世界青年部総会

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本日、青年部を連れ出しして世界青年部総会へ行ってきました。壮年・婦人は別な部屋で同放を見る形でしたが、青年の情熱漲る国際色も豊かな、素晴らしい総会でした。全世界1500会場をつなぎ青年部員だけで75万人が集いました。「学会はとうとうここまで来たか」と、見ていて感動で何度か胸が詰まりました。

自分も過去に何度か、1万人~2万人規模の会合に参加してきました。3日前に電話で話を聞いて全国学生部大会のため、北海道から東京の武道館に行ったこともあります。全国の数百大学の学生部が一堂に会しました。当時の青年部長が太田昭宏さん、学生部長が谷川佳樹さんです。今日の総会はスケールも熱気も、はるかにそれらを超えるものでした。

ここ最近、地元青年部を何度もまわる中で、30年以上前に武道館に集ったりしたことが思い出されてなりませんでした。1人の青年の活躍の陰に、どれほどのおじちゃん・おばちゃん達の真剣な思いと祈りがあることか。その期待を裏切らず大成していって欲しいと、思いを新たにしました。

大震災からちょうど7年の今日、総会では会長指導の中などで、復興へ闘う東北の方々を皆で讃える時も持たれました。正にこの日に、日本・世界の青年が広布のバトンを受け継いだことは、世界の平和と安穏実現への大きな象徴です。昨年の核兵器禁止条約の採択、さらに先日の米朝首脳会談の進展と、世界青年部総会開催と時を同じくしたのは偶然ではないと思います。先生の指針にあるように「青年の情熱と力」こそが、世界を変えるのですね。

3・16という後継の儀式に集い合った、池田先生を中心とする当時の青年を源流とした、60年にわたる一つの総決算の姿が今日の会合でした。その時に、応援ではありましたが馳せ参じることができ、最高の喜びです。池田先生、同志の皆さまに感謝申し上げます。これを励みにして、これからも広布の戦いに喜び勇んで戦っていきます。

(H30.3.13 一部、修正しました)

 

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コメント

  1. 福島の壮年 より:

    青年部総会を後方支援する戦い、お疲れ様でした。

    >3・16という後継の儀式に集い合った、池田先生を中心とする
     当時の青年を源流とした

    その当時に集った方の代表も、各地の中心会館に招待され、
    現在の青年部と一緒に参加されていましたね。
    まさに、草創期に広布への大きなうねりを起こした皆さんが、
    孫世代の現在の青年部へと「バトンを繋ぐ」一大イベントでした。

    ちなみに、私が学生部の当時は、青年部長が太田昭宏さん、
    浅見茂さんでした。

  2. Leo2014 より:

    福島の壮年さん、青年部総会をお疲れ様でした。震災から7年の歩みもご心労・ご苦労を深くお察しします。

    いつも返事が遅れがちですが、実は3・11の総会終了後まもなくインフルエンザに罹【かか】ってしまい、今、快方に向かっているところです。すると同居の父にインフルがうつり、救急車を呼んだりと大変でした。まだ流行する季節ですので十分お気をつけください。

    先日の先生の随筆に、3・16に参加された福島県の壮年の大先輩に言及されていましたね。3・16は青年に限らず全ての世代にとって、後継の儀式であり、新たな出発でもあり、毎日が3・16なのだ、との自覚を新たにしました。浅見茂さん、忍田和彦さん・・・など、名前は多くは忘れて出て来ませんがおられましたね。大久保肇全国学生部書記長とは室蘭で、直接話をしたのを今でも覚えています。今も東京におられますね。

    • 福島の壮年 より:

      レオさん、インフルエンザでしたか。
      そして、お父様も・・・
      それは大変でしたね。

      大きな功徳に包まれて、お仕事もお忙しいとのこと。
      私への返信などに、全くお気を遣われる必要はありません。
      休めるときには、ごゆっくりとお休みください。
      私、体は強くはありませんので、しょっちゅう風邪っぴきですが、
      幸いにインフルエンザには、この15年ほど罹っておりません。
      予防注射すらせずに済んでいます。

      青年部総会は、圏女になった娘の初陣でもありました。
      毎晩遅くまで奮闘しており、一人また一人と、会って話を聞く
      戦いでしたが、婦人部と一体での当日の連れ出し体制にも
      苦心していましたね。
      私が女子部を車に乗せていくわけにもいかず、イザとなったら、
      車の運転が出来ない地元の婦人部副本に助手席に乗ってもらって、
      連れ出しをしようかとも思っていました。
      (その方は、私が地区リーダーに任命された時の派遣先の
      地区担だった方で、今でも親しくして頂いています)

      中継会場だった福島文化会館には、義母も60年前の3.16参加者
      として招待されていました。

      東日本大震災から7年を迎えたこの地にも、思いを馳せて頂き、
      ありがとうございます。
      我が本部内にも、原発避難民の方たちの仮設住宅があります。
      多くの方たちは、地元に戻ることができたり、この地を終の
      棲家と決めて家を建てたり、また、復興住宅に入居したりと、
      仮設住宅から移って行かれましたが、まだ、行き先を決めかねて
      残っておられる方もいます。
      まだまだ、完全復興には時間がかかるでしょうね。
      でも、学会員の方たちは、皆さん、前向きですよ。
      広布の戦いに邁進していれば、独り悶悶と思い悩んでいる隙間は
      ありませんから。

      とは言っても、罹災者でなければ分からない苦悩というものは、
      勿論あります。が、それは、私が代弁すべきことでもありません。
      この福島の地のみならず、宮城も岩手も、壊滅した沿岸部の集落に
      住んでおられた方々が、少しでも早く、心の復興を成し遂げられ
      ますように、日々、祈らずにはおれません。

      それではまた。
      レオさんの記事を楽しみにしております。

  3. Leo2014 より:

    お言葉に甘えてゆっくり休ませて頂き、また時間が空いてしまいました。自分→父→母 と順番にインフルエンザに罹り、3人とも39度の熱が出ました。父は80歳、母は76歳と高齢なので、救急病院に2回往復したり、配達は1日だけ交代してもらったりと、ゆっくりと寝込んでいる暇もありませんでした。この大事なときにインフルと戦わねばならなかったことにも、何か深い意味があったのかもしれません。

    娘さんは圏女としての初陣だったのですか。またとない大舞台であり、見守る父親としてはさぞやご心配だったでしょう。見ごと、無事故で大成功を勝ち取ることができ大変良かったですね。全国、全世界の青年部の成長の姿が、本当に頼もしく、こんなに嬉しく感じたことは曾てなかったです。身近な方に60年前に参加された生き証人がいらっしゃるのですか。その時の思いや様子を直接聞くことができ、自身の実践の糧にできるのは素晴らしいことですね。

    3・11のあとは3・25に北海道総会(本幹)の収録があり、地元会館の場外役員として着任しました。何とかインフルを完治し、当日に馳せ参じることができ良かったです。自身として今回、完全燃焼できなかった部分は、また今後の戦いだと決意を新たにしています。

    震災から7年、身近な人を亡くされた方々、原発避難の方々、未だに不自由な生活を強いられている方々にとって、どれほどの慟哭と心痛・心労があったことか。自分には想いを馳せることと祈ることしかできません。歳月とともに1人も置き去りにされることなく、震災からの復興、そして心の復興を成し遂げていかれることを、さらに願い祈っていきます。

    福島の壮年さんには、本ブログを楽しみにして頂いているとのこと、何よりの励みになります。これからもよろしくお願いします。