武田信玄「五分の勝利を上とす」(2)

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また上に立つ者は結果だけに捉われるのでなく、メンバーの戦いの「プロセス」への評価をより重要視すべきである。数字は血の通わない冷酷な側面を持つ。その陰に、メンバーの血の滲むような奮闘が隠れている場合があるからだ。

特に今回の戦いでは短期決戦であった。普段なら何カ月も前から少しずつ労力・手間をかけて進めていくべきところを、約20日余りの短時日に一気にやり切る必要があった。それだけ戦った人の心身に多大な負荷がかかる法戦であった。

1人1人がどれだけ戦ったかは御本尊がすべてお見通しである。幹部にできることは自分が御本尊にでもなったかのように、人を評価することではない。それは幹部の傲慢であろう。もちろん幹部といえども人間革命の途上であり、当然間違いもあるだろう。組織としても、一定の論功行賞があるのは当然であるが、「冥の照覧」が生活等に厳然と顕れることを確信するのが真の信心だからだ。

「限界突破」といえば聞こえはいいが、それにこだわる余り、無理をし過ぎて大きな失敗を招く場合がある。自らが大変な時こそ、一言の労い【ねぎらい】の言葉をかけていけるような、「心の余裕」を見失ってはならないと反省させられた法戦であった。

 

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