学会指導, 御書・教学, 指導集

●勝利の経典「御書」に学ぶ 四条金吾殿御返事(梵音声御書) 13-5月号大白蓮華

この「如意宝珠」について、かつて戸田先生が語ってくださった指導が忘れられません。それは昭和30年(1955年)7月の杉並支部総会でのことです。先生はまず、「如意宝珠とは、心のままに宝を出【いだ】す珠のことをいうのです。家がほしいと思えば家ができ、金がほしいと思えば金ができ、なにひとつとして心のままにならぬものはないという珠を、無上宝珠というのです」と、私たちに分かりやすく教えてくださいました。

そして凛然と語られました。「御本尊様は、しからば、なにごとを求めても得られるか。はっきりと私は申しあげます。いかなる願いも、かなわないことはないのです」 叶わない願いなど断じてない!――恩師の烈々たる宣言でした。私たちも、この大確信で心して進んでまいりたい。妙法を信じ抜き、題目を唱え抜き、果敢に実践し抜いていく限り、絶対に行き詰まりはありません。信心があれば、私たちの胸中に如意宝珠の御本尊が厳然と輝きわたっているからです。

●座談会拝読御書の拝読の参考から 13-2-5

釈尊の弟子の一人に、阿難がいます。「多聞第一」と言われた高弟です。釈尊と阿難との対話が、仏典には次のように記されています。

阿難が尋ねます。
“私どもが善【よ】き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、すでに仏道の半ばを成就したに等しいと思われます。この考え方は、正しいでしょうか”

釈尊が答えます。
“阿難よ、その考え方は、正しくない。善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである”

同志と一緒に進み、一緒に苦労することは、仏道の全てである――この仏法の精神を、その通りに実践してきたのが創価学会です。時には、皆と一緒に進むことが面倒だと感じられる時があるかもしれません。一人で好きに生きるほうが気楽かもしれません。しかし、それでは、わがままになり、本当の仏道修行はできません。

さまざまな人がいる中で苦労しながら、一緒に成長しようと励まし合っていくところにこそ、仏道修行があり、人間革命があります。互いの良さをたたえ合い、支え合って、どんな時も同志と共に広布へ進んでいきましょう。

●本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 98-4月第21回本部幹部会から

一、有名な「撰時抄」には仰せである。「漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかども いまだ日蓮ほど法華経のかたうど(方人)して国土に強敵多くまう(儲)けたる者なきなり、まづ眼前の事をもって日蓮は閻浮提第一の者としるべし」(同283㌻)

――これまで、中国や日本に、智慧も勝れ、才能もすばらしい聖人は、たびたび出現したが、いまだ日蓮ほど法華経の味方をして、国土に強敵を多くつくった者はいない。まず、この眼前の事実から、「日蓮は世界第一の者である」と知るべきである――。

われらは、この大聖人に直結し、三類の強敵を呼び起こし、打ち破りながら、広宣流布の大道を切り開いてきた。これが初代、2代、3代にわたる創価学会の会長の誉れである。創価学会こそ、仏意仏勅の一閻浮提第一の団体である厳然たる証明なのである。

少々の非難や批判で退転するのは、まことの信心ではない。これほど、はかないことはない。戸田先生は厳しく言われた。「そんな連中は、学会にいてもらう必要はない。臆病者はじゃまになる!」と。そういう厳しさのなか、退転せずに信心を貫いた方たちが、今日の学会を築いたのである。絶対に退転だけはしてはならない。

大事なのは勇気である。意気地なしではいけない。意気地なしでは、妻に笑われ、子どもに笑われ、友人や世間からも笑われるであろう。「わが門下に意気地なしはいらない」――そう大聖人は仰せである。〈「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(同1282㌻)等〉

戸田先生も、同じように教えられた。牧口先生は、獄中で、特高刑事らの苛烈な取り調べに対しても、毅然たる折伏精神で、正義を訴え、真実を語った。当時の状況を知っている人は、それがどれほど勇気ある行動だったか、想像できるであろう。皆さまも、相手がだれであろうと、こと正義に関しては、こびたり、へつらったりしてはならない。臆病であってはならない。堂々と、言うべきことを言いきっていくべきである。正義を、真実を叫びきっていただきたい。

 

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