日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
(教行証御書p.1282)
信心とは勇気の異名であることを端的に示された御文である。広宣流布の途上には難は必然である。余りに正しく偉大な妙法であるが故に、弘める実践者にとって難を避けることはできない。難を恐れていては信心を貫くことは不可能なのだ。
悪王の正法を破るに
邪法の僧等が方人(かたうど)をなして
智者を失はん時は
師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし
例せば日蓮が如し
(佐渡御書p.957)
続いて上の御文は9月に行われる青年3級・初級試験の範囲にある部分である。その解説には、次のようにある。
彼らが大聖人を迫害するのは、正邪が基準ではなく、知者である大聖人の社会的立場が弱いゆえであり、王法の権力が強いことを恐れているからであると言われています。(中略)
まさしく末法における仏道修行とは、謗法が充満する社会にあって、たとえただ一人であっても、不惜身命の覚悟で法華経の正義を叫び抜く実践を貫き通すことにほかなりません。
この師子王の心は、創価の師弟の仏法の中にこそ厳然と存在する。実際に難に遭っても、恐れることなく乗り越えていく勇気みなぎる信心を、今日よりさらに磨き鍛えていく決心である。
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