希望を忘れるな! -箴言集(5)

◆アルフレッド・アドラーの言葉

・劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。

 

・あなたが劣っているから劣等感があるのではない。どんなに優秀に見える人にも劣等感は存在する。目標がある限り、劣等感があるのは当然なのだ。

 

・遺伝もトラウマもあなたを支配してはいない。どんな過去であれ、未来は「今ここにいるあなた」が作るのだ。

 

・これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もありません。

 

・「暗い」のではなく「優しい」のだ。「のろま」ではなく「ていねい」なのだ。「失敗ばかり」ではなく、「たくさんのチャレンジをしている」のだ。

 

・感情はクルマを動かすガソリンのようなもの。感情に「支配」されるのではなく「利用」すればよい。

 

 

◆池田SGI会長の言葉

・「命ある限り、自分は“宇宙の全財宝よりも素晴らしい財産をもっているんだ”と自覚していただきたい。そして、その財宝を限りなく輝かせていくのが妙法の信心の力なのです」

 

指導者は相手のグチもよく聞いてあげなさい 末法は「愚癈の衆生」です。 聞いてあげるしかない。「聞く」ことが修行です。また皆が何でも言いやすいような「雰囲気」をつくることも大事だ。“鬼も近づかない”ような恐い雰囲気では、どうしようもない。

 

名優の如く輝け 人生、何かを始めなければいけない。 やるんだか、やらないんだかーすぐに舞台の裏に隠れてしまうような、そんな人生ではつまらない。使命の舞台に颯爽と立ち「何かをやってみせるぞ!」「観客に感銘を与えてみせるぞ!」―こういう人生でありたいと思うが、どうだろうか。

 

・人材はいないのではない。必ず人物はいる。見る眼をもって、見出すならば! 必ず人材は出る。その人を信じて、伸ばすならば!

 

パッと開ける時が来る ある有名な柔道家がいた。師匠に投げられ抜いてクタクタになって、どうしようもなくなった時にふっと心に宿るものがあった。その時心技一体になって勝つことができたと。本もよくわからなくても一生懸命に読んでいくうちに、パッとわかる時がくる。何でも「心」なんです。

 

 

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若き日の日記 他

最近拝読した御書と若き日の日記から、特に感銘した箇所を紹介致します。最初に日記の方から、次に御書を抜粋します。

●池田大作全集第36巻 「若き日の日記(上)」p.416

組織が邪魔に思える場合がある。しかし、組織が無ければ、学会も、個人も、信心も、ばらばらになり、所詮、最大の不幸となることを知る。組織をきらう人は、我儘(わがまま)な、我見の、信心出来得ぬ人と断定出来る。異体同心とは、最高、最優秀の組織必要論である。

 

●新池御書p.1443

此の経の信心と申すは少しも私なく
経文の如くに人の言を用ひず
法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ、

仏に成り候事は別の様は候はず、
南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば
天然と三十二相八十種好を備うるなり、
如我等無異(にょがとうむい)と申して
釈尊程の仏にやすやすと成り候なり、

譬えば鳥の卵は始は水なり
其の水の中より誰か・なす・とも・なけれども
觜(くちばし)よ目よと厳(かざ)り出来て
虚空にか(翔)けるが如し、

我等も無明の卵にして・あさましき身なれども
南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられ・まいらせて
三十二相の觜(くちばし)出でて
八十種好の鎧毛生(よろいげ・おい)そろひて
実相真如の虚空にかけるべし、
(中略)

有解無信(うげむしん)とて法門をば解(さと)りて
信心なき者は更に成仏すべからず、
有信無解とて解(げ)はなくとも
信心あるものは成仏すべし、

皆此の経の意なり私の言にはあらず
されば二の巻には
「信を以て入ることを得 己が智分に非ず」
とて智慧第一の舎利弗も
但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり
己が智慧にて仏にならずと説き給へり

 

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VODがネットで公開

ビデオ・オン・デマンド(VOD)の3番組+2CM が、SOKAネットにおいて期間限定(今年一杯)で見れるようになりました。スマホやパソコン等でいつでもどこでも視聴が可能になったのです。大いに有効活用していきます!

 

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不思議法則

しばれますね~。連日マイナス10度以下となり、冷凍庫並みの厳寒の中での配達を続けています。今日は、精神科医でドクター部の於保先生という方のお話を、一部抜粋して紹介させて頂きます。

 

難しいところなので、角度を変えてお話ししてみます。以前、やはりこころのページの「ふれあい診察室から」というコラムに「不思議法則」というのを書いたんです。いろんな人を見ていると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また、思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人が不思議に行き詰まっている。真面目な人が、頑張っているのに不思議に開けない。そこまで人に尽くしている人が、有り難がられるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしている。そういう人を見たことありません?真面目な人が意外と開けない。

そうかと思うと、ちゃらんぽらんで、図々しくて、要領よく立ち回っている人が、やることなすこと意外とうまくいく。うまくいくものですから、ますます人に持ち上げられて、ますます、開けていっているという現実がある。私はいろんな人の人生に出会う場面が多いものですから、よくそういう現象を見るんです。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。「なぜなんだろう?」最初のうち分かりませんでした。私はちょうどそういうことを研究できる立場にありまして、その結果、だんだん見えてきたことを、「ふれあい診察室」に書いたんです。最初、抵抗がありました。これはちょっと問題あるから載せてくれるかな。カットされるかなと躊躇【ちゅうちょ】したのですが、あえて書きました。おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、そういう人のためにと思って書いたんです。幸い載せてもらえました。

そうしたら、何件かやはり問い合わせがきました。「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命、折伏し、新聞啓蒙し、また、財務も頑張り、全力で戦いました。ところが、病気になって、今は生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。そうなると書いてある、そう書いてあるけれども詳しく書いてないから、よくわからない」ということで、問い合わせがきましてね。さっそく、お返事を書いて、後で喜んでいただきました。実はこういう現象が起きる原因は、その奥に一つの法則があるからなんですね。表面の現象でなく、その奥の法則を「不思議法則」と勝手に名づけたんです。

どういう法則かというと、たとえば、困っている人のため、家族のため、また、学会活動のため、広宣流布のため、世界平和のため、世の中の正義のために、戦う。だけど我慢して、自分を殺して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。「私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実るときが来る。それまでの辛抱だ」。「陰徳あれば陽報あり」なんだからと。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。つまり、これは陰徳にならないんです。どうしてかというと、妙法の当体を殺しているからなんです。同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。

ちょうど、今月のSGIグラフ(2000年5月号)の中で奥様のことを池田先生がおっしゃられています。いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」という意味の一節がありましたが、まさに、不思議法則です。

たとえば、「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また、「財務に何桁に挑戦すれば幸せになる」。こういうのを餓鬼道と言うわけです。見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜ぶなり」といわれています。有名な徳勝童子の譬えがありますね。みんながお釈迦様に供養している様子を見て、僕も何か供養したい。でも、何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげた。その功徳で阿育王に生まれ変わることができたという話しです。
ところで、もし、このとき、徳勝童子が、土饅頭をお釈迦様にさしあげれば、後で功徳がある。それを期待して土饅頭をさしあげる、という取引のような気持ちでやっているとしたら、その心には、福運はつかないでしょう。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないんです。いわゆる自己犠牲精神じゃないんです。

一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってらっしゃるからあんな詩が書けるのでしょう。嫌々、苦しみながらでは、あの写真は撮れないでしょう。(会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)池田先生の写真を見てみてください。先生の写真を見ていつも思うんです。あれを見ていると、ちょうど女子部や婦人部が「先生!」って言っているのと同じように感じません?あの花々が。我々が撮るとなかなかああいう感じにならないですね。花がただそこに咲いているって感じになるんです。しかし、先生の写真には、訴えかけてくるものがある。どうしてだろうと考えました。そしてつくづく思ったんです。法華経というのは「喜ぶ経典」なんですね。池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから、「自然との対話」と名づけられたんですね。

この話をある芸術部の人にしました。すると、その方が以前、先生と会食した時、先生が「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができるんだよ。その対話の写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。この不思議法則。不思議というのは妙。法則は法。すなわち、妙法なんですね。したがって、妙法の当体を粗末にする人は、福運を失うんです。妙法の当体を輝かせる人は、福運を増していくんです。現実にどういう行動をとっているかということは大事です。しかし、自身の本心がどっちで生きているのか。自分の生命を輝かせ、楽しみながら生きる方向なのか。自分を卑下し、追いつめていく方向なのか。その生命の奥底がどちらに向いているかがさらに重要なんですね。

(ドクター部・於保 哲外先生『海の文化と村の文化』より)

 

 

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2000万遍達成

今年だけで唱題が250万7千遍になりました。9年連続で200万遍達成することができ、今のペースでの挑戦を始めたこの8年10カ月で、合計2000万遍あげることができました。ちなみに1000万遍を達成した時の記事を以下にリンクします。

→1000万遍達成の記事

学生部時代に再発心してからの32年間をすべて合計すると、4461万遍となりました。では、また先生の唱題に関するご指導を見てみましょう。

今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に一仏・一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり、故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり
(唱法華題目抄、13㌻)

妙法は一切を動かす大宇宙の根源の力である。ゆえに、我らの唱題の音声は、十方世界に轟【とどろ】きわたる。届かないところなどない。自行化他の題目に、諸天は舞い、十方の諸仏は歓喜する。万人の仏性を呼び覚ます、無量無辺の功徳力がある。

宿命転換も唱題だ。人間革命も唱題だ。広宣流布も唱題だ。地涌の題目の底力を、今こそ発揮しようではないか!
(御書と歩む 17-10-12付聖教)

2000万遍と時を同じくして、大きな障魔が身近に起きました。動揺がまったく無いかと言えばウソになります。しかし、これも戦っているからこそ、それを妨げようとして起きたものです。また一段と成長し境涯を開くチャンスです。今こそ、地涌の題目の底力を発揮して乗り越えていきます。

何より健康で、仕事に学会活動にと戦えること自体が、最高の功徳です。その上で、年齢からいっても先送りできない課題を、確実に解決・前進させていけるよう、広布拡大の使命を果たす題目を実践し抜いていきます。

 

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