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平成15年5月11日更新

   『ベートーヴェンの生涯』 から
ロマン・ロラン著,片山敏彦訳,岩波文庫

●「ベートーヴェンの生涯」 ロマン・ロラン著 〈p.67〜〉

 どんな勝利がこの勝利に比肩【ひけん】し得るだろうか? ボナパルトのどの勝利、アウステルリッツのどの赫々【かっかく】たる日がこの光栄に――かつて「精神」が果し得た最も輝かしい光栄、この超人的努力とこの勝利との光栄に匹敵【ひってき】し得るだろうか? 不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜【かんき】を拒【こば】まれたその人間がみずから歓喜【かんき】を造り出す――それを世界に贈りものとするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛【きた】え出す。そのことを彼は次の誇【ほこ】らしい言葉によって表現したが、この言葉の中には彼の生涯が煮つめられており、またこれは、雄々【おお】しい彼の魂全体にとっての金言【きんげん】でもあった――
 『悩みをつき抜けて歓喜【かんき】に到【いた】れ!』
 Durch Leiden Freude.


●「ベートーヴェンの手紙」 ヴェーゲラー宛,1801年11月〈p.121〉

――僕は運命の喉元【のどもと】を締【し】めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。――おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!


●「ベートーヴェンへの感謝」 ロマン・ロランのベートーヴェン記念祭での講演から 1927年3月 〈p.164〜〉

 もはや叫喚【きょうかん】も、身振りも、雄弁【ゆうべん】もない!――ベートーヴェンは最初の一撃でそこに到達したのではなかった。革命と帝政【ていせい】との時代――英雄的な情熱と行為とが羽飾【はねかざ】りをつけて騎馬行列【きばぎょうれつ】をしていたあの雄大【ゆうだい】な時代に生きた人間としての自己の性質に付着していたローマンチックな血気【けっき】に対して彼はみずから戦わねばならなかった。ベートーヴェンの前半生の作品には、その最も高いものの中にさえ、崇高【すうこう】な『エロイカ』の中にさえ、なお帽子の羽飾【はねかざり】のような自負的【じふてき】な装飾【そうしょく】がある。けれどもベートーヴェンが齢を重ねてその精神が次第に敬虔になるにつれて、彼はその雄弁【ゆうべん】の華々【はなばな】しい衣【ころも】を剥【は】ぎ捨てた。もはや対話すべき対手【たいしゅ】としてただ神をしか持たない以上、大げさないい廻【まわ】しなどは必要ではない。皆までもいわずに心が通じ合うのである。……「ますます簡明【かんめい】に!」(Immer simpler!)本質をいえ! 他は沈黙【ちんもく】せよ!
(中略)高い教訓である、ひとり芸術家にとってばかりでなく、あらゆる人間にとっての! なぜならこのような絶対的な単純さと真実さとは、芸術の至高【しこう】な成就【じょうじゅ】であると同時にまたきわめて雄々【おお】しい道徳的徳性【とくせい】であるから。ベートーヴェンの「音楽の福音書」の中でこのことの自覚に徹【てっ】した人々は、もはや芸術と生活との中にある虚妄【こもう】に耐え得なくなる。ベートーヴェンは正直droitureと誠実sinceriteとの大きい師なのである。


●「ベートーヴェンの『手記』より」 〈p.173〉

 「遺憾【いかん】ながら世の凡庸【ぼんよう】な者たちは巨匠の作品の真の美を理解せずにその欠点を模倣【もほう】する。ミケランジェロが絵画【かいが】に、シェイクスピアが劇芸術に、そして現代においてはベートーヴェンが音楽に禍【わざわい】を為【な】すということはそこから起こる。」(1816年)〔訳注――これはフランスの新聞或【ある】いは雑誌に出た文章をベートーヴェンが抜き書きしたもの。〕


●「一生涯の夕暮」より 〈p.192〉

 「心の最良【さいりょう】の瞬間に心眼【しんがん】の前にうかび漂【ただよ】い、普通の現実の上高く心を高めるところの或【あ】る完璧な現実の予感と、欠陥【けっかん】の多い現実世界とを真に和解させるものは音楽である。人類のあらゆる偉大な教師らは音楽を必要とした……宇宙のリズムについてのピタゴラスの考えは、実際何と美しくけだかいものであったか!」


●「訳者解説〜ロマン・ロランのベートーヴェン研究について」 〈p.195〜〉

 人がベートーヴェンの音楽を、浪漫【ろまん】主義とも古典主義とも片づけきれないのは、この音楽の『根元線』(本質的素描性【そびょうせい】)がまったく無比【むひ】の性質を示しているためである。形式的構造の合理主義のみから観【み】て行けばとうてい突破のできぬ超合理の雲霧【うんむ】にいつのまにか取り巻かれるであろう。また単に感情のみを頼りにしてゆけば、感情に密着している巨人的構造性の秘密はつかめないであろう。
 (中略)「もしも人がベートーヴェンを心理的に把握【はあく】しなかったら人はけっしてベートーヴェンを理解しないだろう」とロマン・ロランはいっている。もしも人が音楽形式の合理主義の中だけに閉じこもるなら、どこまでもベートーヴェンの音楽の外にいるという結果にならざるを得まい。たとえば、音楽史的に「ベートーヴェンの形式の範型【はんけい】はソナータである」といってみたところでこれは何事をもいい現わしてはいない。なぜなら、「ベートーヴェンにおいては何故ソナータが範型【はんけい】であるか?」が真の問題として残るからであり、そしてこの何故だけに答えるためにも視力は著【いちじる】しく拡がらなければならない。
 (中略)音楽の建築がいかに宏大【ゆうだい】であるにもせよ、もしもその建築の輪廓【りんかく】や量の下を、最もふかい最も自由な内生命【ないせいめい】の潮【うしお】がくぐり流れることができないとしたら――音楽の建築が、生きた一つの魂を(そしてその魂の諸問題が、また別に、それとして宏大【ゆうだい】な一つの活動であるような一つの魂を)十分おのれに適合【てきごう】させつつ包んでいるような、そういう素材でないとしたら――構造の問題の解決は、技巧家【ぎこうか】と溺美家【たんびか】との遊戯【ゆうぎ】に過ぎないことになり終えるだろう。このことを眼中に置かない音楽的分析は、音楽作品からその内容を空っぽにしてしまう。形式と内容とがベートーヴェンにおいてはまったく一体である。





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