千尋の谷

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昔、『巨人の星』というアニメを繰り返し見たのを思い出す。
帰宅部ということもあり、再放送されるたび、何度も何度も繰り返し見た。
スポ根ものの元祖といわれる。
その中に次のくだりがある。

百獣の王である師子は、我が子を千尋【せんじん】の谷に突き落として、這い上がって来た者だけを育てる、のであると。

この同じ言葉を、池田先生が学園生に対してであったか、語っていたのを何かで読んだことがある。
思わず『巨人の星』で聞いた言葉だ、と唸った記憶がある。
昔から言い伝えられた何かの説話なのか、と思ったものだ。
何か古めかしく違和感を感じないでもないが、本当に単なる古臭い考えに過ぎないのだろうか。

百獣を統【す】べる王である師子は、誰よりも強くあることを宿命づけられた存在である。
我が子に対して、心から大成長を願い使命を自覚させたいが故に、冷酷なまでに心を鬼にして、試練を与え育てようとの厳愛なのだ。

仏法においても爾前権経では、衆生の機根に合わせて法を説くので「随他意」と呼ぶ。
例えて言えば、幼子に対して思い通りに甘えさせて育てる方法であろう。
別の言い方をすれば「母の愛」である。

これに対して、法華経は衆生の機根に合わせるのではなく、仏の悟りをそのまま説いた「随自意」の教えである。
これは「厳父の愛」である。
上の、「師子と千尋の谷」の話しは、こちらに当てはまる。

信心とはある意味、この説話と同じだと思う。
まず、厳しき大難・試練に突き落とされる。
(ただし、仏が意地悪をして突き落とすのではない。
意地悪な仏などいない)

そしてその試練を乗り越えていく者が、ある意味、仏から真の仏弟子として認められ、さらなる訓練を受ける資格を得る。
汲めども尽きぬ仏の智慧を得ていけるのである。

自らが「まことの時」の大難に、強盛な信心で乗り越えていく、上の例で言えば、千尋の谷を登り切る師子の子であり続けるとともに、人材育成の1つの考え方も提示していると思う。

下の動画は「師子と千尋の谷」と関係ないが、動画が無かったため、とりあえず載せたものである。

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