人の命を救う

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「雨の夜の道」 ~イメージ画像です。実際の場所とは無関係です。

創立の日、誠におめでとうございます。それとは直接関係はないですが、つい先日の配達途中での出来事を記します。早朝から雨がしとしと降っており、気温も零度手前から5℃近くまで上がって来ていましたが寒い朝でした。あと残すところ3分の1程になった頃、車から見ると、未だ暗がりの道路に人が横たわっているのです。しかも頭から体のほとんどが車道の上にあるのです。距離は10m以上離れていて、しかも暗い中ですが、白く見えるのが仰向いた人の顔に間違いないのです。

「何かの事件でも起こったのだろうか?」
「酔っ払いか? それとも急病だろうか」

短時間に、いろいろな想念が浮かびました。こうはしていられない。時々、車が通る道だし、暗がりで見えにくいので、轢【ひ】かれてしまうかもしれない。この寒い朝だし、心不全なら一刻を争う事態だ。そう考えてそばまで行って声をかけました。最初は反応がありませんでしたので体を揺すってみると、小さな声で返事があったのです。

目は閉じたたままですが意識はあるようです。周りの状況を伝え、体を抱えて起こそうとすると、自力で立ち上がりましたが、フラフラしています。「タクシー代は払ったかい?」と言います。どうやら運転手と勘違いしているようです。自宅の行き先を聞くとすぐ近く、とのことで、近くのアパートへ歩いて行きドアを開け中に消えました。何事もなくホッと胸をなでおろしました。まだ配達が残っていますので、とりあえずその場を後にしました。

日を改め日中にそのアパートを訪問してみると、本人は不在で姉が出て来て種々対話しました。「ご心配おかけして申し訳ありません。わざわざ来て頂いてありがとうございました」とのこと。聖教のPR版と自分の名刺を渡して辞去しました。事件やトラブルには巻き込まれたくないとの不安がありましたが、姉はよさそうな人で、きちんとした家族のようです。

弟は未だ青年世代だそうです。夜勤が続き疲れ切った日々が続いていたそうです。その上に深酒でもしたのかもしれません。近い将来、聖教をとってもらいたいものだ、と思いつつ、今日は無理をしませんでした。(11・18の意義を込めて、つい先日、全く別な人へは聖教啓蒙は出来ています)

「折伏してあげられる人が目の前に現れますように!」
と毎日祈っていましたので、それが現実になったのでしょうか。それにしてもある意味、凄いというか劇的な現れ方で驚きました。しかし、今後の楽しみが1つできました。

 

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