仏の十号(1)

「仏」とは何なのでしょうか。死んだ人が仏なのでしょうか。それとも、世間から遊離し、悟りすました存在が仏でしょうか。

それは違います。仏とは、どんな困難も乗り越えていく最高の勇気、最高の智慧、最も強い生命力のことです。そして他者を慈しみ、不幸な人を放ってはおかない、苦しみを除き楽しみを与えゆく、慈愛あふれる生命です。本来、この仏の生命は万人に具わっているのです。

仏の生命が具えるあらゆる徳を一面から捉えたものが、「仏の十号」です。では先生の指導を元に学んでみましょう。

「仏の十号」の徳

一、日蓮大聖人は、「我が門人等は福過十号疑【ふくかじゅうごううたが】い無き者なり」―――わが門下の人々が、“十号(十の尊称)をもっておられる仏を供養するよりも、はるかに勝る福徳を得ること”は、疑いない―――(御書342ページ)と仰せである。この「十号」とは、仏を讃えた十種の称号のことである。

御本尊の向かって左の御肩には、「有供養者福過十号【うくようしゃふくかじゅうごう】」(供養すること有らん者は福十号に過ぎん)と、厳然とお認【したた】めである。十号の仏に供養する福徳よりも、御本尊を持【たも】ち、広布に戦う我々が得る功徳のほうが、はるかに大きい。さらに申し上げれば、究極的には、御本尊を正しく信ずる者は、十号の功徳を具【そな】える仏界の生命を現すことができるのである。

 

名 称 ふりがな 説       明
1 如来 にょらい 十号の第1は、「如来【にょらい】」。
これは、真如、すなわち究極の真理から現れ来【きた】る者という意味である。
最高の智慧、真理を体現し、瞬間瞬間、生き生きとこれを発揮して、民衆のために尽くす。最高の価値を創造していく躍動の前進をリードする。
2 応供 おうぐ 第2は「応供【おうぐ】」。
世の尊敬や供養を受けるにふさわしい存在という意味である。自然のうちに、人々を感化、善導し、皆に功徳を受けさせることができる人格である。
3 正遍知 しょうへんち 第3は「正遍知【しょうへんち】」。
あらゆることを正しく知り、正しく判断できる智慧をもつ者である。したがって、その智慧をあまねく人々に行き渡らせていく“知性の光”となるのである。
4 明行足 みょうぎょうそく 第4は「明行足【みょうぎょうそく】」。
英知と行動をあわせ持つ。知勇兼備【ちゆうけんび】の模範の指導者といえよう。
5 善逝 ぜんぜい 第5は「善逝【ぜんぜい】」。
煩悩を乗り越えて、仏の境地に達することである。
濁った時代、混乱の社会を打ち破って、新しい時代へ、常に勝利と発展を切り開いていく。そうした原動力といえようか。
6 世間解 せけんげ 第6は「世間解【せけんげ】」。
世間の情勢、時代の動向などを知り尽くした人のことで、的確に社会をリードしゆく指導力に通じよう。
7 無上士 むじょうし 第7は「無上士【むじょうし】」。
文字通り、この上ない「最上最高の人」である。
8 調御丈夫 じょうごじょうぶ 第8は「調御丈夫【じょうごじょうぶ】」。
どんな人をも善導し、いかなる悪の働きも調伏【ちょうぶく】(=コントロール)できる力を持つ者である。それは、一切衆生を薫陶【くんとう】する、人間教育の真髄を体現した存在である。
9 天人師 てんにんし 第9は「天人師【てんにんし】」。
諸天や人々を教え導く存在である。あらゆる人々を励ましていく“精神的指導者”と考えることもできよう。
10 仏世尊 ぶっせそん 最後の第10は、「仏世尊【ぶっせそん】」である。
「仏」は、この世で最も賢く目覚めている人であり、他を目覚めさせる人である。また、あらゆる人から尊敬されるがゆえに「世尊」という。


は、これら十種の威徳をすべて持っているのである。さらにまた仏は、この世で最も強く、すべてを勝ち抜いていく勇者であるがゆえに、「世雄【せおう】」という異名もある。智慧と力と福徳を持ち、進みゆくわが創価学会員は、永遠に勝利者である。永遠に仏の生命を涌現していけるのである。

(H17年6月14日付聖教、「本部幹部会での名誉会長のスピーチ」から)