云、
人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、

是(これ)は御ために申すぞ
古(いにし)への御心ざし申す計(ばか)りなし

其(それ)よりも今一重 強盛に御志あるべし、
其の時は弥弥(いよいよ)十羅刹女の御まほりも
つよかるべしと・おぼすべし、

例(ためし)には他を引くべからず、
日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで
一人もなくあや(失)またんと・せしかども
今までかう(斯)て候事は
一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし、

一つ船に乗りぬれば
船頭(せんどう)のはかり事わる(拙)ければ
一同に船中の諸人損じ
又身つよき人も心かひなければ多くの能(のう)も無用なり、
日本国には・かしこき人人はあるらめども
大将のはかり事つたなければ・かひなし

(乙御前御消息p.1220)

信心の心が強ければ、諸天善神の守護も強く現れると仰せです。その例として、日本国の権力者や一般の人々まで、あらゆる人から、御命を狙われた大聖人ご自身が、今まで無事であったことを引かれています。そして船頭の譬えを挙げて、指導者(中心者)の使命と責任についてご指南されます。池田先生の本抄の講義から、以下に抜粋します。

指導者とは本来、どうあるべきなのか。法華経の眼から将軍学を展開されるとともに、ふがいなき日本の権力者たちを厳しく弾呵されていきます。折しも、再度の蒙古襲来を眼前にして、一国が絶望と恐怖に覆われていました。日本という船の舵をどう切っていくか。

大聖人は、まず、船頭の舵取りが悪いと、乗客が皆、命を落としてしまうと示されます。続いて、体が頑丈であっても、心が弱ければ、多くの才能も生かしていけないと仰せられています。

すなわち大聖人は、日本のこの苦境を乗り越えていくためには、指導者に正しい「智慧」と、力強い「勇気」が不可欠であることを打ち込まれているのです。大聖人は「立正安国論」で何よりも、為政者自身が変わらなければならないことを示されました。為政者が賢明になれば、一国が変わります。指導者革命こそ、安国の要です。

 

 

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