創価大学(3)

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思い出に残る卒業式

ものごとに1から10まできれいごとで済むことは、なかなか無いと思います。
それでも人生の途上でほんの一時、宝のように美しい場面というか、一幅の名画のような光景に身を置く時があります。
その1つが私の場合、創価大学の卒業式でした。

私が学んだ通信教育は、入り口は間口が広くとも出口は狭い所でした。
入学するのは比較的簡単ですが、卒業を勝ち取るのは相当に困難な道のりなのです。
私の記憶では確か全学科合わせて、1年間に1000~2000人位の入学定員にたいして、卒業できるのは百人位だったと記憶してます。

日本の一般の大学が、困難な入試を大変な苦労をして突破して入学を勝ち取った後は、大学で4年間「遊んで」卒業得る、のがふつうと言われるのに対して、創大通教はちょうどその真反対ではないかと思うのです。
ですから私は容易な入学式は敢えて参加せず、困難な道を歩み切ってこそ参加できる卒業式に参加しようと決めたのでした。

こうして2年次編入学し5年かかって卒業式までたどり着きました。
そして卒業式では大きな大きな念願叶って、創立者・池田先生にお会いでき、直に1時間ほどのスピーチ(祝辞)も聞くことができました。
この卒業までの様々な苦闘や、創立者との出会いの模様は、本記事のテーマではありませんので、次回以降に述べたいと思います。

創大へ行ったことがある人は解ると思いますが、池田記念講堂というギリシャ神殿のような大きな建物で卒業式が執り行われました。
海外からの来賓を迎えての、創立者への名誉学術称号授与、卒業式典を滞りなく済ませ、私は卒業生の1人として池田記念講堂から出てきました。

すると在校生と思われる学生たちが集まり、盛んに祝福の声を掛けてくれるのです。
しかも在校生の人の群れは3重4重に並んで、控えの建物まで数百メートルにわたって、花道をつくっているのです。
最初、私は通学で卒業した先輩に、部活の後輩たちがお礼と祝いの言葉をかけているのだろうと思っていたのですが、その祝福が向けられている対象に私も確かに入っているのだ、と気づいたのです。
数百メートルにわたって祝福とエールの交換が続きました。

あの光景は今思い出しても、一生に2度と味わえない素晴らしくも気持ちの良い一時でした。
私は他の学校を悪くは言いたくないのですが、ふつうは型通りの式典をやって謝恩会で一杯酒を飲んで終わり、みたいなことが多いようです。
それに対して、創大の学生同士の真心の交換をあのように行なう、しかも号令されてではないことが、世界に誇れる素晴らしい創大の伝統の1つだと思います。

こうして1つ1つの苦闘や思い出の光景から、創大時代を思い出してみると、ほんとうに良い学校だった、人生最良の時を過ごさせてもらった、との感謝の思いが強いです。
創価大学を母校とできた身の福運に感謝し、今後の人生を力強く歩んでいきます。

→創価大学通信教育部 入学案内ムービー

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