三災七難の根本原因とは(2)

2018年9月3日

(前稿からのつづき)
「法蓮抄」には、この立正安国論の要点を、自ら次のように示されている。
「彼の状に云く〔取詮〕此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり、禅宗・念仏宗等が法華経を失う故なり、彼の法師原が頚【くび】をきりて鎌倉ゆゐ【由比】の浜にすてずば国・正に亡ぶべし等云云」(御書1053㌻)

また「撰時抄」にいわく、「去し文永八年九月十二日申【さる】の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦【はしら】を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやき【焼】はらいて彼等が頚をゆひ【由比】のはま【浜】にて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」(御書287㌻)と。

右の御文に拝されるように、日蓮大聖人御自身も、涅槃経の文によって「邪法の僧らの頸【くび】を切れ」と叫ばれたのである。しかし、これひとえに謗法の心を断ち切り、謗法の行為を殺せとの意なのである。仏の慈悲は、母の慈愛ではない。父の厳愛に譬【たと】えられる。一切衆生を慈愛するからこそ、悪に対して厳格なのである。

ゆえに、立正安国論では「それ釈迦の以前仏教はその罪を斬るといえども能忍の以後経説はすなわちその施を止む」と仰せられているのである。日寛上人は「撰時抄文段」に「『すなわちその施を止む』とは、為人悉檀【いにんしつだん】に約す。『頸を刎【は】ぬべし』とはこれ対治悉檀に約す」(文段集303㌻)と教えられている。

いま、われわれが、折伏を行じて、誤った宗教や低級な思想を完膚【かんぷ】なきまでに打ち破るのは、「頸を斬れ」とのお心に応【こた】えることになるのである。また、そうした宗教に迷わされている民衆を、正義にめざめさせて、低級宗教から離れさせているのは「施を止【とど】む」に適【かな】う行為といえよう。

●本書289ページから

さらに、いま本文で、釈尊のことを“能忍”と表現されていることにも、その意義が込められている。この現実世界は娑婆世界と呼ばれるが、裟婆とは堪忍【かんにん】の意である。苦悩におおわれ、貪瞋痴【とんじんち】三毒強盛の衆生が充満するのが娑婆世界である。それゆえに、仏の特色はなによりも「能【よ】く忍ぶ」ことにあるとされる。

したがって、この世界において正法を行じ弘める人は、邪悪な人々によって数々の暴力を加えられるが、それに堪【た】えるべきであって、謗法者だからといって、こちらから暴力や武力を振るうのではない。唯一、これに対抗し、悪の根を断ち切る方途は、人々に正邪を知らしめ、謗法者への布施を止めさせることである。これは、目的が異なるが、のちにガンジーによってイギリス植民支配権力を倒すため採用された、不買運動等による非暴力抵抗主義と底流において相通じているといえよう。

※立正安国論講義は2分冊となっており、『池田大作全集第25巻』に「立正安国論講義(上)」が、同26巻に「立正安国論講義(下)」が収められています。

 

  

 

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